◇◇◇
「だからさ、正妃様が我儘なんだって!」
興奮冷めやらない明淑は、性質の悪い酔っ払いのように饒舌だった。
「配膳係の女官が毎日泣いているみたいよ。病んで実家に戻りたいって、女官長に直訴する子もいるみたい。でもさ、女官長は自分が正妃様から目をつけられたくないから、切り捨てても良いような、私らのような底辺の女官を体裁だけ整えて、正妃様のところに行かせるのよ」
「へえ、そう……なんですか」
「李々も可哀想に」
彼女は、尚寝殿で顔なじみの料理係をしている李々という女官が、突然正妃つきになったことに、違和感を覚えたらしい。
春霞と会話の途中だった青波は、明淑に早く寝て欲しいと思ったが、しかし、春霞からは得られない情報が聞けそうな気がして、最後まで話に付き合うことにしたのだ。
「……正妃様って、大変な方ですよね」
――と、言い捨ててから、青波は固まった。
その妃の夫にあたる皇帝は、青波の背後でふわふわ浮いているのだ。
今まで、春霞の妃に関しての噂は、極力聞かないようにしていたが、それでも、正妃に関しては、色々と問題を起こす人だったので、青波の耳にまで悪評は届いていた。
「まあ、陛下の寵愛がないから、鬱憤が溜まって、周囲に八つ当たりしているのは、いつものことだけど。それでも、陛下だって気を遣って、旅行なんかも目を瞑ってきたわけじゃない?」
「ええっ! そうなんですか?」
「そうよ。余計な波風を立てたくないから、陛下も正妃様には甘いのよ。皇帝専用の湯治場まで、提供してあげたみたいよ」
「それは、凄い」
後宮に入宮した妃は、基本的に外に出ることは許されないのだ。いくら皇帝が許したとはいえ、温泉なんて遊興の場に、妃単独で出掛けるなんて、前代未聞の暴挙だ。
「それなのに、食事にまで難癖つけるようになったら、おしまいよね」
「食事……ですか?」
「そう。透国の食べ物は、口に合わないんですって。故郷のものが食べたいって、駄々をこねるらしいのよ。新鮮な果実を絞って飲ませろとか、牛の乳が欲しいとか。陛下が大変だって時に、贅沢ばかりしてさ。何なら、自分で取って来いって言うのよ」
「……明淑さん。やはり陛下は、ご病気なのでしょうか?」
今更ながら、青波は明淑に尋ねた。彼女なら、春霞について不穏な情報を掴んでいるかもしれないと期待したのだが……。
「うーん。陛下ってお身体弱いものね。ご静養の回数も多いし。だから、正妃様に好き勝手されてしまうんだと思うのよね」
結局、よく知らないようで、話を再び正妃のことに戻されてしまった。
確か、正妃の名は、峡 汀。汀妃と呼ばれている。
透国において、一字名は貴族では有り得ない。彼女は隣国「沙葉」の公主であり、嘉栄の死後、崩れかけた透王朝の立て直しのため、沙葉との同盟の証で、後宮入りした女性……らしい。
いかにもな、政略結婚だ。
この婚姻に春霞の意思はないのだろうから、可哀想と言えば、まあ、そうなのだが……。
「なんでも、沙葉の将が密かに透に入っていて、陛下が身罷ったら、即刻、皇城を乗っ取る算段をしているっていう話よ。多分、嘘だろうけど。でも、もし、事実だとしたら、正妃が手引きしているとしか思えないわよね。まったく、いくら美人だからって、何やっても良いと思っているところが、腹立たしいわ!」
明淑は、自身の劣等感だと話していたそばかすを撫でて、声を荒げた。世の中は不平等だと、彼女はそう言いたいのだろう。
何はともあれ……。
「……面倒な」
春霞の容体次第では、戦争も在り得るのだ。
皇帝を殺したいと思っている人間は、大勢いる。春霞の言う通りだ。
『本当……面倒だよねえ』
今まで存在を消していた春霞が、気怠そうに口を挟んできた。
『でも、私が死んだらさ。まず、沙葉より、後継問題で内乱勃発だね。そしたら、皇帝の正妃も安全じゃいられないんじゃないかな』
そのくらい、正妃ならば承知しているはずだと、春霞は指摘しているらしい。
……では、正妃は無関係なのか?
