なるほど、考えられなくはない。

「ちなみに、いつ別れたか知っているか?」
「さあ、詳しい日までは。ただ、三月中の話だと思いますよ」

 彼は私がどうしてそんなことを聞くのかわからないという顔をしながら、答えてくれた。

 しかし、随分と曖昧な答えだ。
 これでは、今の仮説の真偽は決められない。

「どうしてこんなことが知りたいのですか?」

 聞いてこないのは優しさかと思ったが、はっきりと聞かれてしまった。

「隼人を好きだというなら、前の彼女のことよりも、夢原のことのほうを気にしませんか?」

 メガネ男子が彼女の名を口にしたからか、彼女が振り返った。

 さて、どう答えたものか。

「どうやら新城隼人は素直な子が好きらしいからな。私では無理そうだと思っただけだ」

 それらしい理由を作り上げたが、失敗したと思った。
 咲乃とは知り合いではないと思わせて話しているのに、咲乃と彼女の共通点を挙げてしまった。

「あんたに、隼人のなにがわかるの」

 だが、彼女はそこはどうでもよかったらしい。

 新城のことは、なにも知らない。知っているのは、せいぜい名前だけだ。

 なんて言ってしまえば、新城隼人を好きだということが嘘だと気付かれてしまうから、言えなかった。

 しかしなにも言わずとも、彼女の新城隼人自慢話が始まった。

「隼人は誰にも負けないくらい強くて、かっこいいの。いつもクールで落ち着いてるし、誰も寄せつけないような空気がとにかく素敵。切れ長の目で見られたら、絶対惚れるから。毛先だけ金に染めてるのもおしゃれで、私も真似したの。まさに、孤高の狼って感じだった」

 饒舌だ。
 新城隼人のことを話す彼女は、出会ってからのどの瞬間よりも可愛かった。

 しかし、一気に表情が険しくなった。

「でも、白雪咲乃と付き合うようになってから、隼人はかっこ悪くなった」

 その瞳に宿る憎しみの相手は、咲乃か。

「喧嘩しなくなったし、彼女のことばっかりだったし、尖った空気は柔らかくなってたし、なにより見た目が真面目になった」

 ベタ惚れだな、それは。
 今さっき考えた説が正しいかもしれない可能性が、高くなったではないか。

「隼人がかっこ悪くなったのは、全部全部、白雪咲乃のせいなんだから」

 そのとき、彼女の言葉が止まった。知らない男が、彼女の頭に拳を乗せている。

「咲乃のことを悪く言い続けるなら、俺はお前のこと嫌いになるからな」

 その男が誰か知るには、その一言で十分だった。

 この表情筋が死んでいそうな男が。

「隼人、ごめんね、嫌わないで」

 新城隼人。

純恋(すみれ)ちゃん、必死だね」

 新城隼人の背後から現れた、小さな茶髪。

「うるさい、井田(いだ)。なんでここにいるの」
「僕だけ席が遠いんだよ。寂しいから来ちゃった」

 二人がそんな会話をしている途中、新城隼人は私の顔を見ていた。

 彼女も新城隼人が私を見ていることに気付いたようだ。

「隼人、なんでこの地味女をそんなに見てるの? 気になるとか言わないよね?」

 一度、ほかの女に取られたことがあるからか、かなり動揺している。

「お前、名前は」

 新城隼人は彼女の声を無視して聞いてきた。

「……和多瀬」

 下の名前は躊躇った。

 私が咲乃から新城隼人のことを聞いていたように、新城隼人も私のことを聞いていたかもしれない。
 まだ、気付かれたくなかった。

「和多瀬、なに」

 言うものかと思ったが、やはり異性に睨まれると、体が怯んでしまう。

 言ったほうが身のためかもしれない。
 それが頭を過り、言いたくないのに『玲』と言ってしまいそうになる。

「隼人、なんでそんなにこだわるの? もういいでしょ?」

 私の声が音になるより先に、彼女が文句を言った。このときばかりは、彼女に感謝だ。

 名前を言わずに済んだことに対し、安心した。

「咲乃がよく話していた『玲ちゃん』かもしれないと思って」

 新城隼人の口から、私の名前が出てきてしまった。

 黙っておくのもここまでかと思ったが、それを彼女が笑い飛ばした。

「気のせいだよ。その玲ちゃんって人、綺麗で大人っぽくて、頭がいいんでしょ? こんなところにいるわけないって」

 咲乃がそんなに褒めてくれていたのは嬉しいが、私はそこまで褒められた人間ではない。

 だから、彼女が私を見てありえないと言った判断は正しいと言えるが、なぜか苛立ちを覚えた。

「……それもそうか」

 納得するのか。

「それに、この人、隼人のことを好きだって言ってたよ。白雪咲乃の知り合いが、隼人を狙うとは思えない」

 そういえばそんな嘘をついたな。
 まさか自分の素性を誤魔化すのに使えるとは思っていなかった。

「俺の気のせいか」

 今はそれで片付けておいてくれると、助かる。

「気のせいじゃないよ」

 話が終わったと思ったら、茶髪が口を挟んだ。
 こちらに一枚の紙を向けている。

 持っているのは、座席表だ。

「ほら、和多瀬玲って書いてある」

 新城隼人を含め、全員が私を見てきた。

 恨むぞ、茶髪。

「嘘をついたのか」
「お前たちが勝手に勘違いしたのだろう。私はなにも言っていない。まあ、お前を好きだというのは、嘘だが」

 空気が最悪だ。
 これでは、私が聞きたいことを聞くのは無理そうだ。

「どうして星月に? 貴方はもっとレベルの高いところに行けたのでしょう?」
「また咲乃と同じ学校に通いたかった。それだけだ」

 咲乃がいない今となっては、叶わぬことだが。

 素直に答えると、彼女が嘲笑した。

「白雪咲乃が隼人のいる高校を選ぶからってだけで、ここに来たとか、バカすぎない? 白雪咲乃と隼人が別れてるってことも知らずに」