「違ったらすみません。これ、もしかして、あなたの落とし物じゃありませんか?」
彼女は、バッグから何かを取り出して聞いてきた。
「え……?」
それは、なくしていたハリネズミのストラップ……ハリッチだった。思わず、
「わ、私のです!」
 と声を上げて受け取る。
 聞くと、前回バスで一緒になったとき、私が降りる直前に落としたのを見たらしい。呼び止めようとしたけれどすでに降りた後で、次回このバスを使うときに会えたら渡そうと、持っていてくれていたみたいだ。
「よく考えたら、運転手さんに預ければよかったんですけど、遅くなってすみませんね」
「いえっ! 本当にありがとうございます」
 深々と頭を下げてお礼を言うと、彼女は奥の席に座り、バスが発進した。
 バスで落としてたんだ……これ……。
 私は戻ってきたハリッチを見て、そうだったのか、と納得する。そして、これが手元になかった期間を思い出していた。
 家に帰りついた私は、いつもならバッグに戻すはずのそれを、そっと自分の部屋の棚に座らせるように置き、「うん」と言って頷いたのだった。



「えーと、九条コーチは夏休み前の試験やレポート提出期間で平日は忙しいらしく、しばらくお休みになります。ちなみに、今度の日曜の地区予選の日は、別件で来れないそうです」
 翌週の月曜日、藍川先生からそんな話が聞かされた。大学の夏休みは、私たちよりも早めに始まるらしく、試験も早いのだという。
 部員のみんなが「マジかー」と頭を抱えるなか、
「先週までの練習メニューをひたすらこなせ、との伝言です。いないからって、気を抜くなよ」
 と先生が発破をかける。
 ……先輩、いないのか。
 試合に向けて頑張ろうと決心した途端、そして九条先輩への気持ちを自覚した途端、先輩とのつながりがぷつりと断たれたようで、少し悲しい。
 そして、政本君が部活に復帰したこともあり、バス停ではひとりになった。今までどおりに戻っただけなのだけれど、ひとりで座るベンチが広く感じてしまう。
「…………」
 他の部活を終えた生徒たちが通り過ぎていくのを眺めながら、私は思い出していた。
ここで、先輩と初めて話したこと。お互いの身の上話をしたこと。失礼なことを言われたこと、言ってしまったこと。そして、笑い合ったこと。
「……懐かしい」