その夜、華乃子は自室で借りてきた本を読んでぼろぼろ泣いていた。雪月先生のお話は全て人間とあやかしの悲恋の物語だった。あやかしと言う現世(このよ)であやふやな生き物に惹かれたがために人生の破綻に追い込まれていく人間たちと、人間と言う存在に好意を抱き続けるあやかしたちが人間に翻弄されてながらも、その身が消えるのを覚悟で愛を紡ぐその物語……。その悲しいまでに魂と魂が惹きあう様に涙が零れて仕方がなかった。
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――「弧十朗さん! 貴方が私にしか見えなくても良いの……! このまま一緒に炎に焼かれて、永遠に私にだけ見えていて……!」
――「美里さん……。そんなことをしたら、君の人生が狂ってしまう……! 僕は時を渡ります。何時か……、何時か今度巡り合ったら、その時こそ結ばれましょう!」
――そうして弧十朗は美里を炎の中から助け出すと、焼けただれた尾を千切り、変化(へんげ)を解いた。周囲の人々が自分たちを化かした狐に対して刃(やいば)を向けることを止めることも出来ず、美里は泣き崩れるのだった……。
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「なんて切ないお話なの……。出会っていなければこんな運命を辿ることもなかったでしょうに……。それでも出会って愛し合わずにはいられなかったんだわ……」
雪月先生はどうしてこんな風にあやかしのことを想像したんだろう。華乃子は今まであやかしなんて、居るだけで邪魔な存在だと思っていたのに。だって今も、本を読んで泣いている華乃子の足元に座って『華乃子を泣かすとは許すまじ、人間め!』とか言ってる猫又の太助(たすけ)や、零れる涙を身体で拭おうとする一反木綿の白飛(しらとび)が読書の邪魔をしている。
「ああっ、もう気が散る! 何処かへ行って頂戴!」
そう怒鳴り散らしても二人はどこ吹く風だ。
『だって俺らの居場所は華乃子の傍だからな』
『そうそう。恩を感じたらその身を投じてでも恩を返す、が、あやかしの流儀よ』
そう言うが、華乃子は二人に対して何か大したことをしたわけではない。太助は鼠に尻尾を齧られて逃げているのを助けただけだし、白飛は屋敷の松の木に絡まって動けなくなっていたところを解いてやっただけだ。
『いや~、流石に尻尾が一本になったら化けるに化けられないからな』
『俺だって、松のとげとげの葉っぱに身体が食い込んで痛かったんだよ』
そんなところを助けてくれた華乃子は、命の恩人だ、と言うのだ。子供の頃の、何も知らなかった自分に、それを助けたら後々苦労することになるから止めておきなさい、と言うことが出来たら、どんなにか良いだろう。それくらい、華乃子の日常はあやかしに邪魔されている。仕事の最中だけでも大人しくしてくれるようになって、これでも生活環境は良くなった方だった。
「しかし、雪月先生はあやかしに夢を見すぎだわ……。あやかしって、こんなに聞き分けの良いものじゃないもの……。自分本位で人の言葉なんか聞きやしないんだから……」
夢が見れるって、いいなあ。雪月先生のお話のようなあやかしに夢を見られるのなら、自分にどんな恋物語が待っているのだろうとわくわくできる。でも、現実はそんな甘いものではない。あやかしと言葉を交わしただけで変人扱いされて、血のつながった家族にさえ見放された。子爵家の長女でありながら、家の庇護を受けられずに庶民のような暮らしをしなければならなかったのも、あやかしの所為。華乃子には、実際のあやかしが美しい生き物だとは、どうしても思えなかった。
雪月先生も、所詮あやかしを見たことのない人なんだろう。夢想で描くあやかしほど、本当のあやかしは良いものではないですよ、と華乃子は心の中で独りごちた。
翌日夕方から、華乃子は会社の帰りに雪月の許へ行って食事を作って帰る生活になった。そうして何日か通っているうちに、ある日近所のお婆さんに呼び止められた。
「あんた、あの子の知り合いかい?」
今、華乃子が出てきた長屋を指差してあの子、と言うのだから雪月の事だろう。そうです、と応えると、そりゃよかった、とお婆さんは言った。
「あの子、男のくせに下女もつけずに独り暮らしなんかしてるもんだから、あたしゃ心配で二度、三度、差し入れを持って行ったことがあるんだよ。世話してくれる恋人が出来たんなら、良かったことだ。まあ、仲良くやりな」
恋人ではないけれど、食事を作りに行っていることは確かなので、しっかり栄養を摂らせなければと思う。ご近所さんにも栄養状態を心配されていたなんて、どんな青い顔で歩いていたんだろう。取り敢えずこれからは出来るだけ様子を見に来ることにしよう。華乃子が来れない時は、編集部の誰かに頼んでおけばいい。そう思って華乃子は帰宅した。