*
現在とはずいぶん違う銀座を歩きながら美海は弧光と美織の思い出の場所を巡った。美海たちのように映画を見てお茶をする。そんな普通のことも、とても贅沢だったようだ。弧光が美織の為に選んだ演目に美織が夢中になって、お茶をしている間もその話で場が弾む。
「弧光さんが軍人さん役でも、私見に行きたいです。弧光さんはとても美しいお顔をしてらっしゃるから、銀幕から飛び出てきてもおかしくないくらいだわ」
「俺は美織が相手役じゃなきゃ、そんな話があっても乗らないよ。あのヒロインより、美織の方がかわいい」
「まあ、弧光さんってば」
頬を赤らめて微笑む美織は本当にかわいらしかった。そりゃあ妖狐の御眼鏡にもかなうと言うものだ。
「……美織さん、素敵な人ね……」
隣の柊弧に呟くと、やさしい眼差しで美織を見つめたまま、柊弧が、ああ、と頷いた。
「一目惚れだった。美織の前では全てのものが色褪せて見えた」
ああ、本気だったんだ。そう思った。それだから、歴史を曲げてでも、美織を手に入れたいと思うのだろう。
……そんなに好き、って、どんな気持ちだろう。
美海はまだそんな恋を知らない。美織でありながら、弧光の眼差しを向けられないことが寂しいと、美海の心のどこかが言っているような気がする。
(……変なの。私は美織さんじゃないのに……)
デート中の弧光からも、それを見つめる柊弧からも視線を外して、美海は俯いた。
*
それからは美織のことを追いかけるようにして弧光と美織の思い出を辿った。
春は二人並んで花見に出かけていた。美織は花見に合わせて桜の柄の着物を着ている。並木道を歩く人々に交じって美織は桜の花を見上げているが、弧光は美織の事ばかり見ていた。
「弧光さん、綺麗な桜ね。飛鳥山は始めて来ました。とても見事だわ」
ね。と美織が弧光を振り向くと、弧光は美織しか見ていない。
「もう、弧光さん。桜を見て?」
「いや、俺は嬉しそうな美織を見ていたい。桜も美織には敵わない」
弧光に微笑まれて、照れる美織。二人の睦まじさに、美海もほっこりしてしまう。
「柊弧、美織さんにはあんなにやさしく出来るのよね……」
「当たり前だろう。美織は俺にとって唯一の女性だ。お前とは違う」
きっぱりと言われて、そうですよね……、としか言えない。
(なんだろう……。それが寂しいって思うのは……)
きっと、こんな恋をしたことないからだ。周りが目に入らないくらいの、激しい恋。憧れてしまうような、激情。
「こんなに想われてる美織さんは、幸せね……」
「ああ。だから、取り返す」
きっぱりという柊弧に胸の奥がずきりと痛んだ。柊弧の目には、美海は映っていなかった。
梅雨の時期。少し遠出をして鎌倉まで紫陽花を見に行く。道中の鉄道でも二人は座席に並んで座って、その美しさで周りから微笑ましく見られていた。
「皆さんが弧光さんのことを見てるわ」
「美織のことを見ているんだろう。今日の美織は一段とかわいい」
臆面もなく言う弧光に、美織はそれでも嬉しそうだった。
紫陽花が咲き誇る寺では、遂に降って来た雨に相合傘をしていた。
「弧光さん、肩が濡れていませんか? 私ばかり傘に入っているような気がします」
「それより美織は濡れていないか? もし着物が濡れたら、俺に着物を贈らせてくれ」
この頃から弧光は何時か美織に着物を贈ろうと思っていたのだと知った。どんな柄が良いか、じっくり考えて美織の為に選んでいったのだろう。そんな過程も、幸せだったに違いない。
紫陽花なんかそっちのけで幸せそうなのが羨ましい。美海の隣で美織を見ている柊弧だって、美織の一挙手一投足に釘付けだ。自分の過去の出来事なんだから、この景色も思い出にあるだろうに、それでも真剣に見守っている。美海の存在はどうして此処にあるのだろうかと、少し考えてしまうほどだった。
