家に帰ってきてから、もう一度買ってもらった着物に袖を通した。帯は普通の結び方しかできないが、半襟も良い射し色になっていて素敵だ。何よりこの薔薇柄。美海は鏡の前でうっとりした。まるでモノクロ映画から飛び出てきたヒロインのように見える。
(……やっぱり素敵だわ、この着物……)
鏡の中に映った自分に見とれる。その時、鏡が光った。
「……?」
鏡をしげしげと覗き込むと、鏡に映った美海の後ろに朧げに背の高い男性が映っていた。
「え……?」
此処は美海の自室だ。兄や弟は居ないし、父も今はリビングでくつろいでいる。何よりノックもなしに美海の部屋には入らない。そう思って恐る恐る後ろを振り向くが、其処には誰も居ない。不思議に思ってもう一度鏡の中を覗くと、しかしやっぱりそこには背の高い男性が立っていた。
(……なに、これ……)
一体、誰が映っているというのか。美海の心に恐怖と好奇心が生まれ、……そしてわずかに好奇心が勝った。美海は鏡を覗き込んだまま、その男性に惹かれるようにして手を伸ばして……、そして鏡面に手が触れたかと思うと、鏡が光り輝いて、美海はその光の渦に飲まれていった……。
ふわっと体が浮いた感覚がして、光が満ちている空間でそれが安定したかと思ったら、誰かの腕の中に着地した。
「……?」
光の渦に飲まれたときに閉じていた目を恐る恐る開くと、光の空間で美海を抱き留めているのは鏡に映っていた背の高い男だった。
「俺の美織(みおり)……。やっと会えた……」
美しいかんばせに甘い声音で美海に話し掛けた男は、しかし、美海とは違う名を呼んでいた。
「……貴方、誰……? 私は美織という名前じゃないわ……」
美海を抱き留めている男は美海の言葉に眉をひそめた。
「……お前から美織の魂の輝きを感じる……。俺が贈った着物を着たお前が美織ではないなら、お前は誰だ?」
誰だと言われても、そもそも美織なんて名前知らないし、この男のことも知らない。混乱している美海に、男は自分の状況を説明しだした。
「俺は弧光(ここう)。美織の恋人だった妖狐だ。美織にこの着物を贈って、結婚を申し込んだ。だが、彼女は家が決めた婚約者と結婚した。俺は美織を忘れられずこの着物に憑いた。美織ともう一度出会い直して、今度こそ結ばれるために……」
この着物はさっきアンティーク着物として紹介された。……ということは、弧光はこの着物が生まれた時の魂の名残だ。彼が着物を贈ったという時代からの時間の流れに美海は驚いた。
「お前が美織じゃないと言うのなら、美織を探し直してもう一度出会い直す。そして今度こそあの婚約者から美織を取り戻す」
常識的に考えて物騒なことを言っているので、美緒は弧光を止めた。
「止めなさいよ。歴史を曲げることになるわよ?」
「それでもだ。俺は千年を超えて生きる。その中で人間の運命がどうなろうと知ったことではない。俺には美織が居れば、それでいい」
空恐ろしいことを言ってのける妖狐に、美海は身震いした。そんな容易く歴史を変えて欲しくないし、もし歴史が変わってしまったら、美海の生きている世界だって何かしら影響を受ける筈なのだ。美海は即座に考えて、弧光にこう提案した。
「じゃ……、じゃあ、私が貴方の手伝いをするわ。美織という人と貴方を結婚させればいいんでしょう? その代わり、私が居た世界に影響を出さないと約束して。それを約束してくれるのなら、私が貴方を手伝うわ」
美海の必死さが届いたのか、弧光は少しだけ考える素振りを見せた後、それなら協力してくれ、と妥協をしてくれた。
兎に角、美織という人を見つけて、弧光と再会させて、でも決して結婚させてはいけない。そう心に刻んで、美海は光の満ちる空間を出た。