《三月三十日》
今日は、優也の引越しの日だった。
家から通える大学に行くと思ってたのに、優也は東京の大学に行くことに決めていた。
お父さんもお母さんも知ってたのに、あたしは二月になるまでそのことを知らなかった。
これからもずっと同じ家に一緒に住めると思ってたから、今もまだ気持ちの整理がつかない。
ぎりぎりまで東京行きを教えてくれなかった優也のこと、怒ってる。
怒ってるし、めちゃくちゃ淋しい。だけど、優也がいなくなってせいせいしてるって顔で、笑って見送った。
最後に優也とふたりで話したときに、少しだけ期待した。
優也がもう一回好きって言ってくれないかなって。もしもう一回好きって言われたら、そのときは……。
そんなことを考えたけど、優也は何も言わなかったし、あたしも何も言えなかった。
やっぱり、りっちゃんが言ってたみたいに、いちばん好きな人とは結ばれない。運命って、そんなふうに決まっているのかもしれない。
《八月十三日》
二日前から優也が実家に帰ってきてる。
だけど、地元の友達との予定が詰まってるみたいで全然家にいない。
優也が帰ってくる間はバイトも友達との予定もほとんどいれなかったのに。つまらない。
優也が家を出て行ったらあたしの好きな気持ちは勝手に消えるかと思ったけど、半年経っても全然消えない。
半年ぶりに会った優也は、髪の色がワントーン明るくなってて、私服もかっこよくなってた。一緒に住んでたときよりも、ドキドキしてしまった。
優也は今、彼女いるのかな。
《八月十八日》
今日は優也とデートした。
デートっていい響きだけど、毎日ひまだ、ひまだって言ってるあたしに、優也が呆れたんだと思う。
どっか連れてってくれるっていうから、水族館をリクエストした。涼しいし、なんかデートっぽい。
でも夏休みだから、子連れの家族でいっぱいだった。
水族館はすごく楽しかった。魚とクラゲが綺麗だった。ペンギンもイルカも可愛かった。
優也は陸地でごろごろしてるアザラシを見て、家でダラけてるあたしみたいだって笑った。アザラシだって可愛いし、あたしはそんなにごろごろしてない……!
お土産屋さんで、優也はアザラシのぬいぐるみを買ってた。一人暮らしの部屋が殺風景だからって。あと、あたしに似てて笑えるからって。
あたしの代わりに優也の部屋に置いてもらえるアザラシがうらやましい。
明後日、優也は東京に帰っちゃう。
淋しいけど、今日の思い出でしばらくは生きていける気がする。
《五月三日》
お父さんとお母さんと三人で東京に一泊旅行に行った。
優也は一日バイトの休みをとって、あたし達の東京観光に付き合ってくれた。
優也と会うのはお正月ぶり。髪型とか服装の雰囲気が、またちょっと変わった気がする。
あたし達の前に立って、電車の乗り換えや道を案内してくれる優也は慣れた様子でかっこよくて頼もしかったけど……。優也があたしなんかの手の届かないところへ行ってしまった気がして。ちょっと遠く感じた。
次に優也が実家に帰ってくるのはいつだろう。家族のままでいいって思ったのに、一年の間で会える回数はどんどん減っていく。
家族としての距離すら遠くなっていく気がして淋しい。すごく、淋しい……。
《一月三日》
高校のときの友達と新年会をした。
なつかしい話で盛り上がってたら、優也のことが話題になった。
優也が、半年くらい前から高校の同級生の誰かと付き合ってるって噂らしい。その子も東京の大学に通っていて、一人暮らししているそうだ。大晦日に、地元の神社でふたりで初詣に来ていたのを目撃した同級生もいるらしい。
そういえば優也は、大晦日の夜に出かけて行って朝まで戻ってこなかった。友達と会うって言ってたけど彼女だったんだ……。
優也は先に進んでる。あたしも、もう忘れなきゃ。
新しい恋を探さなきゃ。
でもどうやって。誰かを好きになるのって、どうすればいいんだっけ。
もう何年も優也ばっかりで。他の誰かを好きになる方法がわからない。
《十二月二十九日》
半年以上ぶりに優也が実家に帰ってきた。就職してからずっと忙しかったらしい。
社会人になってからはあたしも忙しくて、優也のことを考えることが前よりも減っている。
ひさしぶりに会った優也とも、家族みたいにふつうにできた。
もう大丈夫かもって思ったのに、優也があたしにブレスレットをくれた。ちょっとしたブランドの。
自分で稼げるようになったから、あたしの誕生日とクリスマスを兼ねたプレゼントだって。誕生日もクリスマスもとっく過ぎてるのに。
彼女にあげなよって言ったら、今はいないんだって言ってた。それを聞いて、ほっとしている自分が嫌になる。
せっかく優也への気持ちを忘れかけていると思ったのに、こんなのずるい。でも、すごく嬉しい。
ブレスレットは、一生大切にしようと思う。
《八月十一日》
優也が実家に彼女を連れてきた。
仕事関係で知り合った人らしくて、小柄で可愛い人だった。
優也が付き合っている人を実家に連れてきたのは、彼女が初めてだ。
お父さんとお母さんはものすごい歓迎ムード。あたしもふたりに合わせたけど、正直かなり複雑だった。
両親に紹介するってことは、適当に付き合ってるわけじゃないんだろう。彼女との結婚も考えているのかもしれない。
優也が結婚報告をしてきたら、あたしは笑顔でおめでとうを言えるだろうか。
彼女には悪いと思うけど、あたしは去年の冬に優也にもらったブレスレットがはずせそうにない。
《一月一日》
実家に帰ってきている優也に、初詣に誘われた。
地元の神社に行っておみくじを引いたら、びみょーな小吉だった。恋愛運のところに、過去にとらわれず進めば吉と書いてあった。
今まさにそんな状況だから、おみくじも案外バカにできない。
去年の終わりに、職場の先輩に結婚を前提に付き合ってほしいと言われて返事を保留している。
もうどうにかなる可能性はゼロなのに、誰かと恋愛しようとするといつも優也の顔がちらつく。
優也は夏に連れてきた彼女とまだ続いてるらしい。
職場の先輩のことを話したら、優也はいいじゃんって笑った。その笑顔が少し泣きそうに見えたけど、たぶん寒かっただけだ。
もしかしたら引き留めてくれるかも、なんて。少しでも期待したあたしはバカだ。
あたしと優也は家族。優也は今までもこれからも大切な弟。
だからもう本当に今度こそ、心を決めようと思う。
庭の地面にノートを重ねて置いた祥が、ライターに火を灯す。
「本気で燃やすの?」
「うん」
「こんなの、よく何年も書き溜めてたよな。正直、重いわ」
「あたしもそう思う」
冗談交じりに笑う俺を見て、祥が泣きそうに笑った。
祥の持っていた三冊のノートに書かれていたのは、殆どが俺への恋心。十年以上分の想いが詰まったラブレターだ。重いなんて言ったのは建前で、それを読んだ俺は本気で泣きそうだった。
「これを読ませて、結婚したあとも俺の心を繋ぎ止めようと思ったの?」
「違うよ。ずっと繋ぎ止められてたのはあたしなの。もう何年も」
そう言いながら、祥がノートに火をつけた。