「早……」
 そう言って歩いていった先輩の後ろ姿、そしてその奥の政本君を見て、私は思い出していた。そういえばさっき政本君に耳打ちされたときに、そこまでドキドキしなかったな、ということを。

 バス停に着くと、九条先輩が定位置に座っていた。金曜日は先生に送ってもらったからだろうか、ここで会うのが久しぶりに感じる。そして、土曜日もふたりきりだったというのに、隣に座るこの空気に戸惑ってしまう。
「おつかれ」
「おつかれさまです」
「はい、手」
 腰を下ろすと同時に、先輩が手を差し出してきた。いつもと変わらない流れだ。
「……はい」
 けれど、これもやはり1週間ぶりだからか、緊張している気がする。きゅっと緩く握られ、あれ?いつも握り返していたっけ?そのままだったっけ?と、よくわからなくなった。それに、手汗が気になる。
「土曜日、合計1時間しかしなかったけど、日曜に筋肉痛なかった?」
「ちょっと太ももが痛くなったけど、ほぼ大丈夫です」
「あそ。よかった」
 行き交う人や車をぼんやり見て、そして空へと目を向ける。梅雨に入ったからだろう、朝からずっと低い雲が空を覆っていて、19時の暗さもいつもより深い気がする。
「結局土曜日大丈夫だったけど、まだ千早には何も言わないの?」
「……はい。月末に後藤さんが転校するまでに代わりが見つからなくて、それで、私が引き続き大丈夫そうだったら、判断しようかと。先生に言うのは、それからでいいかなって」
引き続き、というのは、先輩に『土曜日の総合体育館での練習、続けるから』と言われているからだ。試合云々のことを考えると複雑だけれど、正直言って、九条先輩にバスケを教わるのは楽しい。だから、『わかりました』と素直に答えてしまっていた。
「あ! そうだ」
 私は、つないでいた手を離し、バッグを開けてゴソゴソと準備していたものを探す。そして、中から小さな袋を出し、先輩へ差し出した。
「なに? これ」
「リストバンドです。みんなと同じ赤で、藍川先生ともおそろいです」
「あぁ」
 先輩はクスリと笑った。冗談で言ったのに、という顔だ。
「いくらだったっけ? 500円?」
「あれは冗談です。お金はいらないです」
「じゃあ部費で出したの?」
「いえ、個人的な財布から」
 そう言うと、先輩がぎょっとする。
「それじゃ俺、めちゃくちゃ図々しいだろ。払うよ」