「先生、たまには人間の恋愛ものを書いてみましょうよ」

華乃子が雪月の家に通い始めて一ヶ月。既に雪月の家のことも大体把握して、台所なんて自分の家同然に使えるようになった頃、華乃子は原稿をしたためている雪月に向かって資料を差し出しながらそう言った。

華乃子がそう言ったのには理由があった。雪月は相も変わらずあやかしと人間の悲恋物語を書いている。
一定の読者は居るようだったが、芳しいヒット作と言うものは出ていない。此処は今流行りの、モダンガールとモダンボーイの恋愛ものが良いと思ったのだ。

職業女性(モダンガール)の話は婦人誌にも取り上げられているから読者の幅が広がるし、モダンガールものだったら華乃子の今までの知識が生かせる。雪月の為に尽くしたいという気持ちがそう言わせていた。

しかし雪月は頼りなく笑うだけで頑なに首を縦には振らなかった。

「……雪月先生があやかしに対して持ってらっしゃる印象って、良いものなんですね」

華乃子はお茶を淹れながら雪月に話し掛けた。雪月が手を止めて華乃子を見る。

「……私、あやかしって正直好きになれないんです。……古臭いし、今をときめく活劇の題材にだってならないですよ」

暗に雪月の作品が古いと言ったようなものだった。それでも雪月は柔和な笑みを崩さない。

「僕は日本人とともに生きてきた神やあやかしたたちをいとおしいと思ってますよ。あやかしは人間にとても近い。だからこそ、日本人はあやかしを受け入れてきたんだと思うんです」

そんなの、あやかしが絵空事だと思っているから言えることだ。今だって男性の家に上がり込む華乃子に雪月がいたずらをしないか、太助と白飛が部屋の隅でじっと監視している。
大人しくしていろと言い聞かせたから今はまだいたずらを働いていないけど、時間が経てば原稿用紙を飛ばしたり資料の本の頁を舐めたりといたずらするんだろうと思う。それを苦に思わないのは風や雨が掛かったと思うからであって、あやかしたちが気まぐれにいたずらをしていると知ったら、鬱陶しくてたまらないと思う。

「時代は新しいことを求めています。……雪月先生にも、新しいことに挑戦していただきたいと思います」

頑なな雪月に頑なな華乃子が応じる。雪月は困ったように笑って、どうしたんですか、と華乃子に言った。

「そんなにあやかしが嫌いですか?」

問われるまでもない。嫌いだ。しかしそう応えると、雪月の作品を否定してしまうようで言えなかった。

「どうしてそんなに嫌いなんですか……?」

穏やかな口調は春の日差しのようにあたたかい。華乃子は雪月の醸し出す雰囲気につられて、辛かった子供の頃の話をぽろりと零した。

「……私、……実は、あやかしが少し、視えるんです」

意を決して切り出した華乃子の言葉を、雪月は驚きもせずに聞いた。

「あやかしが他の人には視えないって知らなかった頃、あやかしと関わって、変人扱いされたんです。その所為で友達は出来なかったし、親弟妹からも見放されて過ごしました」

一人寂しく暮らした別邸に住まわされてからの日々。母のあたたかさも父のやさしさも、華乃子には与えられなかった。周囲の子供が家族の話をするのを寂しい思いで聞いていた。
乳母のはなゑはやさしかったけど、それでも両親の代わりにはならなかった。

「……雪が降った子供の頃に、おなかをすかせた子供に会ったんです。その時私はまだあやかしと人間の区別がついていなかくて、おなかをすかせたその子に薬とおにぎりを持って行ったら、その子は人間の子ではなかった、お前は雪だるまに握り飯を与えていたんだ、と父からひどく怒られました。
鷹村の家の名に泥を塗るつもりかとひどく怒鳴られて、金輪際あやかしに係わらないと誓うまでと言ってお仕置きとして蔵に閉じ込められたんです。
……雪だるまに話し掛けておにぎりを渡していた子供の頃の私は、きっと近所の人の目に奇異に映ったでしょう。
人々から後ろ指をさされるのを、親は恐れて、それを隠すために私は独り別邸に住まわせられました。
それ以来、あやかしは嫌いです。今もどんな形に化けて人間の中に紛れ込んでいるか知れない。あやかしなんて視えない方が良い。私は本当の人間だけを信じます」

雪月先生は華乃子の話を黙って聞いてくれた。そして、そうか、そんなことがあったんですね、と言うと、華乃子の頭をぽんぽんと撫でた。

「……っ!?」

「華乃子さんは、心根がやさしいからあやかしの方も姿を現したのでしょう。そのあやかしは貴女にありがとうとは言いませんでしたか? 
あやかしの話は、文明開化以来人々から忘れ去られていっている。日本が西洋化して、日本人らしさを忘れてしまった人たちに、日本人が語り継いできたあやかしのことをもう一度思い出してほしくて、僕はあやかしの物語を書いています。
目まぐるしく変わる日常ばかりでなくても良い。そう伝えたい。その象徴があやかしなのです」

……不思議だ。雪月から語られるあやかしは、心根やさしく穏やかに日本人を見守っているように聞こえる
。……あの時、雪だるまの隣に佇んでいた子もぼろぼろの着物を着ながらおにぎりに目を輝かせていた。米の一粒に神様が宿るんだと言って、最後の一粒まで食べつくしていた。
洋食がもてはやされるようになり、大人になってからおにぎりなんて食べたことなかった。

「新しく入ってきている西洋の文化も良いとは思うんですよ。ただ、僕は馴染めなくて、それも影響しているのかもしれません」

情けない話ですけどね、と雪月先生は弱く微笑(わら)った。

華乃子は己の生活を振り返った。華乃子の些細な行動に恩を感じ、華乃子の身近に居てくれる太助や白飛も、独りで寂しい屋敷の中では慰めになってくれていたのだろうか。華乃子が寂しくないように、あれこれいたずらを繰り返してきたのだろうか。

「……先生、私……」

「ああ、すみません。決して無理に華乃子さんのお考えを変える必要もないのですよ。ただ、僕はそう言う気持ちで物語を書いている。僕の担当者として、知っていておいて頂きたかったのです」

はい、と頷く横で太助と白飛がにやにやと華乃子を見ている。雪月には頷いたが、彼らがいたずらを繰り返す限り、あやかしに好意的にはなれないだろうなあ、と華乃子は思った。