「だけど、覚えているのはそこまでだ。なぜか今はここにいる」

 自分の記憶喪失設定を思い出したのだろう。辻褄を合わせるようにそう言った。

「人生、いつ何が起きるかわからねえ。自分の出自を変えることもできねえ。ただいつでも、方向転換はできる。間違った道なんて、ねえんだよ」

 話を聞き終えた湊は、顔を上げて大きくうなずいた。

「ありがとう。なんだか、前向きになれる気がするよ」

 今の話で? なんで? どこがそうさせたの?

 男同士で通じるものがあったのか、湊が独自の解釈をした結果そうなったのかはわからない。まあいいか。結局、湊は励まされたみたいだし。

「おう。後悔のねえようにな」

 土方さんはキメ顔を作り、厨房に戻ってくる。クマのアップリケがついたエプロンをしているので、キメ顔なのにすごく残念だ。

 湊は落書きされたノートのページを破り、新しいページにシャーペンを走らせる。

 頑張れ、頑張れ。私は心の中で彼にエールを送った。

「不思議なひとですね、土方さんって」

 厨房に戻ってきた彼に、そう笑いかけた。

 敵とみなしたものには容赦ない。まるで鬼のようだ。しかし、一度懐に入れた者には優しい。相反する表情を持った、不思議なひと。

「そうか?」

「隊規って、本当に今から適用させるんですか?」

「ああ。俺の規則だ。反した者は俺が個人的に裁く」