霄の宮廷。父竜の座がある広間には八竜の兄姉が揃い、負屓と星蔡を待っていた。それぞれ生まれた順に並び、父竜のそばに控えている。

「あらあら。遅かったのね」

 負屓と星蔡がやってきたことに気づき口を開いたのは、第一子で長女の囚牛(しゅうぎゅう)だ。牛の姿をしているが、竜角と竜尾を持ち、体には竜鱗がびっしりと生えている。
 囚牛は父竜に向き直り、頭を下げる。

「我ら九竜と一人、全員揃いました」
「……うむ」

 囚牛の言に、父竜が頷く。
 九竜は竜の子だが、それぞれ竜と言い難い姿をしている。父竜が様々な獣との間に子を成したためだ。完全な竜ではないものの、竜の子であるため九竜と呼ばれている。

「しかしみな、今日も可愛らしいな。我が子が揃うと可愛らしくてたまらん」

 緊迫した空気が流れるかと思いきや、黄金色の竜はだらりと目を細め、竜の髭をくるりと巻いて喜んでいる。この父竜は子煩悩であった。落ちてきた星蔡を十番目の子として育てたのも、この性格によるところである。

「父よ、いまはそれどころではない。我ら兄弟が集ったのは、あの人間どもをどうするか話し合うためだ」

 碧色の竜狼が言った。第二子で長男の睚眦(がいさい)だ。狼と父竜の間に生まれた子である彼は狼の顔をしながらも、竜のように体が長く伸びている。兄弟で最も好戦的である彼は顔をしかめ、不機嫌を顕わにしていた。
 睚眦の物言いに星蔡は首を傾げた。霄に唯一いる人間は星蔡しかいないはずだ。

「人間って、わたしのこと?」
「そうではない。あれを見ろ」

 答えたのは第三子の嘲風(ちょうふう)(いぬ)と父竜の子で、狗の体に竜翼と竜尾が生えている。彼は目が良いので遠くまで見渡すことができた。
 嘲風が顎先を動かして、部屋の隅を示す。そこには霄の兵に囲まれるようにして人間たちがいた。

「永と霄の間には境界があるというのに……どうして入ってきたの……?」
「けっ。んなことはどうでもいい。さっさと焼いてしまえばいいんだ」

 不安そうに嘆くは第四子の蒲牢(ほろう)。竜の顔をしているが体に魚のひれや尾がある。
 その隣で悪態を吐いているのが第五子の狻猊(さんげい)だ。竜角が生えた、獅子の体をしている。緋色の体は火に強く、尾の先は炎が灯っている。

「子らよ。静かにしろ」

 ざわつく九竜たちを鎮めたのは父竜だった。彼は体をずいと伸して、人間たちに寄る。
 さて人間はというと、父竜を見て怖じ気づく者はいたが、ひとりだけ凜とした表情を崩さなかった。冕冠(べんかん)をかぶり、最も豪奢な衣を纏っている。父竜は彼をじいと眺めた後に告げた。

「おぬしは永の帝か」

 これに冕冠の男が頷く。

「永の心臓、()奉遜(ほうそん)と申す。霄王に頼みがあり、勝手ながら入らせてもらった」

 彼が永の帝であると知り、九竜たちの顔色が変わった。みな口を引き結び、父竜と永帝のやりとりを見守っている。

「帝自らあやかしの地に乗りこむ胆力は恐れ入った。話だけなら聞いてやろう」
「永に、霄から逃れてきたのだろうあやかしが出ている。それを何とかしてもらいたい」
「なぜ霄のあやかしだと断言する」
「水を欠けても消えぬ(みどり)の炎だ、あれは霄のあやかしが用いる妖術(ようじゅつ)鬼火(おにび)だろう。永の民では不可思議な炎を出すことも消すこともできず、消えるまで待つしかない。そのため霄の王を頼るしかないと考えたまでだ」

 鬼火は霄のあやかし以外に出す術はない。人間では太刀打ちできないのだ。妖術で呼び寄せた炎は妖術でなければ消せないからだ。

「ねえ、星蔡。人間は本当に妖術が使えないの?」

 声をひそめて聞いたのは第六子の覇下(はか)だ。亀のような形をしているのは負屓と似ているが、こちらの方が顔つきは竜に似ている。可愛らしい声をしているが、九竜で最も怪力のため、平気で重たいものも運んでしまう。
 その覇下に星蔡が頷いた。人間は妖術が使えない――と説明しようとした時だった。

