麗華は宛がわれた部屋で一人窓の外を見上げた。月が半分だけ現れていて、花淑が婚約の喜びの手紙を寄越してからそう経っていないことを思い起こした。

(あんなに喜んでらしたんだもの……。これが正解なのよ)

洞のある森が遠いこの場所でそう思っていたところへ、扉がトントンと叩かれた。こんな夜に誰だろうと思うと、麗華? と華奢でかすれた声が扉の外から聞こえた。もしかして……。

「お姉さま!?」

麗華は扉を開けてそう叫んだ。扉の外には麗華と同じ色の瞳をした少女が居た。この人が花淑だ。

「麗華……!」

花淑は麗華を抱き締めるとその肩に顔をうずめた。そうして悲しそうに首を振る。

「私の手紙は読んだ? 無理をして来たのなら、今からお父さまにお話して、貴女をおうちに帰してあげるわ」

心配した通りだった。花淑は自分の恋を殺して後宮に行こうとしている。麗華は花淑の肩に手を置いて真っすぐ花淑の瞳を見た。翠の瞳に映る自分は花淑に比べるとどうにも子供くさくていけないが、これだけははっきりしている。

「私、お姉さまのお役に立ちたいんです。今まで手紙で元気づけてくださったことのお礼も言えてませんでした。だから、私のことを思ってくださるなら、どうか子威さまと幸せになって頂けませんか?」

そんなこと……! と悲壮な顔をする花淑に、それにね、と麗華はいたずらっぽく笑った。

「私、あんな町で貧しい暮らしをしていたから、後宮なんていう立派なところに行けるのも、楽しみなんです。きっと、家で食べたより美味しいものが食べられるわ」

花淑は麗華の言葉に一瞬ぽかんとし、それから弱く微笑んだ。

「麗華は後宮を知らないからそんな夢を見るようなことを言えるのよ。あそこは妬み嫉みが渦巻くところよ。ご馳走も、自分付きの女官が良いと言うもの以外は口にしては駄目。外に出るときも常に女官と一緒が良いわ。それから……」

今度は麗華がぽかんとする番だ。でも、心配そうに次から次へと注意ごとを並べる花淑が、麗華のことを本当に案じてくれているのが分かるから、一つずつに、うんうん、と頷いた。そして花淑の両手を自分の手で包む。

「お姉さま、もしかして子威さまとのことを考えて、泣いて暮らしたのではありませんか? 先程からお聞きしてて、声が掠れていらっしゃいます。今、薬を調合しますから、うがいをしてお休みになってください」

麗華はそう言って持ってきた荷物の中から、老師の許可を得て持ちだした薬草を取り出した。薄荷(はっか)、牛蒡子(ごぼうし)などを合わせて銀翹散(ぎんぎょうさん)を調合すると、花淑に差し出した。

「ぬるま湯でのどを洗うようにうがいをしてください。のどの痛みが楽になります」

「まあ。貴女は薬を調合できるのね」

「はい。薬売りの店で育ちました」

花淑は麗華から薬を受け取ると、こう言った。

「では、解毒の薬も容易いものね。自分で体調が管理できるのは良いことだわ」

「そうですね。私、老師の薬を宮廷で使ってもらえないかと思って、持ってきたんです。もし宮廷で使ってもらえたら、老師に恩返しが出来るので」

「それは良い考えだわ。貴女の夢が叶うと良いわね」

微笑む花淑に麗華は、はい、と応えて、花淑と別れた。花淑に恩返しが出来る。それだけで麗華は嬉しかった。