「花枝」

近くで、声がしてハッとすると、椅子から立ち上がり私を心配そうに見つめる宮原先生の真っ直ぐな瞳がすぐ近くにあった。
大丈夫か? 顔色悪いぞ? と声をかけられる。
咄嗟に、苦しいと、言葉がのどまで出かかった。けれど、その言葉を飲み込んだ。


「大丈夫です」

笑顔を取り繕って返事をすると、そうか、とわずかに口元を緩めたあと、安堵したように席に座り直した。

私は、いい子を演じる。
今日も今日とていい子を演じる。
そうすれば、穏やかに時間は過ぎてゆく。


「花枝は責任感もあっていいやつだが、無理は禁物だぞ。何かあれば先生に相談してくれ。な?」


相談なんて、できるはずがない。
そう、思っても私はそれに、はい、と頷いて笑顔を貼り付けた。
困ったときにはとりあえず笑顔を浮かべていたらなんとかなるのだ。
私はそれを何度も経験してきている。
すると、宮原先生はニッコリ笑った。
先生の笑顔は私の偽りなんかとは違って、心から笑っているような。そんな心情が伝わって来る。


「えと、じゃあ…」


国語準備室を出ようと足を向かわせると、あーそうだ。ちょっと待って、と引き止められる。
私は、後ろ向きになっていたのを戻して先生の方へくるりと振り返ると、手出してみて、と声をかけられる。
何だろう?そう思いながらも、恐る恐る手を広げると、手のひらにコロンッと四角いものが置かれた。


「俺が疲れたときいつも食べてるチョコレート。特別に花枝にあげる」


四角いそれに視線を落とすと、金色の包み紙に入っていて光沢感がある。

高校生になって二年目の六月。まだ真夏ではないのに、少しだけ蒸し暑く感じる。
もうすぐで夏を感じさせる予感がして、先生にもらったチョコレートはあっという間に溶けそうだと思った。