「見て見て、何気に手をつないでるじゃん」
「ホントだ。いいなぁ、カレカノ」
 部活終わりの19時、バス停のベンチに座る私と先輩の前を、ふたりの女子生徒がひそひそ話をしながら通り過ぎていく。
「でも、あの男のほうって、うちの生徒じゃなくない? 制服じゃないし」
「あ、私、知ってる。あの人、うちの高校の卒業生だよ。OBでコーチに来てるんだって。たしか……」
 ふたりの後ろ姿を見ると、右の子が人差し指を立てて、もうひとりに説明している。
「バスケ部」
 風がふたりの声をさらい、私たちだけになったバス停に、また沈黙が戻ってきた。屋根から覗く葉桜が、外灯を透かしながら薄闇に揺れている。

 私たちは、恋人同士だ。でも、それぞれ違う想い人がいる彼氏と彼女。
肩と肩が触れていても、手と手をつないでいても……これはあくまで疑似交際。

「ねー、荘原(そうはら)マネって、もしかして政本(まさもと)のこと好き?」
 部活の練習開始前の体育館で、同級生である女子バスケ部の北見(きたみ)さんが私の肩に手を置いた。みんなのドリンクボトルを長机に並べていた私は、突拍子なその質問に目を丸くする。
「え? なんで?」
「なんかさ、真梨香(まりか)が、そうじゃないかなーって言ってて。あ、ごめん、真梨香が政本が好きって内緒ね? だってさ、同クラのマネージャーってだけで、ほら、カップルになる可能性って高いわけじゃん? だからあの子、荘原マネのこと気にしててさ」
 そこまで聞くつもりはなかったのに、詳しく説明しだす北見さん。友人思いなのだろうか、同じ女バスの根津(ねづ)真梨香さんのために、勝手に動いているのがわかる。
 察した私は、微笑んで首を横に振った。
「全然だよ。だって私、他に好きな人いるし。それに、マネージャーだからって、そういう対象として思われてないよ、全く」
「マジ? あー、よかった。あ、いやいや、荘原マネは魅力的だよ? 縁の下の力持ちって感じで、みんな感謝してるし」
「ハハ。ありがとう」
 北見さんは、誰とでもフランクに話せるような明るいタイプの女子だ。サバサバしていて、率直にものを言う。おでこ全開のポニーテールも、よく似合っている。
「ちなみに、好きな人ってバスケ部の男子?」
「違うよー」
笑って答えると、北見さんは「そっか、ありがと」と言って、女バスの子たちのほうへと戻っていった。Tシャツにハーフパンツの部活姿に着替えた生徒たちが、外の部室棟から体育館へとまばらに集まってくる。
この第1体育館は、バスケ部とバレー部で真ん中で分けられ、半分ずつ使用している。そして、私たちバスケ部は、一応、男子バスケ部、女子バスケ部と別れてはいるけれど、ウォーミングアップやフットワークなど、最初の練習は男女混合。その後、シュートやドリブル練習、試合練習になると、コートを分けてそれぞれで行う流れだ。
ちなみに男子は13人、女子はぎりぎり5人。顧問は藍川(あいだ)先生という女性教師がひとりで、そしてマネージャーも私ひとりだ。マネージャーは、私の他にもうひとりいたのだけれど、この春に卒業してしまい、私だけになってしまった。
しばらくすると、ランニングやウォーミングアップが始まった。足音が体育館中に地鳴りのように響き、そろえられた掛け声が気持ちを高揚させていく。
私は救急箱とアイシングの準備をしながら、走っている男子バスケ部員たちを見つめていた。
「…………」
 政本君……か。
 さっき名前の出た彼は、バスケ部のエースだ。私と同じ3年生で、この春初めてクラスも同じになった。でも、だからと言って特別親しいわけではない。教室では挨拶程度だし、他のバスケ部員たちと同じくらいの距離感だ。
 私はただ、斜め後ろの席から彼の様子を見つめているだけ。そう、この体育館で今こうして見ているのと同じように……。
「はい! 集合」
 通る声と大きく手を打つ音が響き、我に返った。遅れてやってきた藍川先生が体育館に入ってきて、バスケ部のみんなを集める。
藍川先生は、社会科教師だけれど、バスケ経験があるということで顧問をしてくれている。たしか、24歳だっただろうか。直毛のショートカットがよく似合っていて、運動神経抜群。小柄な女性ながらも、とてもキビキビしていてかっこいい先生だ。
 男女バスケ部員たちが先生の前にそろい、マネージャーの私は、少し離れたところからその様子を見守る。すると、先生に促されて、誰かが体育館に入ってきた。
 あれ?
