「そんなこと――」

 そんなことない。そう言おうとした時だった。


 ガタンッ! と勢いよくイスが倒れた音が、室内に響き渡った。


「岡本くんのバカ! 岡本くん、奈々ちゃんのこと何もわかってない!」


 夏生だった。目にじんわりと涙が浮かべて、今までに見たことのない怒りの表情で、岡本を睨みつけていた。

「奈々ちゃんが、岡本くんのことをどうして好きになったか、知ってる?」

「え?」

 岡本は頭が追いついていないらしく、呆然としていた。しかし夏生は、そんな様子を気に留めることもなく言葉を続けた。

「岡本くんが、夢を追いかけていたからだよ。奈々ちゃん言ってた。私と同じで家庭が大変なのに、どんなに苦しくても、どんなにひどい評価をもらっても、佳くんは夢を諦めずにひたむきに追い続けているのがすごいって、かっこいいって。ほんとは私もまた頑張りたい、目指したい。そしていつか、一緒に笑って夢を叶えたいって!」

 夏生は涙声で一息にそう言った。
 俺も岡本も、呆気にとられていた。

「そんな奈々ちゃんが、岡本くんの夢を応援してないわけないじゃん!」

 自分のことのように、夏生は泣き、叫んだ。

 そんな彼女の横顔を、俺はただ見ていることしかできなかった。



 ***



 夏生は一通り気持ちを吐露するとベッドに突っ伏してしばらく泣いていたが、泣き疲れたのかやがてそのまま眠ってしまった。

「泣きまくって寝るとか、なんだか小学生みたいだな」

 気まずさを和らげるために、俺はそんな軽口をたたいた。俺と岡本は、既に小一時間ほど無言だった。

「確かに。高校生って感じしないな」

 イスに座り直してから、岡本はそう言った。その目には、まだ涙の跡があった。

「お前も、大丈夫か?」

「あぁ、大丈夫。目が覚めたよ」

 奈々に何かプレゼントでも買わないとな、と岡本は小さく笑った。それにつられて、俺も笑った。

「それで、どうすんだ? 最後に夏生が言ってた提案、やるのか?」

「うん、やるよ。手伝ってもらうのが、ちょっと情けない気もするけど」

 俺の問いかけに、岡本は苦笑を浮かべつつも頷いた。

「まぁ、いいんじゃないか。困った時こその友達だろ」

「あぁ、そうだな」

 思い新たに、気持ちを決めた岡本の表情。そんな彼の様子を見て、俺はほっと心をなでおろした。

「にしても、こんなによくできた人が霜谷の彼女とかもったいねーな」

 途端に彼はからかうような口調になって言った。さっきまで泣いていたくせに、今はめちゃめちゃにやけ顔になっている。ほんとにこいつは調子がいいな、と思った。

「うるさいな。っていうか、前から違うと何度も」

「そんなこと言ってると、誰かにとられちまうぞー?」

 現に俺は今惚れかけた、と岡本は真面目な顔になって言った。

 その時、ドキリと心臓がはねた。

 一瞬、自分が焦ったのがわかった。

 岡本はそれを見て、なぜか満足げに頷いた。

「いい加減、お前も自分の気持ちに気づけよな」

 人のこと言えねーけど、と彼は自嘲するように言った。そしてそのまま、彼は帰って行った。

 窓の外では、まだ雨が盛んに降りしきっていた。