13日土曜日。学校中にチョコレートの匂いがする。教室でも廊下でもクラブハウスでもチョコレートを渡す女子と受け取る男子の姿があった。

勿論岸田と山内も同様で、あちこちで呼び止められてはチョコレートを受け取っていた。岸田はにこやかな笑みで、山内は無表情で。

珊瑚が部活の後でクラブハウスの方へ行くと、ちょうど岸田が着替えを終えて出てきたところだった。手には既にチョコレートの詰まった袋が三つも……。もう珊瑚のチョコなんて、要らないんじゃないか。そんな気さえした。

珊瑚が居ることに気付いた岸田が微笑んでこっちへやってくる。

「珊瑚ちゃん。山内はまだ女の子に掴まってるんだ。少しこっちで待っていよう」

「あっ、そうですね」

クラブハウスの陰の階段のところで二人で腰掛ける。珊瑚はサブバッグから持ってきたチョコを取り出した。

「あの……、ご要望にお応えして、チョコレートです」

推しにチョコレートを差し出すことになるとは、二ヶ月前の自分では考えられなかったことだなあ。そう思って渡すと、岸田は嬉しそうにチョコを受け取ってくれた。

「ありがとう、珊瑚ちゃん。……そっちは山内の分?」

そう言って岸田が見るのは同じサブバックからラッピングの頭がはみ出したチョコレート。山内の分だ。岸田の問いにこくんと頷くと、岸田は少し寂しそうな顔をした。……何だろう?

「僕が二人宛てで良いって言ったからだと思うんだけど、本当は珊瑚ちゃんから僕だけに欲しかったな……」

「えっ、ええっ? そんなこと、出来ませんよう……。お二人とも、私の最推しです……」

言葉尻弱く珊瑚が言うと、岸田もちょっと寂しそうに微笑む。

「僕さあ、……いっつも肝心要のとこで活躍出来ないんだよね。そこへ行くと山内は決勝点にも絡む活躍が多くて、僕はいつもあいつのガッツポーズを受け止める役なの」

そうかな。中盤でゴールを決めることも、試合の流れには重要な役目だと思う。それでもフィニッシュを決められない悔しさに、岸田は口を歪めていた。

「……珊瑚ちゃんの展示パネル、あれ、僕の数少ない決勝ゴールの瞬間なんだよね。あれ見た時、嬉しかったなあ……。あー、ちゃんと僕の大事な瞬間を、こうやって取り上げてくれる人が居るんだーって、……ホントに嬉しかった」

そうだったのか。あの写真、焼いてフォトフレームに入れて岸田にあげても良いな。そう思ってたら、岸田が珊瑚に向き直った。

「……チョコもさ、珊瑚ちゃん興味なさそうだったから、二人宛てで良いって言っちゃったけど、……ホントは僕だけに欲しかった。……僕だけを、選んで欲しかったんだ……」

少し、寂しそうに。珊瑚の心臓がずきずきと痛む。岸田の寂しそうな眼を、珊瑚は救ってあげられない。推しに対して出来ることがないということが、珊瑚に罪悪感を覚えさせていた。

「ご……、ごめんなさい……っ」

岸田に対して頭を下げる。岸田は珊瑚を弱い目で見て、良いんだよ、と小さく微笑んだ。

「僕の救世主だった珊瑚ちゃんと話せてよかった。彼氏にはなれなくても、これからも推しで居させてくれる?」

無理して笑う岸田の手をぎゅっと握った。岸田が驚いている。

「勿論です!」

「あは。珊瑚ちゃんから手を握ってくれたの、初めてだね」

そう言えばそうかもしれない。推しに対してそれを可能にさせてくれたのは、間違いなく岸田の人格だ。

素敵な人を好きになれてよかった。岸田が珊瑚の推しで良かった。心からそう思えた。

「じゃあ、僕は帰るね。多分もう直ぐ、山内もクラブハウスから出て来るよ」

まるで珊瑚の心を分かったみたいに岸田が言う。立ち去る岸田の背中に対して90度腰を折って最敬礼をする。珊瑚の気持ちだ。

ずっと岸田が去って行った校門の方を向いて最敬礼をしていたら、背後から声が掛かった。

「なにしてんの、お前」

山内だった。珊瑚は山内の声を聴いただけで心臓が早く打ち出したのを自覚した。

「雄平は?」

「あ……っ、も、もう帰られました……」

おどおどと言う珊瑚に、あっそ、と言ってそれから、そんじゃ帰るか、と珊瑚を促してくれた。でも珊瑚は此処で渡さなければいけないものがある。

「や、山内くん……っ」

呼び掛けに振り向いた山内の視線の前に、サブバッグから取り出したラッピングされたチョコを差し出す。山内は何の感慨もなくそれを受け取って……、そしてあろうことかその場で包みを開いて一つチョコを食べた。

「やっ、山内くん、チョコ嫌いだったのでは!?」

この前確かにそう聞いた。だから処分するのに困らなさそうなチロルチョコにしたのだ。山内は、チョコをもぐもぐと咀嚼して食べきってしまうとこう言った。

「部活で疲れてて甘いもん欲しかったんだよ」

それにしては、手に持ってる袋には親衛隊はじめ学校の女子に貰ったと思しきチョコが沢山詰まっているが。

「……山内くん……?」

よくよく観察すると、短髪の髪に隠れない山内の耳の先が赤い。山内はごほんと咳ばらいをすると、

「どれ食べたって、俺の勝手だろ」

と言って、珊瑚を置いて帰ろうとする。珊瑚は慌てて山内の背中を追った。

「待ってください、山内くん」

「早く歩かねーと雄平捕まえられねーだろ」

すたすたと歩いていく山内を追って珊瑚は走る。どきんどきんと逸る鼓動を感じながら、山内の隣を歩く。山内は珊瑚を見てくれなかったけど、隣を歩くことを拒否しなかった。じわりとあたたかい水のようなものが珊瑚の胸の奥を満たしていく。



――――大山珊瑚、この日初めて『好きな人』が出来ました。