そして、追加で小銭を入れようとして、百円玉がなかったから五百円玉を入れた。自動販売機へ顔を向けている私は、なにも言わない先輩に「ほら、早く」と急かす。
「…………」
「あ、お金落ちてきちゃった。もう1回入れるので、今度は押してくださいね」
「あのさ」
 再度、選択ボタンにランプが灯る。すると、背後から私の顔の横を通り、先輩の腕が伸ばされた。ピ、と音がして、ガコンと缶が落ちてくる。
「なんで、あんたが泣いてるの?」
 しゃがんだ先輩が、取り出し口からミネラルウォーターを取り出した。同時におつりが落ちる音が響く。
 下から覗きこまれ、私は慌てて反対方向を向いた。鼻で息をついた先輩は、おつりを取り出し、「ほら」と言って私の手を握る。
「あのね、俺はもともと千早に遠恋の年上彼氏がいること知ってたし、結婚間近だってことも知ってるの。親同士が仲いいから、嫌でも耳に入ってきて」
 先輩はそう言いながら、私の指を開かせ、おつりを手のひらに掴ませた。私はもう片方の手で目を擦る。涙が手の甲を湿らせたのがわかり、“なんで私は泣いているんだ”と、先輩と同じことを思った。
「だから、べつにどうこうするつもりなんて最初からないし、俺の中ではちゃんと整理がついてるわけ」
「でも」
「でももだってもなく、俺はずっと“弟みたいなものだから”って言われ続けてきたし、実際そういう間柄。それに、恋愛なんかを持ちこんで、縁を切るようなきっかけを作りたくない」
 恋愛なんか……。“なんか”っていうことは、藍川先生との関係が、それよりももっと大事なつながりだと言われているようだ。
「わかった?」
「わかりましたけど……」
 なんだろう、この締め付けられるような気持ちは。先輩の気持ちに同情しているのか、自分の気持ちが沸き上がってきているのか、わからない。ただの、シンプルな気持ちではない。
「あと、澪佳は泣くなら、他人のことじゃなくて自分のことで泣け」
 先輩の手が、ポンと私の頭にのっかった。それが、バス停から見た藍川先生の車の中での光景と重なり、また苦しくなる。
 発作とは違う、胸の高鳴りと息苦しさ。先輩とその場で別れた後も、それはしばらく続いたのだった。