しかし、すべて承知しながら、自分を愛さない春霞を殺そうとしている可能性もないわけではない。異国の姫君なら、青波の術を封じるくらいの呪術者を雇い入れることだって出来るだろう。
「それにしても、珍しいね。青波から訊いてくるなんて」
「急に、興味が沸いてしまって」
「そう。じゃあ、他のお妃様たちとか、お役人さんとかのことも話そうか?」
「是非」
前のめりになると、決定的に春霞が拗ねてしまった。
『酷いな。私がここにいるのに、彼女に訊くわけ?』
「貴方様は、怪しいんですよ」
また問題をすり替えられて終わりそうだ。
「何、どうしたの?」
「いえ、何でもありません」
慌てて取り繕うと、怪訝な顔をしながらも、元々噂話大好きな明淑は、楽しそうに語ってくれた。
「じゃあ、第二妃のことは知ってる? 宰相の御令嬢で、今年九歳になられたばかりの」
「九歳っ!?」
「知らなかったの?」
互いにぎょっとした顔で向き合ってしまった。青波は、春霞を一瞥するものの、彼は不機嫌なまま、何も答えてくれなかった。
この国で実質政治を行っている宰相の娘が入宮していることは、青波も知っていたが、その年齢までは知りもしなかった。
「第二妃については、さすがに寵愛がどうのなんて、興味なさそうね。陛下に、そういう性癖がない限りは」
「性癖……」
本人がいる手前、他に言葉がない。固まっている青波に、明淑は「ここだけの話」と顔を摺り寄せて、小声で告げた。
「陛下のご寵愛は、第三妃にあるのよ」
「そうなんですか?」
思わず声が上擦ってしまった。それも、初耳だった。
「正妃様を恐れて、陛下もそのことを隠そうとされているから、意外に知られていないけど。絶対そうだと思うわ。まっ、これ、私の憶測も入っているから、ここだけの話ってことなんだけど」
しかし、残念なことに、ここだけの話にはならなかった。いくら声を落としても、すぐ隣に張本人の春霞がいるのだ。
「第三妃に関しては、本当に情報が少ないのよ。御名前すら、近しい方しかご存知ないみたい。だから、勝手にみんなで後宮の「幻華」って呼んでいるらしいわ」
「幻……華。まぼろしの華ですか?」
随分と、美しい渾名だ。名付け親は想像力の素晴らしい人に違いない。
「華なのですから、それは「お美しい」方なんでしょうね?」
「そりゃそうよ。お妃様は、本来入宮すら出来ないような低い身分の出だったけど、一目惚れした陛下がどうしても……と所望して、入宮が決定したって話だから」
「一目惚れ? 所望した?」
言葉を繰り返しながら、青波が春霞の方に視線を走らせると、彼は無の境地で、天井を仰いでいた。
……疾しいことがあるんだな。
目も合わせないということは、きっと、そういうことなのだ。
「なんでも、このお妃様もお体が弱いらしくてね。ほとんど表にお出ましになることはないみたいよ。でも、陛下はご病気を患うまで、足繁く、そのお妃様のもとに通っていたって」
「まさか、犯人?」
「犯人?」
明淑が目を丸くしたので、再び青波は笑って誤魔化した。
……皇帝ご寵愛のお妃様。
例えば、無理に入宮させられたことを恨みに思って、春霞に殺意を抱いたとか? 身元不明のお妃様なら、意外に術なんか使えたりするかもしれない。
……などと、我ながら、酷い憶測だった。
「後宮の幻華……か」
「嘘? なに、妃に興味あるの? 青波は出世したいの?」
それこそ好奇の目で、明淑が青波を覗きこんでいた。
「そ、そうですね。実家の仕送りを増やしたくて」
「ああ、青波の実家って貧しいんだよね。そうだよね。色々とお金かかるものね」
「はい」
