奇妙な旅人達が去って少し。
彼らは、ただ楽しげで気楽なようで、その実、自分たち以外の何もかもに執着などないように見えた。何もかも、どうなっても、どうでも、構わないように。
――自分たちと同じように。
速く、せわしない呼吸が空気を乱している。綾都は空気をかき集めるように呑み、けれど飲み下す前に吐き出してしまう。
締め切られた部屋の外は暗い。外では雨が降っているようで、満ちた空気が湿り気を帯びている。空気すらも重い。身にのしかかる。
だけど何よりも、激痛が身を苛んでいる。
痛みから逃れたい一心で、そうすればどうなるというわけでもないのに、汗のにじむ額を枕に押しつけて、胸を抑える。寝間着の襟を掴んで、自分の胸に爪を立てる。
かきむしる爪の間に、裂かれた肌が玉になって詰まっても、血がにじみ始めても、その程度の些細な痛みなど感じなかった。
何より、心臓が、痛い。このまま、肌を開いてむしり取ってしまえるものならそうしてしまいたいほど、自分の体の一部とも思えないほどに、痛い。
呼吸が頭の中に響いている。それしか聞こえない。何も考えられない。
誰か早く解放してくれと、どうしようもないことなのに、切に願う。誰も助けることなどできないのに。
そして普段なら決して考えもしないことが、かすめるように頭をよぎった。――この苦しみから逃れられるものなら、早く死んでしまいたい。
それくらい。とにかく、苦しくて。
ただ大きく息を吸って、吐く。それすら難しかったけれど、とにかく喉が壊れるかというくらいに、力一杯吸って。一緒に痛みも出ていけばいいのにと、あり得ないことを願いながら、吐き捨てて。そうしてじりじりと、命がつきるのを、待っている。
もう目の前に迫っているその時を、為す術もなく、じっと待つしかなかった。
けれど綾都は、そんな激痛に襲われながらも、枕に顔を押しつけて、うめき声がもれるのをこらえている。
なんとか、表情を和らげようとしていた。眉間に寄ったしわが苦悶の痕を残さないように。
胸をかきむしった手が苦しみの後を見せてしまわないよう、救いを求めて震える手で、何とか襟元をかきあわせる。
苦しくなんてないと、自分に言い聞かせて。
なるべく息を殺して、苦悶の表情など浮かべないようにして、死んで行かなくてはならない。死の時、決してつらい思いなどしていないのだと、慎にそう思わせなければ。
呼べば聞こえる距離にいるのは分かっている。なにか物音をたてれば、すぐに駆けつけてくるだろうということも、分かっているけれど。
彼を呼ばない。これで良かったのだ。こんなに苦しむ自分を見て、慎が正気でいられるわけがない。
きっと、こんな自分なんかよりも、痛い思いをするのだろうから。あんなに優しい、自分のことよりも相手のことばかりを考えている、どうしようもないお人好しなのだから。
二人きりで生きてきて、自分も、相手も、お互いのことばかり考えてきた。だから、こんなに努力をして、彼を苦しませないようにしても、無理だろうとは思う。彼は悲しむだろう。きっと、耐えられないだろう。
だから、悲しまないでなんて、言わない。思わない。無理なことを願わない。
でも俺は。
短かったけれど、嫌な思いもたくさんしたけれど。死ぬときだって、こんなに苦しんで行かなくてはならないことが、自分でも不幸だと思ってしまうけれど。
でも俺は、君と生きてきて、そのことが幸せだったから。何よりも、それだけが重要なことだから。
その思いが君に伝わればいいと願いながら、瞳を閉じる。苦悶ではなく、穏やかな表情で眠る自分の顔で、伝わればいいと願いながら。