ところがその数日後である。ごちゃごちゃと狭い家々と商店が立ち並ぶ老師と麗華の店の前に仰々しい馬車が止まると、車から降りてきた男の人は迷いなく麗華たちの店に入って来た。

「麗華殿は居られるか」

威圧感ある声に麗華はびくりと肩を震わせた。それを老師が庇うように、男と対峙した。

「何用ですか。急に店に入ってきて麗華を名指しするとは」

「麗華殿に用があって来た。これを」

男が差し出したのは二通の手紙。一通は花淑から、もう一通は今まで連絡のひとつも寄越したことのない父からだった。

花淑からの手紙はこうだった。

『お父さまから嫌なことを言われたら、断って良いのよ。私は朱家の娘です。冷帝の許へ行くことも怖くありません。どうか、わたしとそっくりな貴女が、悲しい思いをしませんように』

そして初めて連絡を寄越した父からはこういう内容の手紙だった。

『都の皇帝より、翠の瞳の娘を後宮に差し出すよう命令が下った。お前(・・)には分が過ぎるだろうが、今まで市井で粗末な生活をさせた侘びとして、煌びやかな後宮へ行くことを許してやっても良い。直ぐに支度をし、朱家に一度戻りなさい』

父が言っていることが分からなくて、手紙を見たまま固まっていると、老師が手紙を取り上げて目を通して怒り声をあげた。

「こりゃあ麗華を馬鹿にしたもんだね。麗華はあの両親に見捨てられてこの町で今まで過ごしてきたってのに、それが、皇帝の命令を断れないからと言って、江家との金づる話と後宮への話の両方で儲けてしまおうって言う魂胆かい」

「黙れ、婆ァ。言い逃れは許されない。麗華殿は直ぐに荷物を纏めて我らと一緒に朱家に来てもらう」

男は老師をパシンと叩くと、麗華の腕を引いた。

「ちょっと! 老師になんてことするのよ! 謝りなさいよ!」

「ええい、煩い! 麗華殿は黙られよ!」

『殿』なんて言ってるけど、全然麗華を大事に扱ってない。それに老師が頬を叩かれて、床に倒れてしまっている。麗華は男の手を振り解いて老師に駆け寄った。

「老師! 大丈夫ですか!?」

「あたしゃ何ともないよ。なんたって毎日鍛えているからね。それに、麗華はこんな脅しにのらなくたっていい。あの両親はあんたを見捨てたんだ。今頃、売る恩もないのに恩着せがましいこと言ってきて、ずる賢いったらないよ。おまけに都と言えば、ついこの前まで皇帝の座を争って諍いが続いていたばかりじゃないか。そんな場所に麗華を行かせられないよ」

確かに父からの手紙はそう読めるのかもしれない。しかし、姉からの手紙では、もしかして子威との婚約も解消してしまうのかもしれないと思うと、恋焦がれた相手だろうに、それは可哀想だと思う。それに権力争いの真っ最中ならともかく、今は皇帝の座は冷帝で決まっている。権力争いに巻き込まれる可能性は低い。

麗華はこの町で周りの人にやさしく囲まれて、貧しくも幸せに育った。瞳の色のことを理解してくれると後ろ指を指す人も居なくなり、花淑のように陰口を叩かれることもなくなった。親の愛には恵まれなかったけど、麗華はもしかしたら花淑よりも恵まれていたのかもしれない。

「でも、老師。このままだと花淑お姉さまは好きな人と結婚できなくなってしまうんです。そんな悲しいこと、私、我慢できません。私は今までお姉さまに気遣ってもらったわ。手紙も文箱いっぱいになってしまうくらいに貰っているの。それに対して私が返せたことはこれまで一つもなかった……。そう思うと、このお話は、私がお姉さまを助けるために、受けるべきだと思うの。それに、お父さまもお母さまも、『役割』を果たそうとする私を少しは見直してくれるかもしれないじゃない?」

麗華が強い決意でそう言うと、老師は、本当に良いのかい? と問うた。

「少し……、噂の皇帝の話は怖いと思ってますけど、大きな間違いをしなければ命は助かるでしょうし、翠の目も、見飽きたら捨てられるだけです。そうなったらまたこの店に戻ってきますから、その時はご恩返しの続きをさせてくださいね。もしうまく宮仕えが出来たら、老師の薬を売り込んで来るわ!」

麗華がにこりと微笑むと、老師は力なく笑った。

「あんたのその真っすぐな翠の瞳、あたしゃ好きだけどねえ……。あんたの性格と同じく」

老師の言葉に麗華は笑った。

「私も老師の事、大好きよ! また戻ってくるから、その時まで私の部屋は取っておいてね!」

老師にぎゅうっと抱き付くと、老師の手が麗華の背をぽんぽんと撫ぜた。それがあたたかくて、涙が出てしまいそうだった。