青波の家族は、今は自給自足の生活を楽しんでいる逞しい人達なのだが、貧しいということは間違いない。明淑もお金に苦労しているので、金銭的な話となると、一層協力的になるのだ。
「じゃあさ、学司様に近づいてみたら? 教養があれば、興味を持って下さるみたいよ」
「学司?」
「後宮で妃嬪相手に、学問を教えている「先生」のことを言うの。特に国史を教えてらっしゃる先生は、お妃様方だけでなく、陛下とも仲が宜しいみたいだから、上手く取り入れば出世間違いなしよ」
「後宮には、そんな所もあるのですか?」
「妃に学がなかったら、この国の恥じゃない」
まあ、そうだ。国の顔とも呼べる地位にいる妃なら、それなりの知識は不可欠だ。
「私は簡単な文章を読むのもやっとだけど、青波は文字も書けて、詩だって分かるんでしょう。だったら、上手く自己主張ができたら、学司様も相手してくれるんじゃない? ほら、最悪陛下が崩御されても、次に向けてさ」
「やってみます」
「よく分からないけど、初めて貴方のやる気を見たわ。頑張って」
「はい!」
――と、威勢よく返事をしてみたが……。
そもそも、春霞が意識を取り戻してくれたら、何とでもなるのだ。
『後宮の学司……ね』
苦々しく呟いた春霞は、その学司をよく知っているようだった。明らかな嫌悪感を示している。
……一体、彼は青波に何を隠したいんだろう?
後宮の幻華……と、脳内で呟いただけで、青波は吹き出してしまいそうなのに。
(あの小さかった春霞に、寵愛する妃がいるなんてね)
もう、胸の痛みには慣れた。
即位後、間もなく春霞が妃を迎えたと耳にした時点で、青波は子供の頃の感傷を断ち切ったのだ。
「だからさ、正妃様が我儘なんだって!」
興奮冷めやらない明淑は、性質の悪い酔っ払いのように饒舌だった。
「配膳係の女官が毎日泣いているみたいよ。病んで実家に戻りたいって、女官長に直訴する子もいるみたい。でもさ、女官長は自分が正妃様から目をつけられたくないから、切り捨てても良いような、私らのような底辺の女官を体裁だけ整えて、正妃様のところに行かせるのよ」
「へえ、そう……なんですか」
「李々も可哀想に」
彼女は、尚寝殿で顔なじみの料理係をしている李々という女官が、突然正妃つきになったことに、違和感を覚えたらしい。
春霞と会話の途中だった青波は、明淑に早く寝て欲しいと思ったが、しかし、春霞からは得られない情報が聞けそうな気がして、最後まで話に付き合うことにしたのだ。
「……正妃様って、大変な方ですよね」
――と、言い捨ててから、青波は固まった。
その妃の夫にあたる皇帝は、青波の背後でふわふわ浮いているのだ。
今まで、春霞の妃に関しての噂は、極力聞かないようにしていたが、それでも、正妃に関しては、色々と問題を起こす人だったので、青波の耳にまで悪評は届いていた。
「まあ、陛下の寵愛がないから、鬱憤が溜まって、周囲に八つ当たりしているのは、いつものことだけど。それでも、陛下だって気を遣って、旅行なんかも目を瞑ってきたわけじゃない?」
「ええっ! そうなんですか?」
「そうよ。余計な波風を立てたくないから、陛下も正妃様には甘いのよ。皇帝専用の湯治場まで、提供してあげたみたいよ」
「それは、凄い」
後宮に入宮した妃は、基本的に外に出ることは許されないのだ。いくら皇帝が許したとはいえ、温泉なんて遊興の場に、妃単独で出掛けるなんて、前代未聞の暴挙だ。
「それなのに、食事にまで難癖つけるようになったら、おしまいよね」
「食事……ですか?」
