この日を境に、僕の毎日は少しずつ新しい形を成すようになった。
改めて見てみれば、胡桃と莉桜──拓実につられ、僕もそう呼ぶようになった──はいつも行動を共にしている仲の良い友人同士だった。
胡桃は僕と目が合うと二度ほど視線を左右に彷徨わせたあとに照れくさそうに小さく笑う。だから僕も、胡桃と視線が重なったときにはニッと口を横に結ぶようにしている。
「そんな小さい弁当箱で、足りるの?」
「こう見えて、ぎっしり入ってるんだよ」
昼休みは、この四人で過ごすことが増えた。
拓実と僕は学食で日替わり定食を頼み、女子ふたりは小さな弁当箱を持参。胡桃の弁当は、カラフルでかわいらしいご飯主体のもので、莉桜はほとんどがサンドイッチとサラダだ。
「葉たちは、いつも学食メニューだね」
「弁当ひとつじゃ足りないんだよ」
本当は、僕の母親代わりである叔母さんから「お弁当作ろうか?」と毎日のようにありがたい申し出がある。だけどそれは丁重にお断りしている。
父親代わりの叔父さんは外回りが多いため弁当を持参しないし、小学一年生の妹だって給食だ。僕ひとりのためにわざわざ作ってもらうというのは、どうも気が引けるのだ。
「そっか、育ち盛りだもんね」
「そうそう、成長期ですから僕たち」
放課後には、四人でぶらぶらと海沿いの道を歩きながら帰るようにもなった。
「うーみーはーひろいーなおおきーいなー」
「いーってみたいーなーりゅうぐーうーじょー」
「ちょっと葉! 浦島太郎になっちゃってるじゃん」
「そしたら胡桃は織姫な」
「それ七夕」
「あれ、そうだっけ?」
──こうして一ヶ月が過ぎた頃には、海や空が当然そこにあるように、僕のそばにはこの三人がいるようになったのだ。
「本当、仲間がいるって最高だなー!」
今日も天気は快晴で、心地よい海風が僕の前髪を揺らす。こういうことを口にすると、拓実なんかは「恥ずかしげもなく、よくそんなセリフを」なんて苦笑いするけど構わない。
ここは海沿いにある、ちょっとした広場。水平線に平行するように敷かれた堤防と続くように作られたこの場所は、展望台と呼ぶにはお粗末で、だけどその感じが僕たちは気に入っていた。
「小学生の頃にやってた〝カレッジタイム〟ってドラマ、みんな見たことない?」
今の状況というのは、僕が長い間憧れ続けていたシチュエーションだ。
「五人組の大学生の、青春ドラマでさ。恋愛あり、友情あり、すれ違いありの」
最近、この場所に一匹の子猫が住み着き始めた。僕らの家は全員、なんらかの理由があって猫を飼うことができないため、せめてここで暮らしやすいようにと段ボールで家を作ることにしたのである。
寝床となるタオルを巻きながら熱く語る僕に、莉桜が「ああ」と頷いた。彼女の手元で完成された段ボールが、ことんとアスファルトに立てられる。
「たしか、若手人気俳優がたくさん出てたドラマだ」
そうそう! と僕は顎が外れそうな勢いで頷いた。拓実と胡桃は、記憶を遡っているのかまだピンときていないらしい。
大きな社会現象ともなった人気ドラマ。当時の僕は芸能人の名前などもわからなかったが、純粋に画面に映る五人の姿にひたすらに憧れた。彼らは自由で、ときに壁にぶつかりながらも、仲間たちに支えられ成長していく。
「それまでは〝仲間〟といえば、スポーツのチームメイトとかのイメージしかなかったんだ。だけどそのドラマの中に出てくる登場人物たちは、同じ大学に通っているだけで、性格も趣味も生活スタイルもバラバラなんだよ」
──なにもかもが違うのに、みんなでいると自然でいられる。
そのときから僕の中に、ひとつの憧れが生まれた。このドラマに出てくるような仲間たちと出会うことだ。
同性だけの仲間もいいものだ。しかしドラマから受けた影響は大きく、僕の中でのそれは男女混合グループという形として憧れを強くした。
ちなみに、そういうグループができるのは中学以降だとなんとなく感じていた僕は、その熱い想いを胸に意気揚々と中学校へ入学することとなる。
「で、中学ではそういう〝仲間〟はできなかったわけ?」
段ボールの余分な部分をカッターで切り落としながら、莉桜は顔をあげる。
