「美味しかったー!」

 夏生は心から満足そうに叫んだ。

「そだねー! こんなに美味しいバーベキューは初めてかも」

 隣に腰掛けている佐原さんも頷く。
 俺はそんな二人の談笑を横目に、岡本と最後のステーキ肉をかけてジャンケン対決を繰り広げていた。

「よし。一回勝負だからな、霜谷」

「オッケー。ちなみに俺は最初、パーを出すぞ」

「なっ⁉ じゃあ俺はチョキを出す!」

「なら俺はグーかな~」

「もう。早くしないと、私たちが食べちゃうよ?」

 そんな夏生の声に押されるように、俺たちはお互いの手を突き出した。

「あ、負けた」

「よっしゃーっ! 俺の勝利だな」

 岡本は満面の笑みを浮かべると、タレをたっぷりかけて肉を頬張った。さも美味そうに食べるのが、なんというか憎たらしい。

「つーか、花火とか持ってくれば良かったな」

 俺は空を見上げてそう言った。空はもう、夕方の茜色から黄昏時の紫色へと変化しつつあった。あたりには、いつの間にかヒグラシの鳴き声が響いている。

「確かにな。最近花火大会にも行ってないし」

 空になった紙皿をゴミ袋に捨てて、岡本も同じように空を見た。

「ねぇねぇ、花火大会ってどんなの?」

 夏生が急に俺の袖をつかみ、そう聞いてきた。その瞳は、おもちゃを目の前にした子どものように生き生きとしている。

「え? 夏生ちゃん、花火大会行ったことないの?」

 佐原さんが、驚いた様子でそう言った。
 やっべ……。
 僕は慌てた。なんとか取り繕おうと、頭をめぐらす。

「あ、ああ、示野川(しめのがわ)の花火大会の話じゃねーの?」

 咄嗟に出たのは、この辺で一番大きな花火大会の名前だった。一番大きい、といっても、田舎の花火大会の規模の話である。花火の数も八千かそこらのものだが、他に大きな花火大会もないので、毎年ある程度の賑わいを見せているようだった。

 おそるおそる夏生の顔を見ると、コクコクと首を上下に動かしている。

「ああ、なるほど。まぁ、確かにこの辺に住んでないと行かないもんな」

 俺の言葉に納得したのか、岡本は大きく頷いた。佐原さんも、そういえば最近行ってないなー、と岡本をチラチラ見ながらつぶやいている。

 危なかった、と俺は胸をなでおろした。よくよく考えてみると、そこまで慌てるようなことでもなかった気がする。しかし、なにぶん夏生が雪女という事実を知っている身としては冷静に対処する方が難しい。ひとまず危機は去ったと、俺はさらなる話題転換を試みた。

「ほらほらー岡本。佐原さんが行きたがってるぞー」

「え! わ、私は別に」

 佐原さんは気づかれてないと思っていたのか、狼狽(ろうばい)した様子で否定した。その慌てぶりはまさに付き合いたてホヤホヤといったところだ。
 俺は調子に乗ってさらに言葉を投げかける。

「二人で行ったらどうだ? 手でもつないでさ」

「手⁉」

「二人で⁉」

 岡本と佐原さんは顔を真っ赤にしてハモった。
 あーこの二人面白いわー、と俺は先ほどのステーキ肉じゃんけんのリベンジを果たした気分に酔いしれた。これ以上はやめとくかと思い、話を収めようとする。

 すると、岡本が顔を赤くしたまま口を開いた。

「な、なら! お前も雪村さんと手つないで行くんだよな?」

「は?」

 なぜそうなる? そもそも俺と夏生はそういう関係じゃないと何度も……。

 幾度か言ってきた反論をまた言おうと口を開いた時、岡本の口から追撃の爆弾が飛んできた。

「ほら、この前だって病室で雪村さんと……」

「わー待て!」

 俺は思わず叫び、岡本の口をふさいだ。
 こいつは俺の親の前で何を言い出すんだ。誤解されるだろうが、バカ。
 そんなことを目で訴えると、ふさいでいた岡本の口がニヤッとするのがわかった。
 これはさらなる反撃が必要だなと考えた時、予想外の横やりが入った。

「佳生、行こうよ! 花火大会!」

「へ?」

 夏生が、純粋な目で俺を見ていた。

 普通このタイミングで言うか?

 思わずため息が漏れた。そっと両親の方に目を向けると、二人してクスクスと笑っていた。

「夏生、そういうことは……」

「ダメ?」

 夏生は、俺の言葉尻にかぶせて哀願するように迫ってきた。

 顔が近い。俺は思わず数歩後ずさる。狙ってやっているのか、無意識にやっているのか問いただしたくなった。後者ならもはやずるい以外のなにものでもない、と思った。

 俺はしばらく頭を抱えて考えていたが、ここまで言われたら引くに引けるはずもなく……。俺は、ほとんど聞こえないくらいの声で了承の意を示した。

 やった! と小さくガッツポーズをする夏生。

 ゲラゲラと大笑いしている岡本。

 よしっ私も、と何かを決意した佐原さん。

 なにやら微笑ましいものを見るような目で見つめてくる両親。


 俺は、羞恥と嬉しさの狭間で、ささやかな安心感を覚えていた。