*
正月休み。華乃子は当然実家に呼び出されることもなく、雪月の郷に来ていた。幽世の中でも一面真っ白の山の奥で、雪月と華乃子のことを、沙雪を筆頭に大勢の雪女たちが出迎えた。
「お帰りなさいませ、雪月様」
「此度(こたび)のご帰郷、一族揃って嬉しく存じます」
こうべを垂れる雪女たちに、雪月は、うん、と言いながら通り過ぎてしまう。頭を下げたままの雪女たちの視線が、華乃子に刺さったような気がした。
雪で覆われた郷の気候は、人間の華乃子には少し寒いが、半分が雪女だからなのか、思ったほど堪えていない。むしろ荷物に紛れて一緒に来た太助と白飛がぶるぶると震えていた。
『さ……っむい! 身体が凍る!』
『足が冷たい!』
「煩いなあ、雪女の郷だって言っておいたじゃない。それを勝手についてきたのはあなたたちよ?」
用意してもらった部屋に通されて二人が荷物から顔を出すと、華乃子はあきれたように言った。
『現世からはるか離れるんだから、俺らが見守ってなくてどうするんだよ!』
『華乃子は危機意識が薄いから困りもんだな』
などとぶつぶつ言う。見守るも何も、雪月の郷なのだし、雪月が一緒だったら心配要らないというのに、この言いよう。どうしても華乃子にまとわりつきたいらしい二人を、はいはい、とあしらって、華乃子は一人部屋を出た。……叶うことなら、会いたい人が居るのだ。
雪月にそれを頼むと少し渋られたが、結局はその人のところへ案内してくれた。……其処は屋敷の離れにある牢だった。中に居る雪女は後ろ手に手を縛られ、うずくまって顔を俯けている。
「……お母様……」
華乃子は格子越しに彼女を呼んだ。ぴくりと雪女の肩が動き、ゆうるりとその顔が持ち上がる。ぼんやりとした目に華乃子が映ると、みるみる彼女――千雪(ちゆき)――は顔に生気を宿らせた。
「華乃子……。愛しい子……」
か弱い声が、華乃子を呼んだ。この声を、どんなに切望しただろう。現世では得られなかったこの声。華乃子を受け入れ、愛してくれるこの声の主に、どうしても問いたいことがあった。
「お母様……。……どうして私を生んで、逃げるように現世を去ったのですか……? 貴女が現世にずっと居てさえくれれば、私は独りぼっちじゃなかった……」
絞りだすような華乃子の声に、千雪も悲しそうに微笑んだ。
「愛しい子……。悲しい思いをさせてしまって、ごめんなさい……。あの時私は、光雪(みつゆき)様に請われて彼の許に嫁ぎました……、それでも現世への……、雲の狭間から見た一夜様への憧れが忘れられないで居た……。貴方を現世で生み落としてそのまま郷に引き戻された私は、光雪様を裏切ったとしてこうして牢に繋がれていますが、一夜様への想いは今も胸の中にあります。華乃子、どうか一夜様も光雪様も恨まないで……。恨むなら身勝手な母を恨んで……」
ほろほろと泣きながら訴える本当の母親から聞かされた彼女の事情を、華乃子は静かに聞いた。
「……お母様……。貴女の心にはお父様が居たかもしれませんが、私の心の中には誰も居なかった……。疎まれ続けて十年以上生きてきた……。私が貴女を恨んでも仕方ないですよね……?」
華乃子の言葉に、千雪は悲しそうに頷いた。
「……でも、私を生み落としてくださったご恩は忘れません……。私を現世に生み落とし、鷹村の家で少しの間でも育てさせてくれたご恩、それは忘れません……」
だって、雪女の血が流れていなかったら、雪月を見つけることは出来なかった。雪月に会えなかったら、今こうして千雪と会話をすることも叶わなかった。
「だから、もう恨むのは止めます。……私を貴女の娘として生み落としてくださって、ありがとうございました」
彼女の娘として生まれたからこそ、雪月の傍に居られると改めて分かった。それ以上に、今、求めることはない。
華乃子は千雪に深々と頭を下げて、牢の前から辞した。