 みんながそんなきょとんとした空気を出した直後、すぐに3年生だけがワッと沸く。
「九条(くじょう)先輩!」
 185センチくらいの長身に、無造作な黒髪。スタイルもよく、ダークグレーのジャージに、上は白Tと黒のウィンドブレーカー姿で登場したのは、2年度前、去年の春に卒業したバスケ部OBの九条敦也(あつや)先輩だった。
 私は1年生のときからマネージャーをしていたので、高校が重なっていたのは1年間。そして、部活となると3年生は夏までだから、実質4ヶ月くらいしか関わりのなかった先輩だ。
「お久しぶりです、先輩!」
 3年のみんなが口々にそう言って頭を下げる。私も、急に背筋が伸びたような気持ちになって深々とお辞儀をした。
 たかだか4ヶ月だったけれど、当時3年男子部員が多かった中、その実力とカリスマ性はすごかったのを覚えている。普通の高校なのに、ひとりだけ飛び抜けてバスケのセンスも得点力もあり、スポーツ推薦で大学入学まで果たした人だ。
「彼は、OBの九条君。今日から週に2回、火曜日と金曜日にコーチに来てもらいます。最近キミたちが弛んでるから、喝を入れてもらおうと私がお願いしました」
 藍川先生が仁王立ちで勇ましくそう言うと、部員たちが野太い声や高い声で騒めく。驚いた私も、「えっ!」と小さく声を出してしまった。まったく聞かされていなかったからだ。
「九条です。よろしくお願いします」
 九条先輩が、短い挨拶をする。3年部員も、彼を知らない1、2年部員も、ちょっと浮かれたようなソワソワした雰囲気で「よろしくお願いします」と、また頭を下げた。
 その日の九条先輩は、みんなの練習風景を見学しながら藍川先生と話をしたり、メモを取ったりしていた。部員たちは緊張もあるのか、日頃しないようなミスが目立った。
 私は、先生に言われ、直近1年間くらいの試合結果記録や日誌を九条先輩に手渡した。先輩は、真剣な目でそのスコアや反省に目を通し、また先生と話を続ける。
「なんすか、この惨敗日」
「あー、これはたしか、アレだ。政本がインフルで試合出られなかった日」
「へぇ、ひとり抜けただけでコレって、ダメでしょ」
 九条先輩の言葉に、先生がケタケタ笑いながら、
「だから、呼んだんだよ」
 などと言っている。そして、その言葉にわずかに口角を上げる先輩。
私はその様子を傍らで見ながら、ちょっと意外だなと思った。先生相手だからかもしれないけれど、九条先輩の空気感が以前よりも柔らかく感じたからだ。
2年前は、もっと無口で不愛想で、ストイックゆえに自分にも他人にも厳しかった。同じチームの仲間と衝突していたのを目撃したこともあり、どちらかというと怖い存在。だから、私も必要最小限の挨拶や会話しかしなかったし、マネージャーとして下手なことをしないように必死だった。
そんな彼が、コーチを引き受けたり、先生と談笑したりしているなんて……。

 部活も片付けも終わった、19時。みんなの忘れ物がないかチェックを終えた私は、最後に部室に鍵をかけ、バス停へとひとりで向かう。
私の使うバス停は、高校の裏手側、学校敷地を囲む生垣が途絶えるところにあった。私の家はちょっと辺鄙なところにあり、バスで45分と遠く、この時間に同じ停留所のバスに乗る部活生はいない。みんな、徒歩か自転車か電車通学だった。
裏門を出てすぐ左に曲がった私は、外灯が等間隔に設置されている歩道をバス停に向かって歩く。高校の裏通りは一車線ずつの広くはない道路で、並木道とまではいかないけれど、桜の木がぽつぽつと続いている道だ。交通量は、多くはない。
屋根付きで、その内側に頼りない照明のついたバス停は、薄暗がりの中にぼんやりと浮き上がって見える。立っているバスの時刻表が、まるで人影みたいだ。
「……あれ?」
