今、私は小学校の高学年に戻っていた。上擦った声が、弱々しく先輩に届く。気付けば、前のめりになって話していた私は、九条先輩の指先を握っていた。まるで、ハリッチを握るかのように。
「嫌われるかも……しれない」
 絞り出たその言葉は、あまりにも幼稚な言葉だった。高3になってまでこんなことを言うなんて、自分でも驚くくらい情けない。でも、それが自分で自分の成長を止めていたということだろう。
「うん、そうなるかもしれないし、ならないかもしれない」
 先輩は、私の指を握り返して、優しい声でそう言った。
また、風が通る。体育館の空気を、私の気持ちを、入れ換えるかのように。
「でも、そうなる経験をしたんなら、そうならない経験もすべきだし、ちゃんとその未来も準備されてるはず。今周りにいる人間が以前と同じ人間とは限らないし、最初からあきらめるんじゃなくて、一度ちゃんと信じてみたら?」
「…………」
「あんたに今必要なのは、傷付く勇気と信頼する勇気でしょ」
 私は、涙がこぼれる前に手の甲でそれを拭った。そして、もう片方の手で握っていた九条先輩の手を離す。
すると、先輩がその手でまた、頭をポンポンと撫でてくれた。そして、パンッと藍川先生みたいに柏手を打つ。
「ほら、時間がもったいないから、最後に1対1するぞ」
 
「ありがとうございました」
 片付けを終えて体育館から出た私は、また自動販売機の前で頭を下げた。
前回は、いつだったっけ。あぁ、藍川先生が結婚するかもっていう噂を北見さんたちに聞いた直後だった。あの日、先輩の恋が苦しそうで、私のほうが泣いてしまったんだ。
「先輩のおかげで、いろんなことに気付けました。おかげで、明日の試合は……」
「かたい、かたい。頭でわかるのと体で動くのはまた別だから、そんなに気負うな。自分に完璧を求めなくていい」
「……すみません」
「だから、謝らなくてもいいって。悪いクセだぞ、それ」
 そう言いながら、先輩は自動販売機でスポーツドリンクをふたつ買った。そして、そのひとつを私に手渡す。
「はい」
「え? あ、お金払います」
「いいって」
 先輩がキャップを開けて飲むのを見て、私も「ありがとうございます」と言ってから、ひと口飲んだ。冷たい液体が喉を通ったことで体が生き返り、気持ちも新たになった気になる。
「明日の試合、来られないって聞きました」
「あぁ、うん」