正月休み。華乃子は当然実家に呼び出されることもなく、雪月の郷に来ていた。幽世の中でも一面真っ白の山の奥で、雪月と華乃子のことを、沙雪を筆頭に大勢の雪女たちが出迎えた。
「お帰りなさいませ、雪月様」
「此度(こたび)のご帰郷、一族揃って嬉しく存じます」
こうべを垂れる雪女たちに、雪月は、うん、と言いながら通り過ぎてしまう。頭を下げたままの雪女たちの視線が、華乃子に刺さったような気がした。
雪で覆われた郷の気候は、人間の華乃子には少し寒いが、半分が雪女だからなのか、思ったほど堪えていない。むしろ荷物に紛れて一緒に来た太助と白飛がぶるぶると震えていた。
『さ……っむい! 身体が凍る!』
『足が冷たい!』
「煩いなあ、雪女の郷だって言っておいたじゃない。それを勝手についてきたのはあなたたちよ?」
用意してもらった部屋に通されて二人が荷物から顔を出すと、華乃子はあきれたように言った。
『現世からはるか離れるんだから、俺らが見守ってなくてどうするんだよ!』
『華乃子は危機意識が薄いから困りもんだな』
などとぶつぶつ言う。見守るも何も、雪月の郷なのだし、雪月が一緒だったら心配要らないというのに、この言いよう。どうしても華乃子にまとわりつきたいらしい二人を、はいはい、とあしらって、華乃子は一人部屋を出た。……叶うことなら、会いたい人が居るのだ。
雪月にそれを頼むと少し渋られたが、結局はその人のところへ案内してくれた。……其処は屋敷の離れにある牢だった。中に居る雪女は後ろ手に手を縛られ、うずくまって顔を俯けている。
「……お母様……」
華乃子は格子越しに彼女を呼んだ。ぴくりと雪女の肩が動き、ゆうるりとその顔が持ち上がる。ぼんやりとした目に華乃子が映ると、みるみる彼女――千雪(ちゆき)――は顔に生気を宿らせた。
「華乃子……。愛しい子……」
か弱い声が、華乃子を呼んだ。この声を、どんなに切望しただろう。現世では得られなかったこの声。華乃子を受け入れ、愛してくれるこの声の主に、どうしても問いたいことがあった。
「お母様……。……どうして私を生んで、逃げるように現世を去ったのですか……? 貴女が現世にずっと居てさえくれれば、私は独りぼっちじゃなかった……」
絞りだすような華乃子の声に、千雪も悲しそうに微笑んだ。
「愛しい子……。悲しい思いをさせてしまって、ごめんなさい……。あの時私は、光雪(みつゆき)様に請われて彼の許に嫁ぎました……、それでも現世への……、雲の狭間から見た一夜様への憧れが忘れられないで居た……。貴方を現世で生み落としてそのまま郷に引き戻された私は、光雪様を裏切ったとしてこうして牢に繋がれていますが、一夜様への想いは今も胸の中にあります。華乃子、どうか一夜様も光雪様も恨まないで……。恨むなら身勝手な母を恨んで……」
ほろほろと泣きながら訴える本当の母親から聞かされた彼女の事情を、華乃子は静かに聞いた。
「……お母様……。貴女の心にはお父様が居たかもしれませんが、私の心の中には誰も居なかった……。疎まれ続けて十年以上生きてきた……。私が貴女を恨んでも仕方ないですよね……?」
華乃子の言葉に、千雪は悲しそうに頷いた。
「……でも、私を生み落としてくださったご恩は忘れません……。私を現世に生み落とし、鷹村の家で少しの間でも育てさせてくれたご恩、それは忘れません……」
だって、雪女の血が流れていなかったら、雪月を見つけることは出来なかった。雪月に会えなかったら、今こうして千雪と会話をすることも叶わなかった。
「だから、もう恨むのは止めます。……私を貴女の娘として生み落としてくださって、ありがとうございました」
彼女の娘として生まれたからこそ、雪月の傍に居られると改めて分かった。それ以上に、今、求めることはない。
華乃子は千雪に深々と頭を下げて、牢の前から辞した。