「そう。透国の食べ物は、口に合わないんですって。故郷のものが食べたいって、駄々をこねるらしいのよ。新鮮な果実を絞って飲ませろとか、牛の乳が欲しいとか。陛下が大変だって時に、贅沢ばかりしてさ。何なら、自分で取って来いって言うのよ」
「……明淑さん。やはり陛下は、ご病気なのでしょうか?」
今更ながら、青波は明淑に尋ねた。彼女なら、春霞について不穏な情報を掴んでいるかもしれないと期待したのだが……。
「うーん。陛下ってお身体弱いものね。ご静養の回数も多いし。だから、正妃様に好き勝手されてしまうんだと思うのよね」
結局、よく知らないようで、話を再び正妃のことに戻されてしまった。
確か、正妃の名は、峡 汀。汀妃と呼ばれている。
透国において、一字名は貴族では有り得ない。彼女は隣国「沙葉」の公主であり、嘉栄の死後、崩れかけた透王朝の立て直しのため、沙葉との同盟の証で、後宮入りした女性……らしい。
いかにもな、政略結婚だ。
この婚姻に春霞の意思はないのだろうから、可哀想と言えば、まあ、そうなのだが……。
「なんでも、沙葉の将が密かに透に入っていて、陛下が身罷ったら、即刻、皇城を乗っ取る算段をしているっていう話よ。多分、嘘だろうけど。でも、もし、事実だとしたら、正妃が手引きしているとしか思えないわよね。まったく、いくら美人だからって、何やっても良いと思っているところが、腹立たしいわ!」
明淑は、自身の劣等感だと話していたそばかすを撫でて、声を荒げた。世の中は不平等だと、彼女はそう言いたいのだろう。
何はともあれ……。
「……面倒な」
春霞の容体次第では、戦争も在り得るのだ。
皇帝を殺したいと思っている人間は、大勢いる。春霞の言う通りだ。
『本当……面倒だよねえ』
今まで存在を消していた春霞が、気怠そうに口を挟んできた。
『でも、私が死んだらさ。まず、沙葉より、後継問題で内乱勃発だね。そしたら、皇帝の正妃も安全じゃいられないんじゃないかな』
そのくらい、正妃ならば承知しているはずだと、春霞は指摘しているらしい。
……では、正妃は無関係なのか?
しかし、すべて承知しながら、自分を愛さない春霞を殺そうとしている可能性もないわけではない。異国の姫君なら、青波の術を封じるくらいの呪術者を雇い入れることだって出来るだろう。
「それにしても、珍しいね。青波から訊いてくるなんて」
「急に、興味が沸いてしまって」
「そう。じゃあ、他のお妃様たちとか、お役人さんとかのことも話そうか?」
「是非」
前のめりになると、決定的に春霞が拗ねてしまった。
『酷いな。私がここにいるのに、彼女に訊くわけ?』
「貴方様は、怪しいんですよ」
また問題をすり替えられて終わりそうだ。
「何、どうしたの?」
「いえ、何でもありません」
慌てて取り繕うと、怪訝な顔をしながらも、元々噂話大好きな明淑は、楽しそうに語ってくれた。
「じゃあ、第二妃のことは知ってる? 宰相の御令嬢で、今年九歳になられたばかりの」
「九歳っ!?」
「知らなかったの?」
互いにぎょっとした顔で向き合ってしまった。青波は、春霞を一瞥するものの、彼は不機嫌なまま、何も答えてくれなかった。
この国で実質政治を行っている宰相の娘が入宮していることは、青波も知っていたが、その年齢までは知りもしなかった。
「第二妃については、さすがに寵愛がどうのなんて、興味なさそうね。陛下に、そういう性癖がない限りは」
「性癖……」
本人がいる手前、他に言葉がない。固まっている青波に、明淑は「ここだけの話」と顔を摺り寄せて、小声で告げた。
「陛下のご寵愛は、第三妃にあるのよ」
「そうなんですか?」
思わず声が上擦ってしまった。それも、初耳だった。
