母さんがキッチンに入ったから、邪魔にならないように移動する。母さんは冷蔵庫を開けている。

 瑞歩さんに聞くというのは一瞬思い浮かんだが、私も却下した。
 すでに病院での様子を聞いているというのに、さらに私のわがままで、瑞歩さんにつらいことを思い出させて、悲しい思いをさせるようなことはしたくない。

「ほかに咲乃ちゃんの最期を知っていそうな人っているの?」

 母さんが取り出しているのは、できあがっているお好み焼きだ。パックに入っている。
 なんでも作れる気がすると言ったのは、嘘だったのか。

「お好み焼き、嫌?」

 私の視線に気付いて言うが、そこではない。
 まあ、あまり期待はしていなかったから、問題はないが。

「お好み焼きでいい」

 コップや箸を取り、食卓に移動する。
 二人で手を合わせ、お好み焼きを食べ始めた。

 冷たいお好み焼きは想像以上に美味しくなかった。少し温めたほうがいいと思い、耐熱性の皿を取りに立ち上がる。
 母さんはそのままでいいらしく、なにも言ってこない。

「さっきの話の続きだけど、玲は誰に頼るつもりなの?」

 母さんに言われて、話が途中だったことを思い出した。

 咲乃の最期を知っていそうな人間は、一人しか思い浮かばない。

「咲乃の恋人だった男だ」

 冷たいお好み焼きを皿に移しながら言うと、母さんはむせて水を飲む。

 そんなに驚くようなことを言っただろうか。

 いや、私自身、咲乃に言われたときに固まった覚えがある。この反応は普通なのだろう。

 電子レンジの前まで移動し、温め始める。

「咲乃ちゃん、彼氏がいたの?」
「ああ。一ヶ月くらい付き合っていたはずだ」

 名前しか知らないから、それ以上のことは言えなかった。
 しかしたったそれだけで、母さんは一人で納得している。

「咲乃ちゃんパパが荒れるわけだ」

 まさに、その通りだ。

 宏太朗さんはかなり新城隼人を恨んでいた。いろいろな感情が混ざったゆえの恨みだと思う。

 電子レンジから小さな破裂音のような、嫌な音が聞こえ、温めをやめる。
 取り出して一口食べてみると、まだ冷たかった。もう一度温めなおす。

「それで、玲は咲乃ちゃんの彼氏のこと、知ってるの?」
「名前と通う高校だけ」

 高校という単語を口にして、あることに気付いた。
 忘れてはならない大切なことを、ずっと忘れていた。

「中学に提出する資料を、出した覚えがない」

 母さんは得意げな顔をし、左手でピースサインを見せてきた。

「ちゃんと出しておきました」

 一瞬あの表情に苛立ちを覚えたが、これを言われると、感謝以外ない。

 そこそこ温かくなったお好み焼きを持って席に戻ると、母さんはどこか浮かない顔をしていた。
 お好み焼きを食べながら、どうしたと聞いてみる。

「本当は玲が持って行かないといけないってわかってたんだけど、咲乃ちゃんのことを知った次の日のことだったでしょ? 無理言えないなって思って、私が持って行ったの」

 全てがどうでもよくなったとまでは言わないが、咲乃のこと以外を考える余裕はなかったのは事実だ。

「ごめん、ありがとう」

 今の私には、この二つの言葉しか言えなかった。

「中村先生もわかってくれてたし、ありがとうだけでいいよ」

 そう言われて、もう一度お礼だけを言った。

「えっと、なんの話をしていたんだっけ」
「咲乃の恋人の話」

 母さんは思い出したという表情をして、お好み焼きを口に運ぶ。
 そして、すぐになにか閃いたらしい。

「玲が急に志望校を変えたのって、それが関係しているの?」
「ご名答」

 むしろ、それしかないと思ってしまう自分がいる。

 母さんも、咲乃と同じく呆れた表情で笑った。

「本当、咲乃ちゃんのことしか頭にないんだから」

 これには苦笑で返すしかなかった。

「じゃあ、咲乃ちゃんの彼は、玲が行く高校に通うんだね?」
「あいつが合格していればの話だが」

 あのレベルの高校なのだ。合格できないほうがおかしいと思うが、もしもということもある。

 私がしようとしていることは、新城隼人が合格していなければ話がまったく進まないのだが、こればかり私にはどうしようもないことで、新城隼人が合格していることを祈るしかない。

 すると、母さんが小さな声で笑っているのが聞こえた。
 今の会話の中で、笑うところがあっただろうか。

「いつも通りの玲だね」

 複雑だった。

 母さんは、私が少しでも元気になっていることを喜んでいるということはわかっている。
 だが、咲乃がいなくても平気だね、と言われているような気がしてしまった。

「ねえ、玲」

 呼ばれて顔を上げると、母さんはまっすぐに私を見ていた。
 その雰囲気にのまれ、背筋を伸ばす。

「さっき玲の好きにしたらいいって言ったけど、無理だけはしないでね」

 なぜそんなことを言うのかわからず、結局曖昧な反応しかしなかった。