いつもなら私ひとりのことが多い、閑散としたバス停。けれど、そのベンチの端に、人が座っているのが見えた。白Tに黒のウィンドブレーカー。それは、さっきまで体育館で一緒だった九条先輩だった。
「おつかれさまです」
 頭を下げてそう言った私に気付いた先輩は、
「……おつかれ……」
 と、ピンとこないような顔をしたあとで、「あぁ」と思い出したかのように頷く。
「マネージャーか」
 パッと気付いてくれなかったことが悲しいのか、ちゃんと思い出してくれたことが嬉しいのか、なんとも複雑な気分だ。私は、空気を悪くしないように、
「そうです」
 と微笑み、ベンチの横にたたずんだ。
バス停の向かいには、小さな公園とマンション、民家がいくつか並んでいる。近くの横断歩道を渡ってしばらく歩いたところにコインランドリーとコンビニがあり、その灯かりがこの辺では一番明るい。
私は、そちらのほうを眺めたまま、先輩の存在にソワソワしていた。
 高校のときの先輩は、たしか自転車通学だったはずだ。ということは、今は大学近くでひとり暮らしをしていて、そちらへ帰るべくバスに乗るのだろうか。私の乗るバスの路線は大学方向じゃないから、違う路線? それなら私のバスより後に来るはずだから、待ち時間は……。
「なげぇ……」
 ぼそりと呟いた九条先輩に、私の肩は上がった。たしかに、そうだろう。私のバスが来るのも、15分後だ。同じバスじゃないのなら、九条先輩はもっと待つことになる。
 私は、そのひとり言にリアクションすべきかどうかを考えた。間柄的には同じ部活に属していた先輩後輩、そして現在コーチとマネージャーなのだけれど、気軽に話せるほどの仲ではない。むしろ、恐れ多くて近寄りがたい存在だ。
でも、だからこそ、この15分を沈黙で過ごすのは気まずい気もした。それに、無視をしたみたいで印象が悪い。
なんて言おう。“今、どちらに住んでいるんですか?”……いや、なんか踏みこみすぎてて気持ち悪いかな。“もっと、便数増やしてほしいですよね”……うん、これでいいかも。
「も……」
「座らないの?」
 私が口を開くと同時に、九条先輩がベンチの自分の横に手を置いて聞いてきた。私は、またもや肩を上げ、思わず、
「座ります」
 と、返事をしてしまう。
 言った以上座らざるをえなくなり、端っこにおそるおそる座った。焦げ茶色のベンチは二脚くっついていて横に長く、私たちの距離は人ふたり分はある。けれど、やはり、ふたりきりでのこの空間にこの沈黙は、耐え難いものがあった。
 現在のバスケ部はこうなんですよ、と話題を振るべきだろうか。いや、でも、部活の時間が終わってまでそんな話を出してくるなんて、ウザいと思われるかも……。
「もしかして、A町方面?」
「え?」
「バスの路線。20分以上待つとか、長すぎない?」
 九条先輩が、両手を頭の後ろで組んで顎を上げる。自然に語りかけられ、私はちょっと勢いづき、
「私、B町なんです。だから、15分したらバス来るんです」
 と返事をした。すると、先輩は、
「あ、そう。ずるいね」
と返す。
「もっと、便数増やしてほしいですよね」
 よかった、さっき考えたコメントを出せた。
「まぁ、乗客人数考えたら、無理だろうけどね」
 うん、不発に終わったけれど。
 ちょっと話しただけだけれど、明らかに空気が変わった気がする。それに、やっぱり先輩、話しやすくなっている。先輩が、こちらに気を使ってくれているのかもしれないけれど。
 ……ん? それより……。
 もしかして、これからずっと……九条先輩がコーチに来てくれる火曜日と金曜日は、この帰りのバスの待ち時間に一緒だということだろうか。
「政本……」
「えっ?」
「あいつ、だいぶ上手くなってるね」
「あ……はいっ! チームを引っ張って頑張ってくれています」
 話しかけられるたびに、やっぱり背筋が伸びる。でも、政本君の話題は、まるで自分のことのように嬉しい。そして、彼の努力を共有できる人と話せることも、そして先輩もそう思って話してくれているということも嬉しく感じた。
