いや、そんなことはどうでもいいのだ。
三日前に私が会いに来たときには、咲乃はいなかった。それなのに、私は違和感に気付けなかった。
別の悔しさが込み上げてくるばかりで、不思議と、嘘をついて隠していた瑞歩さんに苛立つことはなかった。
「咲乃、玲ちゃんに会いたいって言ってたよ。自分で知らせないでって言ったのに」
瑞歩さんは弱々しく笑う。
その笑顔が咲乃と似ていたのと、咲乃の願いが嬉しくて、複雑な感情のまま、涙を落とした。
涙が枯れるまで泣いたつもりだったが、まだ残っていたらしい。
「本当は、すぐにでも回復して、何もなかったように玲ちゃんと過ごそうとしていたの。でも急に体調を崩して、そのまま」
その先は言わなかった。私としては、またそのワードを聞きたくなかったから助かったが、瑞歩さんは口にしたくなかったのだろう。
「咲乃の最後のわがままが『合格発表の日まで玲ちゃんに言わないで』だったから、玲ちゃんに言えなかったの。ごめんなさい」
深く頭を下げてくる瑞歩さんに対して、私はただ首を横に振ることしかできなかった。
◇
「その様子だと、咲乃ちゃんの家に行って来たね」
一応、おかえりと出迎えてくれた母さんだったが、私の腫れ上がった目を見て、抱きしめてきた。
「母さんは知っていたのか?」
普通なら、今日が合格発表だったから、不合格だったのではないかと思うだろう。
それなのに、母さんは咲乃のことを言ってきた。それは、咲乃のことを知らなければ出てこないはずだ。
「黙っててごめん」
母さんの力は少しだけ強くなった。
普段は頼りなくてどうしようもない人だけど、久しぶりに、この人は私の親なのだと思った。
「瑞歩ちゃんに、咲乃ちゃんの最後のわがままを聞いてあげたいって言われて、言えなかった」
私だって、同じ立場になれば、言えなかっただろう。母さんが気にすることではない。
そう思ったのは確かだが、知っていたのであれば、言ってほしかった。
瑞歩さんたちの気持ちはわからなくもないが、それでも、咲乃にお別れを言うくらいはしたかった。
咲乃の家では言えなかった、私のわがまま。感じなかった怒り。
母さんにぶつけたとしても、八つ当たりでしかないことは理解している。
それでも、言わずにはいられなかった。
私は母さんを突き放す。
「母さんたちが黙っていたから、私は咲乃に会えなかった。お別れが言えなかった。もう、一生会えないのに。卒業式の日が、最後だった。最後だとは思っていなかったから、なにを言って別れたのかなんて、覚えていない。最後の会話が、私の記憶にはないのだ。このつらさがわかるか? どうしてもっと、私の気持ちを考えてくれなかった? 私のことは、どうでもよかったのか?」
当然、この程度では気が済まず、思いつく言葉をそのまま言っていった。その中にはきっと、母さんを傷つける言葉もあっただろう。
だが、母さんはひたすら、黙って受け止めてくれていた。
そのうち泣いて話せなくなり、また母さんの温もりに包まれた。
瑞歩さんとは違う、感情を溢れさせる懐かしさのようなものがあった。
「ごめんね、玲。ごめん」
母さんはただ謝るだけだった。説明も言い訳もせず、謝っていた。
そんなふうにされると、なにも言えなくなってしまう。
私の怒りは、涙として溢れ出た。
どれだけ泣いたかわからない。ただ、咲乃の家では泣き疲れても落ち着いただけだったのに、ここでは眠ってしまったらしい。
目が覚めると夕方になっていて、自分の部屋のベッドの上にいた。
母さんがベッドに背中を預けて眠っていたのには、もっと驚いた。
母さんの肩を叩くと、母さんはすぐに起きた。
「おはよう、玲。お腹空いてない? 玲が好きな卵スープ、作ってるよ」
食べると言うと、母さんは嬉しそうに、安心したように笑った。
