朝ほどは寒くないが、やはり風の冷たさは変わらない。唯一、顕になっている頬が痛い。

「やっぱり玲ちゃんは、先輩に意地悪な気がする」

 咲乃は両手を擦り合わせ、息を吐きかけている。

 まったくこの小動物は、どこまで可愛いのか。このまま閉じ込めておきたくなる。

「そうか? 幼なじみなのだから、こんなものだろう」

 咲乃はいまいち納得いかないという顔をしている。
 これで納得してもらえないと、ほかに言いようがない。

「そんなことより、咲乃。最近、クラスのほうはどうだ?」

 手っ取り早く、話題を変えてみる。
 その変わり具合と私が選んだ話題に、咲乃は動揺を見せる。

 数ヶ月前までは休み時間のたびに咲乃の教室に行っていたのだが、受験が近くなったこともあり、咲乃に来ないでほしいと言われた。

 つまり、この登下校以外で咲乃と話す機会がない。
 だから私は、咲乃の学校での様子が気になって仕方ないのだ。

「玲ちゃんには悪いけど、結構楽しいよ。今日もね、みんなでアイドルの話で盛り上がったんだよ」

 作り笑いくらいわかる。
 そして、本当に私に心配をかけたくなくて、この嘘をついているということも。

 咲乃の優しさに気付いているからこそ、言及できなかった。

「やはり、一日一回は咲乃に会いに行きたい」

 そうすれば、ここまで咲乃に無理をさせることはないはずだ。

「ダメ。私、玲ちゃんの邪魔にはなりたくないもん」

 そう思ったのに、あっさりと却下されてしまった。

 咲乃のことを邪魔だと思うわけがないし、むしろ、咲乃に会うことが息抜きになるのだが、こう言われてしまうと、我慢するしかなくなった。

「玲ちゃん、私、着替えてきたいんだけど、いいかな?」

 いつもの分かれ道に着き、咲乃が足を止めた。

「もちろん。家で待っている」

 解散して家に帰ると、咲乃が来るからと、普段は家では着ないような服に着替えた。
 自分でも、浮かれているのがわかる。

 数十分すると、インターフォンが鳴った。

 聞こえるはずはないのに、返事を伸ばしながら言い、ドアを開ける。

 そこには咲乃ではなく、佑真が立っていた。
 咲乃が来るとばかり思っていたから、無意識に、ため息をついてしまった。

「もう、置いて帰るだけじゃなくて、見た瞬間にため息つくなんて酷いよ、玲ちゃん」

 佑真は文句を言いながら私が開けたドアに手を伸ばすと、さらに開け、戸惑う私を置いて中に入っていった。

 佑真の登場にどう反応していいのかわからない。
 というか、私のわくわく感を返してほしい。

 そんなことを思いながら、とりあえずドアを閉め、佑真を追う。

「あれ、咲乃ちゃんは?」

 先にリビングに入り、慣れたように冷蔵庫を開けている。
 ペットボトルとコップを取り出し、お茶を注ぎ始めた。

 ここまで堂々と自分の家のように過ごされると、文句言うほうがおかしいのではとさえ、思えてくる。

「着替えて来るらしい」

 そう答えたと同時に、またインターフォンが鳴った。
 今度こそ咲乃だと思い、ドアを開ける。

 間違っていなかったが、咲乃はドアが開いていることに気付いていないらしい。
 ぼーっとしているように見える。

「咲乃?」

 名前を呼ぶと、ようやく目が合った。
 体調が悪いというわけではなさそうだ。

「どうしよう、玲ちゃん」

 動揺と喜びが混ざっているような声と表情。
 まだ詳しく聞いていないのに、それだけで私も嬉しくなる。

「なにがあった?」
「あのね……私、彼氏ができちゃった」

 幸せそうに報告してくれた咲乃に対し、私の気持ちは落ちていた。

「……彼氏?」

 その単語を繰り返すのが、精一杯の反応だった。



