「う……」
 荒縄で縛られた身体。猿轡。
 既視感を覚える。後宮内での出来事とは到底思えない。――この恐怖。この痛み。身体に食い込む縄。
「――おかしかったですか? 嘘の占いに食いついて、化粧を直し、月夜に映えるよう淡い色の袍に着替えて待っていた我らは、さぞ滑稽(こっけい)に見えたでしょうね」
 闇の中から――聞き覚えのある声がする。
「…………」
 答えようがない。翠玉は、口に猿轡をされている。
 高い場所にある窓から、ただ一筋、月明りがさすだけの暗い場所だ。
(見覚えが……あぁ、祈護衛の書庫と、造りが同じ……)
 おそらく、ここは後宮の南側の建物の中のひとつだ。
 箱があちこちに積まれている。倉庫として使われている場所らしい。
(生きてる)
 いったん、その事実に安堵する。
 だが、絶望的な状況であることは間違いない。安堵は一瞬だった。
「ずいぶんと、侮ってくれたものです。――外して」
 猿轡が、解かれた。
 呼吸が乱れ、せき込む。
「……(きょう)……夫人でございますか?」
 衣ずれの音がやみ、窓から差す月明かりの下に、姜夫人の姿が見えた。
「陛下に望まれ、()(すい)殿に来た新しい夫人。――その正体は怪しげな占師。人をバカにするにも程がある。私は、侮られるのが一番嫌いです」
 周りにも気配がある。縛られて身動きが取れないが、きっとあの屈強な侍女たちが控えているのだろう。
 少し離れた場所で「うぅ」とくぐもった声が聞こえた。
 やや、目も暗さに慣れた。音のする方を見れば、李花(りか)が柱に縛られている。
(あ……李花さん!)
 その頬は、涙に濡れていた。
 ひと通りの尋問は済んでいるのだろう。――尋問したのは姜夫人である。ほとんどすべてを話したと見るべきだ。
「恐れながら――」
「お黙りなさい。質問は私がします」
 姜夫人は、キッと鋭くこちらを見た。
「私の目的は、呪詛の解除でございます。貴女様とは利害も一致いたしましょう」
「その手には乗りません。お前の口が達者なのは、よく知っていますから」
 冷たい視線が、翠玉を射った。
 だが、ここで怯めば、脱出は絶望的になる。
「姜夫人。未来のご夫君を救うために、我らは手を尽くしております。呪詛に用いる蟲をひとつ暴きましたが、いまだ呪詛は続いております。なにとぞ、この場はお見逃しくださいませ。必ずや――」
「占いだの、呪詛だのと世迷い事を。お前まで、陛下が双子だと言うつもりですか? バカバカしい!」
 やはり、李花は洗いざらい吐いたようだ。
 皇帝は双子。即位した弟が呪詛に倒れ、三家の自分たちは呪詛を解くべく、影武者の兄に招かれたのだ、と。
「左様でございます。この件は、姜夫人の胸ひとつにお留めください。二百年の因縁ゆえに、陛下――おふたりは、(あざな)まで共有してお育ちになられました。今回の件を伏せておりましたのも、皆様を軽んじたがゆえではございません。加冠も間近。知らせぬ方が、お気持ちの負担になるまい、と兄君はご判断されたのです」
 必死に、翠玉は言い募った。
「双子の話はもういい。それで、お前は占いを装い、なにを調べていたのです?」
「呪詛の主でございます。呪詛の主は、この後宮内に存在いたします」
 後ろにいた侍女が「なんだと!」「愚弄するか!」といきり立つ。
「まさか、私にまで疑いがかかっていたとでも言うつもりですか?」
「はい。三名の夫人がた。あるいはその身近にいる者が、強く疑われます」
 ふん、と姜夫人は鼻で笑った。
「国の要職に就く父を持ち、早期の懐妊を国中から望まれる我々が、なぜ陛下を呪詛せねばならぬのです。実にバカバカしい。――柱に縛って」
 姜夫人の指示で、翠玉は李花が縛られた柱の横まで、引きずられた。
「わ、私は、潘氏の養女を装いましたが、三家のうち(こう)家の末裔でございます。三家も、この呪詛に巻き込まれ、家族の命を狙われたばかりか、廟まで焼かれました!」
「……その、廟が焼かれたという話は本当ですか? あの娘の、口から出まかせだとばかり……」
 姜夫人が、李花を見る。
 李花の自白は、大袈裟な嘘だと思われていたらしい。
 やや風向きが変わった。翠玉を柱に縛りつけようとしていた、侍女の手も止まる。
 ここで、翠玉は自ら膝を折った。
「誓って嘘は申しません。江家も劉家も廟を焼かれ、宝牌は灰と化しました。――しかし、それは言い訳にはなりませぬ。呪詛の主か否かを探るため、姜夫人を欺きましたこと、心よりお詫び申し上げます」
「……もうよい。そちらにも事情があったのはわかりました」
 姜夫人が、手で合図した。
 翠玉を縛っていた縄が解かれ――ようとしたその時だ。
 ぎぃ、と音を立てて、扉が開いた。