額から汗を流しながら、綾都は襟のあわせに手を乱暴に差し入れる。指先が必死に、けれどもどかしい動きで中を探る。小さな紙の包みの乾いた感触が指に触れた。

 指先に、不自然に力が入って震える。薬を包む紙を、中身をこぼさず開くのに苦労した。呷った粉末は幾分か唇の端を落ちていったが、少しは口の中におさめることが出来たようだった。
 呑み込む力もなかったが、水などない。贅沢を言っている余裕などもないから、無理矢理に、唾を何度も何度も呑み込みながら、薬を身体の内部に押し込んでいく。

 効き始めるには、幾分か時間もかかる。
 でも、たったそれまでの辛抱だと、唱える。呪文のように念じる。懸命に、懸命に。
 拳が白くなるまで手を握りしめて、その時をただじっと待つ。永遠のような長さを、待ち続けた。

 いつもならそれでおさまるはずだ。だから、土に汚れた衣服のことを考える。気がつけば、視界に入った腕から血が流れていた。倒れた拍子に擦りむいたようだった。
 これを見たらまた慎司がうるさく言うだろう。思うだけで憂鬱だった。だがどうにかする余裕もない。

 以前、運悪く雨上がりに、足がもつれ、転んでしまったことがあった。水を吸った土は緩く、衣服に泥がこびりついてしまった。
 あのときの慎司の騒ぎ方と言ったら、尋常でなかった。水溜りの中に倒れなかっただけましだったが、二度とあんな騒ぎはごめんだった。鬱陶しい事態になる前に、せめて擦りむいた腕くらいは、慎司に見つからないようにしなければ。

 どんなに泣いて喚かれても、言うことを聞く気など毛頭なかったが。
 冷笑したいような気持ちにもなったが、それが表情となって出ることはなかった。そんな力もない。

 待ち続けても、薬が効いている気配が無い。その時がなかなか来ない。こんなに時間がかかっては、探しに来た慎司に見つかってしまう。よりによってこんなところを見られたらまた面倒なことになる。

「おい」
 自分の呼吸ばかりが耳の奥に響く中、混じり込んだ雑音のように声が聞こえた。覚えのある声だった。でも誰の声とまでは判別できない。例え知っている声でも思い出せない。ただ、よく知った人の声でないことだけは分かる。回らない思考の中を探る。誰だ。

「おい、大丈夫か」
 乱暴に地面を蹴る音が身に響く。駆け寄ってきたのだろう。
 声が最前よりも近くで聞こえて、大きな手が綾都の肩を掴んだ。彼が胸を押さえているのを見て、頭を打ったようではないのを確かめている。

 抱き起こされた頃、ようやく痛みが引き始めたのに気づく。いつも発作の後は、渾身の力で全身を強張らせていた反動で、体から力が抜けてしまう。
 先程までとは別の意味で、茫洋として表情にすら力が入らない。疲れが抜けるのを待つしかなかった。

 ただなんとか、思考に絡まるようだった呼吸が幾分か落ち着いて、乱れていた五感が戻ってくる。さまよっていた焦点が合い、目に映るものを脳に届ける。

 暗くてよく分からなかったが、黒い土と、暗い木の幹と、陰影をつける木の葉が判別できる。そして、遠くに月が。

 見た先にある顔は、覚えのある顔だったが、やはり名前が浮かばない。その隣りからもう一人覗き込んでいるのに気がついて、ようやく昼の光景が甦った。

 虚ろに見上げる綾都を抱え上げたのは、柾だった。彼の顔はそう言えばよく見ていなかった。どちらかと言えば凜の方を覚えていた。

「家どこだ。連れていってやるから。言えるか」
 声がひどく優しくて、おかしみが沸いてきた。笑いたかったが、やはり表情になってあらわれることもない。そんな力も入らない。

 地元の人間ならば、彼にこんな愚かしいことを尋ねたりしないのに、と思うだけで、ただ意味もなく愉快だった。

 渾身の力を振り絞って、首を振った。首を支えていた柾の手から逃れるようにして。首の据わらない赤子のように落ちた頭に、柾が慌てて手を添え直す。

 今の状態で家には帰れない。もう少し休めば、なんとかおさまるだろう。自分で立って歩いて帰らないと。自分の足で、家に行かないと。出てきたときと同じように。

「どうした。平気なのか」
 心配そうな柾に、もう一度首を振った。今度は縦に大きく。
 平気だ。いつものことなのだから、おさまることを知っている。辛抱すれば痛みが去ることを知っている。大丈夫だ。なんてことはない。このくらい。これからもっともっと、耐えていかなければならないのだから。

 けれども、予感は、焦りは脳裏を去ってくれなかった。
 薬の効きが遅くなっている。
 ――――もう、だめかも知れない。