 玲ちゃんと別れてから自分の家に戻って着替えたのはいいんだけど、玲ちゃんの家に行くのに、手ぶらはどうかと思って、コンビニに行ったの。

 お母さんに千円くらいもらったし、みんなで食べられるお菓子を買ったんだ。
 でも外に出たら、なんだか怖いお兄さんたちが三人いて、囲まれちゃったの。

「君、一人?」
「可愛いね」
「どこに行くの?」

 私よりも大きな人たちに囲まれて、怖くなっちゃって。
 ただ体を小さくすることしかできなかった。

「怯えてるの?」
「大丈夫。俺たち優しいから」

 その中の一人に腕を掴まれて、もう逃げられないって思ったそのとき。

「なにしてんだよ」

 男の人が、私の腕を掴む手を、強く握り締めていた。

 また男の人が増えたと思ったけど、さっきまでの恐怖が消えていた。

「なんだお前。ヒーロー気取りか?」

 その人は本当にヒーローみたいだった。

 とにかくこの人の近くにいたら安心だと思って、その人の背中に隠れていたら、みんな走って逃げていった。

 なにをしたのかわからなかったけど、あの人たちを追い払って凄いなって思った。

「あの、ありがとうございました」

 お礼を言ったとき、初めてその人の顔を見れた。

 黒髪だけど毛先だけを染めていておしゃれだったし、ピアスもかっこよかったし、なにより、その人の雰囲気から目が離せなかった。

 だけど、その人は無愛想に頭を下げただけで、すぐにどこかに行こうとした。
 このまま別れてしまうと、二度と会えなくなるような気がして、私はその人の服を掴んだ。

「あの、彼女いますか?」

 自分でも唐突なことはわかっていた。
 でも、このまま終わらせたくなくて、必死だった。

「いないけど」

 それを聞いて、すごく嬉しくなっちゃって。

「私、白雪咲乃っていいます。もしよかったら、付き合ってもらえませんか?」

 勢いって怖いなと思った。
 相手が困っていると気付いたのは、それを言ったあとだった。

 急に自分がしたことが恥ずかしくなる。

「急にこんなこと言われても、迷惑ですよね。ごめんなさい。でも、これで終わりにしたくないというか……」

 どんどん変なことを口走って、最後は上手く言えなかった。

「いいよ、付き合っても」

 だけど、その人はそう言ってくれた。
 泣きそうなくらい、嬉しかった。

 初対面だったし、もう少し話したいと思って、たくさん話しながら、玲ちゃんの家まで送ってもらった。



「えっと、玲ちゃん、大丈夫?」

 とりあえず話を聞こうと思い、咲乃を部屋に通したのはいいが、こんなことなら、聞かなければよかった。

 自分の大切な人が、自分以外の大切な人を作ることが、これほどつらいとは思っていなかった。

 しかし幸せそうな咲乃を見ていると、別れてほしいなど言えない。言えるわけがない。

「一目惚れで、自分から告白しちゃうなんて、咲乃ちゃんは大胆だね」

 私がなにも言えないでいたら、佑真が口を挟んだ。
 頭の回転が無駄に早いから、予想外の展開に対応できるのか。

 咲乃は照れくさそうに笑っている。

 そうか。この愛らしい笑顔ももう、私が独り占めすることはできないのか。

 だか、百歩譲っても交際を認めるが、彼氏がいるから遊べないと言われるのだけは嫌だった。

「彼氏ができても、私と遊んでくれるよな?」

 こういう、自分で悩んでいてもしかたないことは、直接言うのが一番だ。

「当たり前だよ」

 咲乃は私の不安を吹き飛ばすくらい、元気に言った。そして咲乃の策略通り、私は心の底から安心した。

 だが、一つ安心すると、違うことが気になりだす。

「しかし、咲乃。今の話だと、彼は不良というやつではないか? 咲乃が危険な目に遭う可能性があるのであれば、その交際は賛成できない。それに、歳は? かなり年上ということはないよな?」