「まぁ、ちょっと荒いところもあるけど」
「そうですね。後半バテがちなところと、怪我しやすいところは気がかりなので、要改善かと」
「よく見てるね」
「はい。部員観察もマネージャーの務めなので」
 そう言うと、九条先輩が短く笑った。この人、こんなふうに笑える人だったんだ。以前の印象があまりにもクールだったから、ちょっと拍子抜けしてしまう。
 次第に深まっていく闇に、外灯の光がはっきりとしてきた。目の前を、数人の部活帰りの生徒たちが笑い合いながら通り過ぎていき、間を空けて座っている私と先輩は、また黙りこむ。
 彼らの声が遠ざかり、私はまた頭の中で次の話題探しを始めた。沈黙が苦手なのだ。なぜかわからないけれど、一度話すと、会話を途切れさせることに罪悪感を覚えてしまう。
私は、バッグにつけている10センチほどのぬいぐるみストラップで手遊びし、先輩の顔色をうかがいながら、おそるおそる口を開いた。
「先輩は、なんでコーチを引き受けたんですか?」
 すると、九条先輩は顎を上げて屋根のふちを眺めながら、「んー……」と言った。
「あ、いや、大学は忙しくないのかな、と思って。講義とか……あと、バスケ続けてるなら練習もあるだろうし」
「続けてない」
「え?」
「バスケ。大学ではもうやってない。半年前くらいに怪我したから」
「…………」
「それに、講義は、火曜と金曜だけ最終コマ入れてない。だから、週2で引き受けた」
「なるほど……」
 どんどん流れていく会話に、私はちゃんと聞き返せないまま、ただただ頷く。でも、“怪我”というワードが頭にこびりついたままだ。
「ど、どうですかね、部員たち。まずは地区予選突破したいですけど」
「本人たちのやる気次第としか」
「でも、先輩がきたので、きっとモチベーション上がってますよ」
「どうだか」
 私は、当たり障りもなく盛り上がらない話を一生懸命つないだ。
 今さらもう掘り返して聞くのも変だ。空気を読むなら、怪我のことは聞くべきではない。周りがどれだけ気になっても、本人が言いたくないことがあるってことを、私はよく知っているのだ。
「あ、バス来た」
 しばらく話をポツポツとしていると、私の乗るバスが見えてきた。15分間、とてつもなく長かったような気がする。バスを見てホッとしてしまったのは、やはり緊張していたからだろう。
 立ち上がった私は、先輩に深々と頭を下げた。
「あの、これからご指導よろしくお願いいたします」
「改まって、なに? マネージャーなのに」
「いえ、私、隅っこにいて、部員たちみたいに正面からきちんと挨拶できてなかったので。それに、あと3年はあと数ヶ月しかないですが、1試合でも多く、みんなに勝たせてあげたいなと思ってるので」
「…………」
 バスが歩道際に横付けして、乗降口が開く音が響いた。バスが連れてきた風が、私の長い黒髪をうねらせる。
「それじゃ、失礼します。おつかれさまでした」
「すげー堅苦しい」
「え?」
「おつかれ。じゃーね」
 手を振ってきた先輩を見て、私はまた会釈をしながら慌ててバスに乗りこんだ。
 ……“堅苦しい”……?
 そんな言葉が聞こえた気がしたけれど、私は気のせいだと思うことにして、バスの後ろの車道側の席に座った。
「……火……金……」
 そして、彼が来る曜日を呪文のように唱え、ふう、とため息をついたのだった。



 3日後の金曜日の放課後、いつものように部員のみんなより先に着いて準備をすべく体育館へと急いでいると、途中で肩を叩かれた。
「おつかれ、荘原」
 振り返ると、政本君だった。
「……おつかれさま」
 体育館へと続く通路は、まだ距離がある。私は、周りに女子バスケの子がいないか確認して、また歩きだした。すると、政本君も歩幅を合わせて横を歩きはじめる。