それほど心配させてしまうくらい、私は泣いていたのだろうか。少し気になったが、聞けなかった。
母さんが部屋を出るのについて行く。
「そうだ、玲。学校から受け取るはずの資料、もらってこなかったでしょ」
母さんがスープを温め直している間に皿を出していたら、そんなことを言われた。
「ああ、忘れていた」
自分でも驚くくらい、声が出なかった。
どうやら、泣き叫びすぎたようだ。
しかしながら、それどころではなかったのだ。
本来なら許されざることだが、今回ばかりは許してほしい。
「中村先生が届けてくれたよ。明日には持ってきてほしいって。それから、取り乱すようなことを言ってごめんなさいって」
先生が謝る必要はない。むしろ、あのタイミングで教えてもらえてよかった。
もし先生に聞いていなければ、私が知ったのは、もっと後になっていたかもしれない。だから、私は先生に感謝すべきなのだ。
「よし、できた」
母さんが皿に注いでくれたのを受け取ると、食卓に着く。
久しぶりに飲む卵スープに、喜びを感じる。
どれだけ料理ができるようになっても、母さんの卵スープだけは作れなかった。
気に入っているから自分で作りたいと思うのだが、唯一私よりも上手に作れるものだから、と教えてくれない。
舌が火傷しないように、息を吹きかけて冷まし、一口飲む。
これだ、と思った。いつも変わらない、私の好きな味。体に染み渡り、心が落ち着いていく気がした。
◆
そこは闇の世界だった。
どこを見ても何も見えなくて、次第に自分がどこを向いているのかわからなくなる。
その中で、光を見つけた。
私の人生における光。それは咲乃だった。
光がある場所に咲乃がいると思い、私はそこに向かって走った。
予想通り咲乃が光の中心いたのだが、不思議なことに、一定の距離から近付くことができなくなった。
さらに、咲乃は顔を覆って泣いている。
どうした? と声をかけたいのに、思うように声が出せない。
三日前に私が会いに来たときには、咲乃はいなかった。それなのに、私は違和感に気付けなかった。
別の悔しさが込み上げてくるばかりで、不思議と、嘘をついて隠していた瑞歩さんに苛立つことはなかった。
「咲乃、玲ちゃんに会いたいって言ってたよ。自分で知らせないでって言ったのに」
瑞歩さんは弱々しく笑う。
その笑顔が咲乃と似ていたのと、咲乃の願いが嬉しくて、複雑な感情のまま、涙を落とした。
涙が枯れるまで泣いたつもりだったが、まだ残っていたらしい。
「本当は、すぐにでも回復して、何もなかったように玲ちゃんと過ごそうとしていたの。でも急に体調を崩して、そのまま」
その先は言わなかった。私としては、またそのワードを聞きたくなかったから助かったが、瑞歩さんは口にしたくなかったのだろう。
「咲乃の最後のわがままが『合格発表の日まで玲ちゃんに言わないで』だったから、玲ちゃんに言えなかったの。ごめんなさい」
深く頭を下げてくる瑞歩さんに対して、私はただ首を横に振ることしかできなかった。
◇
「その様子だと、咲乃ちゃんの家に行って来たね」
一応、おかえりと出迎えてくれた母さんだったが、私の腫れ上がった目を見て、抱きしめてきた。
「母さんは知っていたのか?」
普通なら、今日が合格発表だったから、不合格だったのではないかと思うだろう。
それなのに、母さんは咲乃のことを言ってきた。それは、咲乃のことを知らなければ出てこないはずだ。
「黙っててごめん」
母さんの力は少しだけ強くなった。
普段は頼りなくてどうしようもない人だけど、久しぶりに、この人は私の親なのだと思った。
「瑞歩ちゃんに、咲乃ちゃんの最後のわがままを聞いてあげたいって言われて、言えなかった」
私だって、同じ立場になれば、言えなかっただろう。母さんが気にすることではない。
そう思ったのは確かだが、知っていたのであれば、言ってほしかった。
