船が港に着くというアナウンスが聞こえて、私は涙を拭った。
 さあ、帰ろう。私の、私が住む世界に。

「……え?」

 港に降り立った私の目に映ったのは、そこにいるはずのない人の姿だった。
「海里……?」
「よう」
「ど、どうして? なんでここに……」
「……待ってるって言っただろ」

 ぶっきらぼうに言う海里に「ごめんね」と言うと、「気にすんな」と言われた。
 その言葉が妙に優しくて、おかしかった。

「何、笑ってんだよ」
「笑ってないよ」
「嘘つけ。……まあ、いいや。ちゃんと帰ってきたし」
「……うん」

 私たちは駅へと向かうと、帰りの高速バスが来るまで、ベンチに座って時間を潰すことにした。

「ほい」
「ありがとう」

 すぐそこの自販機で買った紅茶を海里は私に手渡すと、私の隣に座る。そして、ぽつりと話し始めた。

「俺、さ……ずっと後悔してたんだ」
「……うん」
「あの日、俺がキャンプにお前を誘わなければあんなことにならなかったんじゃないかって」
「そんなこと……!」
「俺、あの日本当はお前に告白するつもりだったんだ」
「え……?」

 私は思わず顔を上げる。そこには照れくさそうに笑う海里の姿があった。

「やっぱり気付いてなかったか」
「だ、だって……そんな……嘘」
「嘘なんかつかねえよ。キャンプ場に蛍の伝説があるって聞いて、そこで菫に告白しよう。小さい頃からずっと好きだったって。そう言おうって思ってたのに……お前、いなくなっちまうんだもん。俺があんなこと考えなきゃ、お前があのキャンプ場に行くこともなかったのにってずっと後悔してった。告白なんてしようと思わなきゃよかった。俺のせいで、って……」

 知らなかった……。あの頃の海里がそんなふうに私のことを海里が思っていたなんて……。だから、海里は私が戻ってきてからずっと私のそばにいたんだ。自分が誘ったせいで私がいなくなるきっかけを作ってしまったとそう思って……。

「海里のせいなんかじゃ……」
「俺のせいだよ! だから……今度は菫のとこを守るんだって、そう思ってたのに……。結局、何もできなかった」
「海里……」

 悲しそうに笑う海里に胸が苦しくなる。私は、結局あの頃から何の進歩もしていない。自分のことしか考えてなくて、人のことを傷つけていることに気付いてすらいなかった。

「ごめん……」
「なんで謝るんだよ。謝るのは俺の方で……」
「そんなことないよ。……ずっとそばにいてくれてありがとう」

 そっと微笑むと、海里も微笑み返してくれる。
 そこにいたのは、あの頃の幼さの残る幼なじみじゃなくて、大人びた表情を浮かべる一人の男の人だった。
 海里の横顔に、胸の奥があたたかくなるのを感じる。いつの間にこんな表情をするようになったのだろう。隣にいるようで、私は海里のことなんて全く見ていなかったのかもしれない。
 この胸のあたたかさの正体を、私はまだ知らない。それは、幼い恋のときめきとも伊織さんに向けたものとも違う。でも、きっと私にとって凄く大切なもので――。

「帰ろうか」
「うん」

 もうすぐバスが来るというアナウンスが聞こえて、私たちはベンチを立った。
 バスがターミナルに入ってくるのが見える。

「ねえ、海里」
「ん?」
「……小豆島であったこと、過ごした日々のこと、聞いてくれる?」
「ああ、聞くよ。何度でも、いくらでも」

 伸びた影が重なる。
 その影を隠すようにしてバスが止まった。
 さあ、帰ろう。
 私たちの住む街に。
 私たちの、住む時代に。

「菫」

 誰かに呼ばれた気がした。でも、もう私は振り返らない。
 あなたのいない明日を、私は幸せに生きる。

「さようなら」

 小さく呟いた後ろで、バスのドアが閉まった。
 その瞬間、なぜか私の瞳から一筋、涙がこぼれ落ちた。
 あたたかい、あたたかい涙が。