凜を見上げる綾都の顔は、月に照らされて青い。水底(みなそこ)で息を潜めている貝のように。波の揺らめきに体を染める魚のように。
 けれど綾都の表情は、密やかな営みを押しのけるように明るい。

「後のことを頼むよ」
「どうしてぼくに」
 不機嫌な顔で凜が返す。どうして余所者に。よく知りもしない人間に。そんな面倒なことを何故、わざわざこの自分がしてやらなければならないのか。

 言葉が透けて見えそうな凜の問いに、綾都は破顔した。病にかかる前の、ひねくれて慎司に当り散らす前の、彼の素直な性格が見えるような表情だった。

「お前たちは、同類の臭いがするよ」
 指を突きつけて言う。
「死の世界に片足突っ込んでいるからかな。直感も信じる気になってきている。考える時間もあまりないから、決めたら行動するしかないんだ」
 迷っている暇は無い。少しでも、後悔している暇はない。
 わずかでも、今できることを、残していくしかない。
 かけらでも。砂粒でも。

「死にいく人間の願いだ。華族とか、余所者だとか、そういうことにこだわらず、聞いてくれ」
 それは彼のような、名家の人間が言うことでもないようだった。
 二人とも、よく似ている。そんなところは。



 門前、わざわざ慎司は旅立つ柾たちを見送りに出ていた。外は快晴、よく晴れて気持ちがいい。

「慎司」
 呼び捨てられても、慎司は気にした風も無く柾を見る。
 風が、揺らいでいる。咲き始めた花の香りをゆるやかに運んでくる。季節が移り変わる。人は、取り残される。
 柾は、眼差しを受けて、微笑う。

「月は江を照らし、松風が吹いている。この永夜の清らかな宵の景色は、何のためにあるのか」
 朗とした声が、詠みあげる。
「意味を知ってるかい」
 真意を測りかねて、慎司は口を閉ざしたままだ。

 決してからかうようでもない、まっすぐに向けられた柾の目を受けて、静かな表情でたたずんでいる。
 曖昧に。
 進むでも逃げるでもなく。

「よく考えてごらん。あまり、悲観せずに」
 残された言葉は、ゆるやかに風に乗る。