夏は花火。浴衣を着た二人が、夏の熱さにも負けずに手を繋いで上空の花火に見入っている。花火の光に照らされる美織の顔を時々見やって、弧光は幸せそうだ。
初詣で二人仲良くおみくじを引いたりもしていた。
「まあ、大吉! きっと良いことがあるんだわ」
おみくじの結果に喜ぶ美織の傍らの弧光は一瞬眉間に皴を寄せた。
「……なんて書いてあったんですか?」
美織が聞くと、弧光はなんでもない、と言って、おみくじを木の枝に結び付けた。
「柊弧、あれ、なんて書いてあったの?」
美海が柊弧に尋ねると、柊弧は沈んだ顔をして、こう言った。
「大凶と……。悲しい別れが待っていると書いてあった……」
悲しい別れ……。おみくじはこの先のことを見通していたのだろうか……。
「この時俺は、たかがおみくじと思って気にも留めなかった。しかし、おみくじの描く未来を変えようと、行動を起こせばよかったと、今は思う」
厳しい目つきで結ばれたおみくじを見つめる柊弧。美海の中の美織が、切ない声を上げた。
気が付くと、美海は柊弧の着物の袖を握っていた。それに気づいた柊弧が、なんだ、と視線を寄越す。それが、美織に向けるそれと全く違って、美海は着物を握ったまま俯いた。
「そんなに……、辛そうな顔、しないで……。……これから、……美織さんを奪いに行くんでしょう?」
過去を変えれば歴史が変わる。それでも、美海の中の美織が弧光を求めて叫ぶから、美海は歴史を変えてでも美織と弧光の未来を繋げたいと思ってしまった。
「ああ」
柊弧の強い眼差しに、内なる美織が喜びに震える。その一方で、悲しみに暮れるこの気持ち。何故悲しまなきゃならないんだろう。美織の心が満たされれば、美織の魂を器(からだ)に持っている美海だって幸せになる筈なのに……。美海は自分の気持ちが分からなくなってしまった……。
現在とはずいぶん違う銀座を歩きながら美海は弧光と美織の思い出の場所を巡った。美海たちのように映画を見てお茶をする。そんな普通のことも、とても贅沢だったようだ。弧光が美織の為に選んだ演目に美織が夢中になって、お茶をしている間もその話で場が弾む。
「弧光さんが軍人さん役でも、私見に行きたいです。弧光さんはとても美しいお顔をしてらっしゃるから、銀幕から飛び出てきてもおかしくないくらいだわ」
「俺は美織が相手役じゃなきゃ、そんな話があっても乗らないよ。あのヒロインより、美織の方がかわいい」
「まあ、弧光さんってば」
頬を赤らめて微笑む美織は本当にかわいらしかった。そりゃあ妖狐の御眼鏡にもかなうと言うものだ。
「……美織さん、素敵な人ね……」
隣の柊弧に呟くと、やさしい眼差しで美織を見つめたまま、柊弧が、ああ、と頷いた。
「一目惚れだった。美織の前では全てのものが色褪せて見えた」
ああ、本気だったんだ。そう思った。それだから、歴史を曲げてでも、美織を手に入れたいと思うのだろう。
……そんなに好き、って、どんな気持ちだろう。
美海はまだそんな恋を知らない。美織でありながら、弧光の眼差しを向けられないことが寂しいと、美海の心のどこかが言っているような気がする。
(……変なの。私は美織さんじゃないのに……)
デート中の弧光からも、それを見つめる柊弧からも視線を外して、美海は俯いた。
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それからは美織のことを追いかけるようにして弧光と美織の思い出を辿った。
春は二人並んで花見に出かけていた。美織は花見に合わせて桜の柄の着物を着ている。並木道を歩く人々に交じって美織は桜の花を見上げているが、弧光は美織の事ばかり見ていた。
「弧光さん、綺麗な桜ね。飛鳥山は始めて来ました。とても見事だわ」
ね。と美織が弧光を振り向くと、弧光は美織しか見ていない。
