「綾都、ごめんね」
青褪めた唇を震わせながら、慎司は揺れる声で呟いた。
しとしとと、雨が膝を濡らしている。ぬるい香りの中に、冷たい雨が降る。目の前の庭の草木が、しずくの重みに揺れている。
並んで木の床の上に正座した綾都は、首を振って言う。
「口答えしたのは俺だから、ごめんな」
「ううん、ありがとう」
慎司は頭を振り、笑みを滲ませて綾都を見る。綾都は、安堵したように笑みを返した。それから、強く怒気を孕んだ息を吐いてから、顔を前に向けて言った。
「どうせもう少し大きくなったら、東京の学校に行くことになるんだ。こんな家、出て行ける。もう少しの辛抱だよ」
「家を捨てるの」
「別に、捨てなくたっていいよ。いつかは慎司のものになるんだから、今だけ頑張って我慢していれば、いつかたくさん、楽しいことができるから」
それも決して、遠い先のことではない筈。そればかりを思い描いて、耐えている。
「いつか、一緒に、外国に行こうな」
二人で痛みを分け合って、先の楽しみを語ることでしか、歩んでこれなかった。
だがそれは、何にも勝る楽しみだった。現実になることが難くない、絵空事ではない物事のはずだから。今さえ耐え抜けば。
「うん」
「たくさん、色んなものを見て、色んなことをして、お前は、色んな絵を描くんだ」
それが俺の楽しみでもあるから、と綾都は笑う。
慎司は、素直に頷く。
閉じ込められた世界。歪められた、押し込められた世界だった。
それでも、明るかった。例え淀んではいても、痛みばかりでも、明るかったのだ、本当に。