それなら、とおとなしく数歩を退いた私を横目で確認して、雅弥は再び戸へ向いた。
 すらりと抜かれた刀身。
 雅弥は腕を曲げ、刀を横向きに構えた。瞼を閉じる。

「"破"」

 たった一言。
 目を開けた雅弥は刀身を鞘に納め、再び引手に手をかけた。刹那。
 ――ガラリ。

「! あ、あいた……!」

 感動に跳ねる勢いの私になど目もくれず、雅弥は真剣な双眸で家の中を見渡し、片足を玄関内に踏み入れた。
 変化は、ない。私も緊張こそあれど、相変わらず何も感じない。
 問題ないと判断したのか、雅弥は「いくぞ」とだけ発して更に歩を進め、上り口でさっさと草履を脱いでしまう。

「あ、待って!」

 私も慌てて後を追い、「お邪魔します」と上り口でスニーカーを脱いでから、揃え置いた。
 雅弥は硬い面持ちで、廊下の先や二階へと続く階段をきょろきょろと見遣っている。

(あ、靴脱ぐんだから、逃げるのにスニーカーとか関係なかった)

 まあ、家の外まで追ってくる可能性も無きにしも非ずだし、準備は念入りにってね!
 鼻息荒く立ち上がった私は、"何か"の不意打ち攻撃に備え、握った両手を胸前で構えた。
 途端、雅弥が本気で馬鹿にしたような眼を向けてくる。私はすかさず、

「言っておくけど、遊んでるんじゃなくって、大真面目だからね!」

「……わかっている」

 うっすら哀れんだ響きも感じたけれど、今は無視無視!
 雅弥みたいに何かを感じとれているワケじゃないけれど、私だって"見える"んだから、多少なりとも戦力になれるはず。
 見渡した上り口の横には、扉付きの下駄箱。
 その上には数本の折り畳み傘や、使い込まれた帽子と軍手。『おじいちゃんへ』と幼い字で書かれた額縁入りの似顔絵が、生前の日常をそのままに遺している。

「……ここには居ないな」

 呟いて、雅弥は扉が開かれたままのリビングに入っていってしまう。
 ついて来いと言いたげな一瞥を受けたので、私もおとなしく後に続いた。

(……なんか、空気がじっとりしてる)

 もう春も中頃だというのに、ずっと締め切られていたからだろうか。
 それとも、これが"何か"の気配なのか。

(やっぱり悪い感じはしないけどなあ……)

 とはいえ雅弥には、「有事には全力で逃げる」と宣言してしまった。
 わたしも気を引き締めて、部屋を見渡す。
 台所前に置かれた四人掛けのダイニングテーブルは、細かい傷が多い。
 机上に置かれたテレビのリモコン横に、四つ折りにされた新聞が数束積み重なっている。