さすがに、少年は少しばかり怯んだようだった。険を含んだ物言いと態度をした自分に、これだけ邪気のない対応が返ってくるとは思わなかったのだろう。
 けれどそれに余計腹がたった様子で、ごまかすように眉間のしわが深くなった。更に何かを口に出す前に、今度は店主の方が素早く言った。

「これでも、そこそこ役にたっておりましたのですが、今日はもうお客も少ないもので、そろそろ開放してやろうと思っていたところだったのですよ。まだ代金には足りませんがね」
 なんとか穏便に事を運びたい店主の心の内など完全に読みきっているような顔で、少年はふうん、と喉の奥でつぶやいた。

「じゃあこいつ、クビか」
 たったそれだけ。その一言で、自分が経営しているわけではないこの店のことを、自由にできるのが分かっている口調だった。


 街道を北上しながら、柾は盛大にため息をついた。荷物を背負う背が丸くなって、力なく肩が落ちている。

「嫌われちゃったな」
 唐突な出来事と店主の態度に、柾は半ば呆然と、半ば悲しそうにつぶやいた。追い出されるというよりは、追い払われたも同然だった。要因になった少年を恨むでなく、庇うような素振りを少しも見せなかった店主や、周りにいた人間たちへの文句を言うでなく、彼が気にして落胆しているのは、そんな生易しい一点だけだった。

 少年だけでなく、きっと店主にも、確かにいい思いは抱いてもらえなかっただろう。店主の場合、厳密に言えば嫌われたと言うよりも、迷惑がられたのだろうが。

「だから、お節介もいい加減にしなっていつも言ってるだろ」
 凜は容赦なく言い放った。どうやら彼は大層不機嫌なようだった。言うまでもないことだが。

「柾のせいで、どうしてぼくがこんなに不愉快な思いしなきゃならないんだ。あんな小僧、高貴なお血筋か何か知らないけど、もっと厳しく教育してやれば良かったんだ」
 柾のために怒っている、というよりは、少年の態度にひたすら腹を立てていた。そして相手の態度に文句も言わず制裁もせず、簡単に追い払われた柾にも。
 でもそれは、柾のためにというよりは、凜が不快な思いをしたにもかかわらず、凜のために相手を叱責しなかったことに怒っているのだ。傍若無人ぶりで言えば、凜も少年も大差ない、と柾は思う。

「一応、きちんと家に帰るようには言ったし、部外者が口をはさめるのはその程度だしねえ。別に悪口言われたわけでも、危害加えられたわけでもないし、逆にこちらがいじめる理由はないだろ」
「危害ね」
 ぶつぶつと愚痴を言うような口調での柾の言葉に、凜が大声を上げて立ち止まった。彼らの近く、街道にいた人たちが何事かと視線を向ける。

 夜が来る前に山を越えてしまいたい旅人たちは、ほんの少し顔を向ける程度、近くの店の軒先にいた人間は、少し迷惑そうな表情で、身近にいた人と何事かをつぶやいている。

 凜は、そんな人々の反応など、まったく視界に入っていないようだった。ただ柾が、まわりの過敏な反応に、困ったような顔をしたのには気がついて、それが余計に彼の怒りを煽っている。

「あれが悪口でなくてなんだって言うんだよ」
「でも、普段から凜に言われ慣れてる単語だったから」
「それは、ぼくだからいいんだよ。他の奴に許可した覚えはない。だいたい普通に考えて、あれを悪口じゃないなんて言う人はいないだろ」
 許可が必要だったのか、とのんびりと思った直後、凜の口から「普通」という言葉が飛び出して、柾は顔中の筋肉から力が抜けるのを感じた。ぽかんと口が開いて、はあ、と呼応ともため息ともつかない声がもれる。

「なんて顔してるんだよ、間抜け」
 当然のように、再び叱責が飛ぶ。さすがに、何事かと振り返る人の顔が多かった。

 けれども、火に油を注いだ状態の柾がハッとしするよりも先に、彼らの後ろで笑いが弾けた。唐突な、そして無遠慮な高笑いに、柾は純粋に驚きで、凜が怒りの表情で振り返る。
 邪気のない笑い声をあげているのは、真っ黒な髪をした、痩身の少年だった。きつめの顔だちは、楽しげに笑っているせいで色を変えていた。とても愛嬌の良い、明るい少年に見える。

「やっぱ、馬鹿だなお前ら」
 嫌味でなく屈託なくあっけらかんと言われて、柾はやはり怒るでなく、一緒ににこりとする。凜の眉はきりきりとつりあがる一方だったが、少年は構わずに続けた。

「おい、感謝しろよな。あの調子で一日働かされるところを、俺が解放してやったんだからな」
 見方を変えれば、そういうことになるのかもしれない。
「うん、でも、あれは俺が金を払えなかったから仕方ないと言うか、当然の労働だったんだけど……。うん、でも、あの調子だったら凜が退屈して大変だったろうから、とりあえず、ありがとうな」

 少年に吐かれた暴言のことはすっかり忘れた様子で、柾はにっこり笑いながら応える。すんなり礼が返ってくると思っていなかった様子の少年は、少し拍子抜けした様子で、おう、と言った。