「正妃様を恐れて、陛下もそのことを隠そうとされているから、意外に知られていないけど。絶対そうだと思うわ。まっ、これ、私の憶測も入っているから、ここだけの話ってことなんだけど」
しかし、残念なことに、ここだけの話にはならなかった。いくら声を落としても、すぐ隣に張本人の春霞がいるのだ。
「第三妃に関しては、本当に情報が少ないのよ。御名前すら、近しい方しかご存知ないみたい。だから、勝手にみんなで後宮の「幻華」って呼んでいるらしいわ」
「幻……華。まぼろしの華ですか?」
随分と、美しい渾名だ。名付け親は想像力の素晴らしい人に違いない。
「華なのですから、それは「お美しい」方なんでしょうね?」
「そりゃそうよ。お妃様は、本来入宮すら出来ないような低い身分の出だったけど、一目惚れした陛下がどうしても……と所望して、入宮が決定したって話だから」
「一目惚れ? 所望した?」
言葉を繰り返しながら、青波が春霞の方に視線を走らせると、彼は無の境地で、天井を仰いでいた。
……疾しいことがあるんだな。
目も合わせないということは、きっと、そういうことなのだ。
「なんでも、このお妃様もお体が弱いらしくてね。ほとんど表にお出ましになることはないみたいよ。でも、陛下はご病気を患うまで、足繁く、そのお妃様のもとに通っていたって」
「まさか、犯人?」
「犯人?」
明淑が目を丸くしたので、再び青波は笑って誤魔化した。
……皇帝ご寵愛のお妃様。
例えば、無理に入宮させられたことを恨みに思って、春霞に殺意を抱いたとか? 身元不明のお妃様なら、意外に術なんか使えたりするかもしれない。
……などと、我ながら、酷い憶測だった。
「後宮の幻華……か」
「嘘? なに、妃に興味あるの? 青波は出世したいの?」
それこそ好奇の目で、明淑が青波を覗きこんでいた。
「そ、そうですね。実家の仕送りを増やしたくて」
「ああ、青波の実家って貧しいんだよね。そうだよね。色々とお金かかるものね」
「はい」
青波の家族は、今は自給自足の生活を楽しんでいる逞しい人達なのだが、貧しいということは間違いない。明淑もお金に苦労しているので、金銭的な話となると、一層協力的になるのだ。
「じゃあさ、学司様に近づいてみたら? 教養があれば、興味を持って下さるみたいよ」
「学司?」
「後宮で妃嬪相手に、学問を教えている「先生」のことを言うの。特に国史を教えてらっしゃる先生は、お妃様方だけでなく、陛下とも仲が宜しいみたいだから、上手く取り入れば出世間違いなしよ」
「後宮には、そんな所もあるのですか?」
「妃に学がなかったら、この国の恥じゃない」
まあ、そうだ。国の顔とも呼べる地位にいる妃なら、それなりの知識は不可欠だ。
「私は簡単な文章を読むのもやっとだけど、青波は文字も書けて、詩だって分かるんでしょう。だったら、上手く自己主張ができたら、学司様も相手してくれるんじゃない? ほら、最悪陛下が崩御されても、次に向けてさ」
「やってみます」
「よく分からないけど、初めて貴方のやる気を見たわ。頑張って」
「はい!」
――と、威勢よく返事をしてみたが……。
そもそも、春霞が意識を取り戻してくれたら、何とでもなるのだ。
『後宮の学司……ね』
苦々しく呟いた春霞は、その学司をよく知っているようだった。明らかな嫌悪感を示している。
……一体、彼は青波に何を隠したいんだろう?
後宮の幻華……と、脳内で呟いただけで、青波は吹き出してしまいそうなのに。
(あの小さかった春霞に、寵愛する妃がいるなんてね)
もう、胸の痛みには慣れた。
即位後、間もなく春霞が妃を迎えたと耳にした時点で、青波は子供の頃の感傷を断ち切ったのだ。