「付き合いだしたんでしょ?」
「いえ、付き合ってないです」
 そう言うと、まっすぐ前へ向けていた顔をゆっくりとこちらへ向ける九条先輩。納得のいかないような顔をしている。
「なんで?」
「なんでって……」
 先輩は、“両想いなのに”と目で訴えかけているようだ。たしか、私は最初政本君のことが好きだったし、そんな話を九条先輩にもした。
 でも、いつの間にか先輩のほうが好きになってしまっていたんだ。
……とは、こんなふうに急に会って心の準備もしていないのに、言えるはずがない。そもそも、言う必要もないんだ。だって……。
「それより、先輩は藍川先生には、ちゃんと伝えたんですか?」
「いや、“それより”って、話変えるなよ」
「私の話はいいんです。先輩のほうが気になります」
 先輩は眉間にシワを寄せて腕組みをし、背もたれから離した背中を、またベンチにつける。そして、私に対して不本意そうに、
「伝えたよ。今の男を逃すと千早の貰い手はいないぞって」
 と言った。
 え? 
 予想外の言葉に驚き、私はベンチに手をついて先輩のほうへ身を乗り出す。
「いや、そうじゃなくて、逆じゃないですか?」
「大人の話を鵜呑みにするなよ。別れるわけないだろ、遠恋中でもラブラブだった、あの熟年カップルが。いつもの痴話ゲンカだよ」
 先輩は呆れたように私を横目で見る。
「そ……」
 そんなの、知らないし。いや、それだったとしても……。
「いいんですか? 先輩は。好きだって、ちゃんと伝えなくても」
「ちゃんと伝えに来たよ、だから」
 先輩がすかさずそう言って、数秒間、またこのバス停を沈黙が包んだ。車もまったく通らず、赤に変わる前の横断歩道の信号が、誰も渡っていない白線をチカチカと照らしている。
 私は首を斜めに捻った。すると、九条先輩が短く鼻で笑う。
「はい」
 先輩は、ポケットからなにかを取り出し、こちらへ差し出した。手を伸ばしても届かないので、私も先輩も互いの距離を詰める。私たちの間隔は人ひとり分くらいに縮まった。
「……これ」
 手渡されたのは、ハリネズミのマスコットストラップだった。私が持っていたハリッチよりひと回り小さいけれど、色も形も生地の感じもよく似ている。
「あんたがなくしたやつと同じのはなかったけど……」
「あ、先輩! なくしてたハリッチ、見つかったんです」
「…………」
 先輩の顔を見て、言うタイミングを間違えたと思った。いや、そもそも言わなくてもよかったことなのかもしれない。
 一瞬で表情を無にした先輩は、眉間を押さえてうつむく。
「……めっちゃ店を回って探した時間を返せ、アホ」
「や、あの! でも、嬉しいです! もとのやつは部屋に飾ってあるんで、今日からこれを持ち歩きます!」