瑞歩さんたちの気持ちはわからなくもないが、それでも、咲乃にお別れを言うくらいはしたかった。
咲乃の家では言えなかった、私のわがまま。感じなかった怒り。
母さんにぶつけたとしても、八つ当たりでしかないことは理解している。
それでも、言わずにはいられなかった。
私は母さんを突き放す。
「母さんたちが黙っていたから、私は咲乃に会えなかった。お別れが言えなかった。もう、一生会えないのに。卒業式の日が、最後だった。最後だとは思っていなかったから、なにを言って別れたのかなんて、覚えていない。最後の会話が、私の記憶にはないのだ。このつらさがわかるか? どうしてもっと、私の気持ちを考えてくれなかった? 私のことは、どうでもよかったのか?」
当然、この程度では気が済まず、思いつく言葉をそのまま言っていった。その中にはきっと、母さんを傷つける言葉もあっただろう。
だが、母さんはひたすら、黙って受け止めてくれていた。
そのうち泣いて話せなくなり、また母さんの温もりに包まれた。
瑞歩さんとは違う、感情を溢れさせる懐かしさのようなものがあった。
「ごめんね、玲。ごめん」
母さんはただ謝るだけだった。説明も言い訳もせず、謝っていた。
そんなふうにされると、なにも言えなくなってしまう。
私の怒りは、涙として溢れ出た。
どれだけ泣いたかわからない。ただ、咲乃の家では泣き疲れても落ち着いただけだったのに、ここでは眠ってしまったらしい。
目が覚めると夕方になっていて、自分の部屋のベッドの上にいた。
母さんがベッドに背中を預けて眠っていたのには、もっと驚いた。
母さんの肩を叩くと、母さんはすぐに起きた。
「おはよう、玲。お腹空いてない? 玲が好きな卵スープ、作ってるよ」
食べると言うと、母さんは嬉しそうに、安心したように笑った。
それほど心配させてしまうくらい、私は泣いていたのだろうか。少し気になったが、聞けなかった。
母さんが部屋を出るのについて行く。
「そうだ、玲。学校から受け取るはずの資料、もらってこなかったでしょ」
母さんがスープを温め直している間に皿を出していたら、そんなことを言われた。
「ああ、忘れていた」
自分でも驚くくらい、声が出なかった。
どうやら、泣き叫びすぎたようだ。
しかしながら、それどころではなかったのだ。
本来なら許されざることだが、今回ばかりは許してほしい。
「中村先生が届けてくれたよ。明日には持ってきてほしいって。それから、取り乱すようなことを言ってごめんなさいって」
先生が謝る必要はない。むしろ、あのタイミングで教えてもらえてよかった。
もし先生に聞いていなければ、私が知ったのは、もっと後になっていたかもしれない。だから、私は先生に感謝すべきなのだ。
「よし、できた」
母さんが皿に注いでくれたのを受け取ると、食卓に着く。
久しぶりに飲む卵スープに、喜びを感じる。
どれだけ料理ができるようになっても、母さんの卵スープだけは作れなかった。
気に入っているから自分で作りたいと思うのだが、唯一私よりも上手に作れるものだから、と教えてくれない。
舌が火傷しないように、息を吹きかけて冷まし、一口飲む。
これだ、と思った。いつも変わらない、私の好きな味。体に染み渡り、心が落ち着いていく気がした。
◆
そこは闇の世界だった。
どこを見ても何も見えなくて、次第に自分がどこを向いているのかわからなくなる。
その中で、光を見つけた。
私の人生における光。それは咲乃だった。
光がある場所に咲乃がいると思い、私はそこに向かって走った。
予想通り咲乃が光の中心いたのだが、不思議なことに、一定の距離から近付くことができなくなった。
さらに、咲乃は顔を覆って泣いている。
どうした? と声をかけたいのに、思うように声が出せない。