「男子対女子みたいな対立構造ができててさ。うっかり隣の女子に話しかければ、女子のボスから鉄拳が飛んでくるんだ」
「鉄拳は言い過ぎだろ」
冷静な拓実のツッコミに、胡桃が「葉ってばすぐに大げさに言うからなぁ」と笑う。それに合わせるように、子猫がミャウミャウと鳴いた。
中学生という、大人への扉に手をかけたような多感な時期。当時、男女の交流を深めたいと思っていたのは、僕だけではなかったはずだ。それでも全体の雰囲気や空気感というものは、そんな好奇心よりも恐怖心を強くするだけの力があった。結局、僕は中学の三年間、女友達と呼べるような存在もないままに卒業の日を迎えたわけである。
「高校一年と二年のときはどうだったの?」
胡桃は溶け始めたアイスキャンディを小さな舌でぺろりとすくい上げると、片方の手で子猫の背中を撫でる。
道中に佇む小さな駄菓子屋で売っているアイスキャンディ。季節に関係なく、これを帰り道に買って食べるという僕の日課は、いつの間にか僕たち四人の日課となった。一本六十円のシンプルなアイスキャンディ。ちょっとの暑さで、すぐにポタポタと溶けてしまう。だけどその素朴さが、なんともおいしく感じるのだ。
「高校入ってからは、友達は男女関係なくたくさんできたよ」
そう答えれば、「見りゃわかるわ」と莉桜がしゃくりとアイスをかじる。
新世界での新生活に、僕は期待で胸をいっぱいにしていた。
「中学と高校って、全然違うって思わなかった? 性別関係なくみんな話すし、いろんな人がいてさ」
おしゃれだったり、物知りだったり。おもしろかったり、個性的だったり。そんな様々な色が、教室の中で、交わったり交わらなかったりしながら共存していた。
「友達っていうか、普通に話すような人たちはたくさんできたんだけどさ。でも本音を言えたり、困ったときには誰々がいてくれる!と思えるような仲間には、出会えなかったんだよな」
これは、高校での二年間だけの話に限ったものではない。思い返せば幼い頃から、うわべだけでワーワーと楽しく過ごすことはしてきたものの、本当の自分を見せられるような場所はずっとなかった。
僕はずっと探していたのかもしれない。
常に明るい僕じゃなくても存在を認めてくれて、ここにいていいんだと思えるような、自分の居場所を。
「ここまで僕たちは、別々の時間を過ごしてきたんだよな」
「そりゃあ、そうだろうな」
僕がそうしていたこれまでの時間を、胡桃も拓実も莉桜も、それぞれの場所でそれぞれに過ごしていた。そんなバラバラだった四人が今、当たり前のように一緒にいることが不思議に思える。そしてそれは本当に──。
「奇跡だ!」
青空に大きく両手を突き上げると、どうやら右手に持っていたアイスの滴が胡桃の頬に飛んだらしい。
「いきなり腕上げないでってばー!」
野生の小動物のように警戒心をまとっていた胡桃は、この一ヶ月ですっかり僕らに心を開いた。未だに他の人たちには引きつった愛想笑いを浮かべるくらいだが、四人でいるときにはよく笑い、よく怒り、よくしゃべる。
擦った頬を膨らませる胡桃に「ごめんごめん。暑そうにしてたからつい」と冗談を返せば、カラーペンを握ったままのチョップが背中に飛んでくる。
「うおっ! 鉄拳飛んできた!」
「鉄拳じゃないもん!」
真っ青な海。真っ青な空。広場の先に置かれたテトラポットの上へひょいっと上った僕は、爽やかな夏の香りが交じる風を思い切り吸い込んで目を閉じる。
「葉ー! ほら、ネコハウス完成したよ!」
目蓋を開けて振り返れば、三人と一匹が僕のことを見上げて笑っている。
「なあなあ、みんなで交換ノートやろう!」
「うわあ、葉って本当ベタなの好きだよね。悪いけど、わたしパス。拓実とふたりでやれば?」
「莉桜、俺に押し付けんなよ。胡桃はどう思う?」
「……葉がどうしてもって言うなら、仕方ないかなぁと思うけど!」
やいのやいのとなんでもないことで騒げる僕ら。
──最高。これが最高以外のなんだっていうんだろう。
僕たちは運命の出会いを果たした。
これは全ての始まりで、ここからずっと続いていくもの。周りが変化していったって、きっと僕らは変わらない。
このときの僕は、そう信じて疑わなかったのだ。