凜はふてくされて、先刻の団子を頬ばり始めた。その目に、突然少年が飛び込んでくる。
苦しげな呼吸で駆けてきた彼は、凜の隣りにどすんと音をたてて座ると、奥に声をかけようと首を伸ばして、やめた。今気がついたという様子で、不機嫌な凜を怪訝そうに見る。それから女性に囲まれて困っている柾を見比べる。
にやりと笑うと、柾に向かって飲み物を注文した。
首を傾けて凜の顔を覗き込むようにして、からかう口調で声をかけてくる。
「恋人にすっぽかされでもしたのか」
「うるさいな。あんなの恋人じゃないって」
「へえ、図星だ」
けたけたと笑う、という形容が最も合うだろう。そういう、相手を不快にする声の調子だった。
「違うね。そんなものじゃないね。ぼくと柾は一心同体なんだから」
「だからそう言う事を、人前で言うなって言っているだろう。誤解されるから」
いつの間にか、手に湯飲みを持って柾が後ろに立っている。凜に小言を言ってから少年に湯飲みを渡した。すると少年はすぐに渋面になった。
「なんだよ。走ってきて暑いところに、こんな湯気の立ったもの出さなくてもいいだろ」
「残念ながら、暑いものしかなくてね。それに冷えたものより、あったかいものの方が体にいいだろ」
「年寄りくさい」
「小言もらいに来たんじゃねえよ」
もったいぶって言ったところに、凜と少年と両方から非難の声があがって、柾は少しやれやれというように肩を持ち上げた。
「それはそうと、少年。緑の着物に、黒髪、きつめの顔。久我綾都かい」
「呼び捨てにするなよ。偉そうに。俺を何だと思っているんだ」
少年の返答は、疑うまでもなく肯定だった。慎司とはまるで態度が違う。
先刻まで柾に構っていた女たちが、困惑顔、もしくは不安そうな、迷惑そうな顔で遠巻きに見ている。それは現れた少年だけにではなく、柾にも向けられていた。頼むから、やっかいごとを起こしてくれるな、という類の眼差し。
それらを尻目に、柾は少し腰を折り少年と目線が近くなるようにすると、いたずらをした子どもを叱るような口調で言った。
「さっき、君のとこの人が探しにきていたぞ。あんまり家の人を心配させていないで、とっととおウチに帰りなさい」
名前を当てられた時点で、表情に不穏なものを混ぜていた少年の顔から、瞬時にすべてが消えた。
それから、不機嫌と言うのでは簡単すぎる、高慢さと侮蔑の入り混じった顔で柾を見た。そうして他人を見るのが、当然だと思っている顔だった。
生意気だなどと怒ることなど出来ない、こちらが怖気づいてしまうような豹変と、慣れた態度だった。柾は少し驚いた様子を見せたくらいだったが。
「おい」
少年が、後ろへ向かって声をかける。ちょうどそこには、店の中にいたはずの店主が蒼白になって立っていた。
軒先の様子がおかしいのを見て事態を察し、慌てて出てきて、少年につられて振り返った柾を黙らせようと拳を上げたところだった。少年の声に一拍おいて、ゴツンと硬い音がする。
「アイテッ」
「申し訳ありません。これが何かしましたか」
明らかに動揺しているはずなのに声は揺れているというより、ただ硬い。むしろ緊張の方が強いようだった。
何事かと見ている柾を、少年の視界から締め出そうとするかのように強引に脇へ押しやってから、所在なさそうな手を落ち着きなく前掛けで拭っている。濡れてもいないのに。
そんな、誰が見ても様子がおかしいと言える店主を、その点に関しては少しの疑問も浮かべていない顔で見上げて、むしろ当然だという態度で、少年は言った。
「お前のとこの、この生意気なのはなんだ」
今度は柾が何かを言うより早く、更に柾を押しのけるようにして、店主が口早にまくしたてる。
「先頃、食事にこちらへ立ち寄った旅の者でございますよ。食事をした後で、財布をすられたと言ってきたもんですから、代金がわりに手伝いをさせていまして」
「なるほど、余所者か。道理で、見ない顔だと思った」
少年の顔に、にやりと笑いが戻っていた。
「間抜けなのは面だけじゃないみたいだな」
その声と同じように、卑下するものが強く含まれたものだったが。
少年の態度が少し和らいだと、人々は肩に入った力をほんの少し抜いたようだった。そんな中柾は、少年の隣に座る凜が、不穏な空気を振りまき始めているのに気づいてしまった。内心焦りが満ちる。
それを表には出さず、まったく大したことではないというのを主張するように、人のいい顔でにっこり笑った。
「これが中々、直らないものでね」