「もう、弧光さん。桜を見て?」
「いや、俺は嬉しそうな美織を見ていたい。桜も美織には敵わない」
弧光に微笑まれて、照れる美織。二人の睦まじさに、美海もほっこりしてしまう。
「柊弧、美織さんにはあんなにやさしく出来るのよね……」
「当たり前だろう。美織は俺にとって唯一の女性だ。お前とは違う」
きっぱりと言われて、そうですよね……、としか言えない。
(なんだろう……。それが寂しいって思うのは……)
きっと、こんな恋をしたことないからだ。周りが目に入らないくらいの、激しい恋。憧れてしまうような、激情。
「こんなに想われてる美織さんは、幸せね……」
「ああ。だから、取り返す」
きっぱりという柊弧に胸の奥がずきりと痛んだ。柊弧の目には、美海は映っていなかった。
梅雨の時期。少し遠出をして鎌倉まで紫陽花を見に行く。道中の鉄道でも二人は座席に並んで座って、その美しさで周りから微笑ましく見られていた。
「皆さんが弧光さんのことを見てるわ」
「美織のことを見ているんだろう。今日の美織は一段とかわいい」
臆面もなく言う弧光に、美織はそれでも嬉しそうだった。
紫陽花が咲き誇る寺では、遂に降って来た雨に相合傘をしていた。
「弧光さん、肩が濡れていませんか? 私ばかり傘に入っているような気がします」
「それより美織は濡れていないか? もし着物が濡れたら、俺に着物を贈らせてくれ」
この頃から弧光は何時か美織に着物を贈ろうと思っていたのだと知った。どんな柄が良いか、じっくり考えて美織の為に選んでいったのだろう。そんな過程も、幸せだったに違いない。
紫陽花なんかそっちのけで幸せそうなのが羨ましい。美海の隣で美織を見ている柊弧だって、美織の一挙手一投足に釘付けだ。自分の過去の出来事なんだから、この景色も思い出にあるだろうに、それでも真剣に見守っている。美海の存在はどうして此処にあるのだろうかと、少し考えてしまうほどだった。
夏は花火。浴衣を着た二人が、夏の熱さにも負けずに手を繋いで上空の花火に見入っている。花火の光に照らされる美織の顔を時々見やって、弧光は幸せそうだ。
初詣で二人仲良くおみくじを引いたりもしていた。
「まあ、大吉! きっと良いことがあるんだわ」
おみくじの結果に喜ぶ美織の傍らの弧光は一瞬眉間に皴を寄せた。
「……なんて書いてあったんですか?」
美織が聞くと、弧光はなんでもない、と言って、おみくじを木の枝に結び付けた。
「柊弧、あれ、なんて書いてあったの?」
美海が柊弧に尋ねると、柊弧は沈んだ顔をして、こう言った。
「大凶と……。悲しい別れが待っていると書いてあった……」
悲しい別れ……。おみくじはこの先のことを見通していたのだろうか……。
「この時俺は、たかがおみくじと思って気にも留めなかった。しかし、おみくじの描く未来を変えようと、行動を起こせばよかったと、今は思う」
厳しい目つきで結ばれたおみくじを見つめる柊弧。美海の中の美織が、切ない声を上げた。
気が付くと、美海は柊弧の着物の袖を握っていた。それに気づいた柊弧が、なんだ、と視線を寄越す。それが、美織に向けるそれと全く違って、美海は着物を握ったまま俯いた。
「そんなに……、辛そうな顔、しないで……。……これから、……美織さんを奪いに行くんでしょう?」
過去を変えれば歴史が変わる。それでも、美海の中の美織が弧光を求めて叫ぶから、美海は歴史を変えてでも美織と弧光の未来を繋げたいと思ってしまった。
「ああ」
柊弧の強い眼差しに、内なる美織が喜びに震える。その一方で、悲しみに暮れるこの気持ち。何故悲しまなきゃならないんだろう。美織の心が満たされれば、美織の魂を器(からだ)に持っている美海だって幸せになる筈なのに……。美海は自分の気持ちが分からなくなってしまった……。