咲乃ちゃんのその言葉で、僕は間違ったことをしていたんだって気付いた。
 僕がしていたことは、結局玲ちゃんを傷つけてしまうことなんだって、そのときわかった。

「……ごめん」
「なにが」

 なかなか引き上げることができないからか、咲乃ちゃんの声色に苛立ちが見える。

 僕が手すりを掴んで立ち上がればよかったんだろうけど、運悪く咲乃ちゃんが掴んだのが僕の左手だったから、咲乃ちゃんの力に頼るしかなかった。

「酷いこと言って、ごめん」

 咲乃ちゃんは複雑そうに僕を見た。

「先輩がなにを言っても、私はもう先輩とは仲良くしない」

 そう言いながらも、咲乃ちゃんは絶対に僕の手を離さなかった。
 僕は本当に愚かだったのだと思い知らされる。

 それから咲乃ちゃんに引き上げてもらったけど、その反動で咲乃ちゃんがバランスを崩した。

 僕だって玲ちゃんの悲しむ姿を見たくなかったから、咲乃ちゃんを助けようと手を伸ばした。
 でも、掴めなかった。僕の手は空を掴んだ。

 そしてそのまま、咲乃ちゃんは、階段を転がり落ちてしまった。



 なにも言えなかった。
 ただ泣くことしかできなかった。

 私の想像なんて、可愛いものだった。
 実際には私が想像できないほどの思いと、出来事があった。

 私のせいで佑真も咲乃も苦しめていたとは。

 その事実に打ちのめされる。

「咲乃が落ちたのを見て、お前はなにをした?」

 私が話せない代わりに新城が話を進めてくれるが、新城も鼻声だった。

「……なにもしなかった」

 耳を疑った。

 声が小さかったから、きっと聞き間違えたのだろう。
 この期に及んで、私はまだそんなことを思っていた。

「僕のせいで、咲乃ちゃんは階段から落ちた。このことを知られるのが怖くて、僕はその場から逃げ出した」

 それを聞いた途端、新城は立ち上がって佑真の胸ぐらを掴んだ。
 だが、振り上げた拳は私が止めた。

 鋭い瞳からは、綺麗な涙が落ちている。

「なんで止めるんだよ。こいつのせいで、咲乃は」
「今は落ち着いてくれ、新城。頼む」

 新城は納得いかない表情を浮かべながらも、席に着いてくれた。私も一緒に座り直す。

 私だって、腹が立つ。
 嘘だと思いたかった。

 でも、本人の口から語られている以上、それは事実でしかなかった。

「なあ、佑真。どうして、言ってくれなかった?」

 私に話すタイミングはいくらでもあったはずだ。それなのに、佑真は黙っていた。
 それどころか、私が咲乃の最期を調べることを反対していた。

「玲ちゃんに嫌われたくなかったから」

 咲乃とのやり取りがあっても、佑真のその考えは変わらなかったらしい。

 佑真は結局、自分のことしか考えていない。
 反対してきたのもきっと、この事実を知られたくなかったからなのだろう。私のことを心配していたからではなかった。

 息をすべて吐ききり、佑真をまっすぐ見つめる。

「私は、お前を軽蔑するよ」

 佑真は泣きそうになっているが、そんなものは知らない。

 私は立ち上がり、佑真を見下ろす。

「もう二度と、私の前に現れないでくれ」

 それだけを言うと、新城を連れて佑真の家を出た。
 まだ雨が降っていたが、傘を差すより先に、新城は私の腕を振り払った。

「なんで止めたんだよ。一発殴ってやらないと」

 雨の音で聞こえにくくても、新城のつらそうな声に、胸を締め付けられる。

「悪かった」

 新城の言い分もわかるから、すべてを聞く前に頭を下げた。

「お前が佑真を許せないように、私だって許せない。だが、元を辿れば私のせいなのだ。私がちゃんと佑真を見ていなかったから、こんなことになった。だから、気が済むまで私を殴ってくれ」

 新城は泣きそうな顔をしていた。雨が容赦なく降りつけるから、大粒の涙を流しているように見えてしまう。

「和多瀬だけのせいじゃない。俺がちゃんとしてなかったから、あいつは俺と付き合うことを反対してた。だから、俺のせいでもあるんだ」

 互いに苦しかった。
 大切な人がいなくなった原因が自分にあるとわかってしまうと、誰だって苦しい。

 だから誰かのせいにして、楽になりたくなる。

 でも、私も新城もそれをしなかった。
 ここでそれをしてしまうと、咲乃から目を背けたことになる。それだけは、嫌だった。

 雨に紛れて涙を落とし続ける。

 私がもっと、周りに興味を持っていれば。
 もっと、佑真のことを大切にしていれば。
 もっと、咲乃のことを見ていれば。

 私の小さな変化で変えられたかもしれない、最悪な出来事。

 どれだけ後悔したって遅いのに、雨の中、私たちはひたすら後悔していた。