《五月三日》
お父さんとお母さんと三人で東京に一泊旅行に行った。
優也は一日バイトの休みをとって、あたし達の東京観光に付き合ってくれた。
優也と会うのはお正月ぶり。髪型とか服装の雰囲気が、またちょっと変わった気がする。
あたし達の前に立って、電車の乗り換えや道を案内してくれる優也は慣れた様子でかっこよくて頼もしかったけど……。優也があたしなんかの手の届かないところへ行ってしまった気がして。ちょっと遠く感じた。
次に優也が実家に帰ってくるのはいつだろう。家族のままでいいって思ったのに、一年の間で会える回数はどんどん減っていく。
家族としての距離すら遠くなっていく気がして淋しい。すごく、淋しい……。
《一月三日》
高校のときの友達と新年会をした。
なつかしい話で盛り上がってたら、優也のことが話題になった。
優也が、半年くらい前から高校の同級生の誰かと付き合ってるって噂らしい。その子も東京の大学に通っていて、一人暮らししているそうだ。大晦日に、地元の神社でふたりで初詣に来ていたのを目撃した同級生もいるらしい。
そういえば優也は、大晦日の夜に出かけて行って朝まで戻ってこなかった。友達と会うって言ってたけど彼女だったんだ……。
優也は先に進んでる。あたしも、もう忘れなきゃ。
新しい恋を探さなきゃ。
でもどうやって。誰かを好きになるのって、どうすればいいんだっけ。
もう何年も優也ばっかりで。他の誰かを好きになる方法がわからない。
《十二月二十九日》
半年以上ぶりに優也が実家に帰ってきた。就職してからずっと忙しかったらしい。
社会人になってからはあたしも忙しくて、優也のことを考えることが前よりも減っている。
ひさしぶりに会った優也とも、家族みたいにふつうにできた。
もう大丈夫かもって思ったのに、優也があたしにブレスレットをくれた。ちょっとしたブランドの。
自分で稼げるようになったから、あたしの誕生日とクリスマスを兼ねたプレゼントだって。誕生日もクリスマスもとっく過ぎてるのに。
彼女にあげなよって言ったら、今はいないんだって言ってた。それを聞いて、ほっとしている自分が嫌になる。
せっかく優也への気持ちを忘れかけていると思ったのに、こんなのずるい。でも、すごく嬉しい。
ブレスレットは、一生大切にしようと思う。
《八月十一日》
優也が実家に彼女を連れてきた。
仕事関係で知り合った人らしくて、小柄で可愛い人だった。
優也が付き合っている人を実家に連れてきたのは、彼女が初めてだ。
お父さんとお母さんはものすごい歓迎ムード。あたしもふたりに合わせたけど、正直かなり複雑だった。
両親に紹介するってことは、適当に付き合ってるわけじゃないんだろう。彼女との結婚も考えているのかもしれない。
優也が結婚報告をしてきたら、あたしは笑顔でおめでとうを言えるだろうか。
彼女には悪いと思うけど、あたしは去年の冬に優也にもらったブレスレットがはずせそうにない。
《一月一日》
実家に帰ってきている優也に、初詣に誘われた。
地元の神社に行っておみくじを引いたら、びみょーな小吉だった。恋愛運のところに、過去にとらわれず進めば吉と書いてあった。
今まさにそんな状況だから、おみくじも案外バカにできない。
去年の終わりに、職場の先輩に結婚を前提に付き合ってほしいと言われて返事を保留している。
もうどうにかなる可能性はゼロなのに、誰かと恋愛しようとするといつも優也の顔がちらつく。
優也は夏に連れてきた彼女とまだ続いてるらしい。
職場の先輩のことを話したら、優也はいいじゃんって笑った。その笑顔が少し泣きそうに見えたけど、たぶん寒かっただけだ。
もしかしたら引き留めてくれるかも、なんて。少しでも期待したあたしはバカだ。
あたしと優也は家族。優也は今までもこれからも大切な弟。
だからもう本当に今度こそ、心を決めようと思う。
庭の地面にノートを重ねて置いた祥が、ライターに火を灯す。
「本気で燃やすの?」
「うん」
「こんなの、よく何年も書き溜めてたよな。正直、重いわ」
「あたしもそう思う」
冗談交じりに笑う俺を見て、祥が泣きそうに笑った。
祥の持っていた三冊のノートに書かれていたのは、殆どが俺への恋心。十年以上分の想いが詰まったラブレターだ。重いなんて言ったのは建前で、それを読んだ俺は本気で泣きそうだった。
「これを読ませて、結婚したあとも俺の心を繋ぎ止めようと思ったの?」
「違うよ。ずっと繋ぎ止められてたのはあたしなの。もう何年も」
そう言いながら、祥がノートに火をつけた。
パチパチと燃える炎が、ノートの端を少しずつ焦がして灰へと変えていく。燃えていくノートを見つめながら、俺の気持ちまでが灰になっていくようで。胸が切なく苦しくなった。
祥は父親の再婚相手の連れ子で、同い年の姉だった。最初はそれが嫌で仕方なかったのに、気付いたら祥のことが好きになっていた。
気持ちが抑えきれないくらいにピークで好きだったのは高校生の頃で。つい勢いで告白したら、祥に「家族だ」と言ってフラれた。その言葉に俺の想いが完全に拒絶されたような気がして、実は結構傷付いた。
そこからは祥への気持ちを隠してきたけど、一緒に生活するのは苦しくて。大学に進学するのと同時に家を出た。
それでも、祥のことはずっと好きだった。いつも心の中には祥がいた。別の誰かと付き合っても。こうしている今だって。
「俺が祥にもう一回告白してたら、何かが変わってたかな」
たらればの話をしたってどうにもならないのに。燃えていくノートに綴られた祥の気持ちが、俺の心を揺さぶった。
「わからない。でも、いちばん好きな人とは結ばれないものなんだって」
「そっか」
祥の言葉が、妙にすとんと心に落ちた。同時に、結婚前夜にそんなこと俺に言っていいのかって思う。
だってそれはつまり。祥が今もいちばん好きなのは──。
だけど真実は、俺と祥の心の中にしかない。
「ねぇ、優也。ブレスレットはまだつけててもいいかな?」
「いいんじゃない? それは、おとうとがねーちゃんにあげた、誕生日兼クリスマスプレゼントだから」
祥の左手首には、俺がプレゼントしたブレスレットが鈍く光っている。就職した年に、祥に何かカタチに残るものを渡したかった。
年に数回実家に帰ってくる度に祥の手首に光るそれを見て、もしかしたら祥も……、とほんの少しだけ期待していた。
だからといって、明日結婚式を挙げる祥の運命は変わらない。それから、俺の運命も。
「祥。俺が、世界で一番にお前の幸せを願ってる」
「あたしもだよ」
そっと手を握ったら、炎の灯に照らされた祥が泣きそうに笑った。祥に笑い返す俺も、たぶん同じような顔をしてたと思う。
気付けば、日付が変わっていた。
俺たちが家族になったのは、十六年前の八月八日。両親が再婚したのと同じその日に、祥は結婚する。他の男の家族になる。
八月八日は末広がりの日だから、幸せを引き寄せるって。
だからどうか……。俺がいちばん好きな人が、幸せになりますように。
fin.