「星蔡……?」

 予想外の方向から名を呼ばれた。振り返れば、賈奉遜が目を丸くしていた。彼は驚きに声を震わせながら告げる。

「人間が、霄にいたのか」
「色々と事情がありますが、わたしは人間です」
「……そうか」

 奉遜はなぜか瞳を細めていた。星蔡としてはその理由がわからず首を傾げるしかなかったのだが、奉遜は父竜に向き直る。

「こちらからの要求はひとつ。妖術を使える者を貸してほしい」
「鬼火というのであれば霄の者だろう。祓いたいところだが霄の者を貸すわけにはいかぬ」
「なぜだ」
「霄の国に立ち入る術も知っているほどだ、永の帝とあろう者ならば二国間の正しい歴史も伝えられているはず。我らは人に迫害をされ、この地に隠れ住んでいる。鬼火祓いのために出向いた霄の民が虐げられることも考えられる」

 すると奉遜はにたりと笑みを浮かべた。彼はずいと指をさす。その先にいるのは星蔡だった。

「ならばあの者はどうだ。彼女は人間だろう。あの者を貸してほしい」
「え、わたしが?」

 ここで指名されるなど思ってもいなかったので、間の抜けた声が出た。呆けている星蔡と異なり、九竜は第七子、狴犴(へいかん)が動いた。虎の姿に竜翼を持った彼は、翼をはためかせて叫ぶ。

「星蔡は我らが妹も同然。誰が人間に渡すものか!」
「そうだ! 星蔡はぼくたちのかわいい妹だよ!」

 そこに第八子の負屓(ふき)も混ざる。甘えていた時と違い、亀の口から竜の牙がむきだしになっている。相当に怒っているようだ。

「だが適任は彼女しかいない。人間である星蔡ならば迫害を受けることはない。彼女を私の妃として後宮に迎えれば、あやかしを祓うだけでなく、霄との友好関係を示すこともできる」
「永帝は、霄のあやかし妃を迎え入れるというのか」
「私は霄との争いを好まぬ。どちらの国も平穏にあるべきと考えている。霄の第十子と扱われている星蔡が妃となれば、二国の絆は強固になる――どうだ。悪い話ではないだろう」

 父竜は瞳を伏せた。どうすべきかと悩んでいるのだろう。
 霄にとって、永との友好関係は保ちたいところである。いまは霄が身を隠したことで保たれているが、逃げたあやかしが永で暴れ騒げば平穏が崩れるかもしれない。

(死ぬと思っていたわたしに、第二の人生を与えてくれたのは父竜だったから、その恩を返したい)

 寿陵山から落とされた時死んだと思っていたのだ。ここまで生きることができたのは父竜のおかげである。我が子のように可愛がってもらった。
 そのことを思い返し、星蔡は顔をあげた。その瞳は決意に満ちている。

「わたしが行きます」

 これに父竜が瞳を開いた。九竜たちも星蔡の方を向く。
 口を開いたのは第九子である竜魚の鴟吻(しふん)だ。鯉と父竜の子であるため、広間にくると彼女の周りだけ床が濡れている。

「星蔡、あなたは妖術を使えないから、永に行っても鬼火を消すことはできないわ」

 人間の生まれである星蔡は妖術が使えない。鬼火を消す術がないのだ。けれど他のあやかしが永にいけば迫害されるかもしれない。永帝が迫害しないと誓っても、それが民まで伝播するとは限らない。

(どうしたらいいだろう)

 星蔡はうつむき、考える。そこで浮かんだのが九竜のことだった。

「みんなの力を借りられないかな?」

 霄の国で最も強い力を持つのは父竜だが、その子である九竜も個性豊かな妖術を使う。鬼火を消すのも可能だ。
 この提案に父竜が問う。

「星蔡よ。子らの力を借りることは構わないが、あれほどお前を虐げた人間の国に戻るのだぞ。恐れはないのか?」
「はい。わたしが適任だと思います」
「永帝の妃となれば、我や九竜子とも容易(たやす)く会えなくなる。以前のようにお前を虐げる人間がいるかもしれない。それでもよいのか?」

 星蔡の頭に、呉家で過ごした日々が蘇る。ひどい日々だった。それに比べ霄で送った八年のなんと幸せなことか。

(だからこそ、霄を守りたい)

 星蔡は父竜を見上げた。

「わたしは永の後宮で、あやかしの妃となります。九竜の力を借りて、永の国のあやかしを祓います」

 こうして霄国第十子の呉星蔡は、永の国で妃となる。その名は妖妃(ようひ)