あんなことがあったからなのか、それともそれ以前からそうだったのか。麗華は寝ても覚めても星羽のことを考えるようになった。美琪や惠燕とは違って権力への欲のない様子、勉強家なところ、麗華のことを受け入れてくれているところ、何時も透明な黒の瞳に笑みを浮かべていること。そしてその瞳が、麗華を見ると嬉しそうに細められること。

麗華には決して女知音の気はなかったつもりだった。それがあの一瞬だけでこんなにかわってしまうなんて! 麗華は胸に手を当てて己の心を考えた。

今日も星羽の誘いを受けてお茶を飲みに来ている。ゆったりとした服装から垣間見える手首や指は白くて長い。茶碗に口を付けていた星羽が麗華の視線に気が付いて、どうかしましたか? と尋ねてきた。

「い……、いいえ! なんでも!」

慌てて目を逸らすが、頬が熱いので赤くなっているのは丸わかりだろう。星羽が変に思わなければいいが……。

「ふふ。麗華さまは元気なのが一番ですよ」

そう言ってまたお茶に口を付ける星羽は麗華の心を分かってて言ってるんだろうか。ちょっと問い詰めてやろうか、と思った時に、宮の外から騒ぎが聞こえた。

「た……、大変だあ! 陛下がお亡くなりになっている……っ!!」

「なんですってっ!?」

「……っ!!」

麗華と星羽はガタンと椅子から立ち上がり、扉の外に右往左往する宦官たちの一人を引き留めた。

「陛下がお亡くなりにって、一体どういうことですかっ!?」

「分かりませんっ! 美琪さまと惠燕さまも同じお部屋で息が浅くなっておられて……っ!」

言われたことが理解できない。

(どういうこと? 美琪さまや惠燕さまと同じ部屋で?)

やはり子を成したのは美琪か惠燕だったのだろうか。親子ともども殺されてしまうとは、きな臭い。嫌な予感がする。

後宮中が大騒ぎになっている中、武郭と胡瑞博が陛下の容体を見に来たのか、大声で叫んでいる。

「今、まさにアギ国へ攻め入ろうと言う時に、なんということだ!」

「これは早急に代理の皇帝を立てなければならん!」

清泉皇帝にはまだ子はなく、先帝の息子の皇太子も争いを避けて行方不明だと言う。残ったのは女ばかりで女帝を立てることを良しとしない詞華国では、代理の皇帝を立てるのが道理だった。しかし。

麗華はあの時星を読んだのだ。確かに冷帝の上には大きな凶星があったが、その後ろで眩いばかりの吉星が見えていた。その星が出てくるのを、待った方が良いのではないかと思った。

「恐れながら、武郭さま、胡瑞博さま。皇帝陛下の今の凶星の後には吉星が出ると、以前星が言いました。此処は吉星が出るのを待った方が良いかと存じます!」

麗華が声を張って言うと、二人が麗華の方を見た。

「ふん! 下賤の血を引いた娘が何を言う!」

「我らは一刻も早くアギに攻め入らねばならんのだ! 猶予はない!」

足早に後宮を去ろうとしている武郭と胡瑞博に思いとどまってもらわなければならない。あの吉星はきっと現れるのだから。

「どうか、お待ちを! 今一度、星を読みます!」

麗華はそう言って、星羽の部屋に持ってきていた星読みの盤とサイコロを持ち出してくる。胡散臭そうな目で二人が見つめる中、麗華は心を静めて盤に向き直る。

(星よ、未来を教えて……!)

サイコロを高く振り上げ、盤の上に落とす。コロコロ、と転がったサイコロは、やはり星の盤上に清泉皇帝の凶星の後ろの大きな吉星を示した。

「今の政はそのままでいればやがて吉星が出てきます。代理の皇帝を立てるなどの運命を変える政は、国を滅ぼします!」

麗華が後宮に響き渡る声でそう言うと、顔を赤くしてわなわなと震える武郭が刀を振り上げた。

「ええい、小娘! 政の邪魔をするな!!」

「キャっ!」

ブン! と刀が振り下ろされる音がしてガキン! と左胸に衝撃を受けた。麗華は振り下ろされた刀の力で吹き飛ばされ、床に倒れ込んだ。

「う……っ!」

衝撃に痛む左胸を抑えると、血は一滴も出ておらず、その代わりに懐に忍ばせておいた大事なものが砕けていた。

……五年前、洞で出会った少年に貰った、綺麗な鏡……。砕けて、粉々になってしまった……。

麗華の瞳からぽろりと涙が落ちる。

大事にしていたものだった。あの少年が、「きっと君の占いを真実にして見せる」を言った日から、麗華は更に星読みに力を入れてきた。彼は読んだ星の通り、仲間に助けられて運命を切り開けただろうか。今この時まで続いていた麗華の負けん気の源である彼に、そう思った。

「小娘、何か仕込んでいたか!」

此方も殺気だっていた胡瑞博が武郭に続いて麗華に向けて刀を振り下ろす。今度こそ駄目だ! と思った時に、また、ガキン! と金属が弾かれる音がした。

床に倒れたままになっていた麗華と武郭や胡瑞博の間に立ち塞がったのは、艶のある黒の髪を靡かせた男だった。

男は背に麗華を庇い、武郭たちに立ち向かっていた。何時の間に現れたのか、四人の周囲には軍の兵士がずらりと並んでいた。

「お、お前は……っ!」

武郭と胡瑞博が驚愕の目で男を見る。男は冷静な声で武郭たち二人に告げた。

「武郭、胡瑞博。お前たちを、皇太子暗殺未遂で捕縛する」

その声に聞き覚えがあった。たった今さっきまで、麗華と一緒にお茶を飲んでいた、星羽……。

「こ……、こうたい、し、……あんさつ、みすい……?」

呆然と麗華が呟くと、武郭が手に持っていた刀を床にガキンと突き刺した。

「くそう! 殺(や)りそこねていたのか……っ!」

呻きながらその場にくずおれる武郭とその場に呆然と立ち尽くす胡瑞博。そして麗華は、布(ベール)を取り払った星羽の様子をただただぽかんと眺めるしかなかった……。