江月照松風吹 永夜清宵何所為







 最初の事件の被害者は、事故死だった、と記憶している。
 思い出したくもない情報だが、どうしても考えてしまう。男は、自分の記憶を振り落とすように頭を振った。
 暗い森の中を、身を縮こまらせて男たちが進んでいる。月は淡く、明かりは木々の表面(おもて)を舐め、深い山の中には行き届かない。何者をも押しつぶすように、静寂が横たわっている。

「頼むから、俺と見張りの場所を変わってくれよ」
 暗闇への恐怖を無理矢理に抑え込んでわざと大きな声を出し、彼は両手を合わせて皆に頼み込んだ。

 噂に、都市では夜の間でも、街灯が煌煌と真昼のように輝いていると言う話を聞く。だが、所詮それは伝聞だった。そんな話が面白半分に、逸話のように語られるくらい、他の土地には縁のないことだ。
 都市から外れた場所では、そのようなものはない。それだけの設備も金も技術者もこの国には足りていなかった。

 たまたま彼らの住まうこの土地は、名家の人間が好んで居住しており、その名目のおかげで他よりは多少の設備が整っている。
 だが町の中、表面だけ華やかな市街に多少の恩恵はあっても、やはり山奥を行く夜道は暗い。男たちは、手に持った行燈の明かりを頼りに歩くしかなかった。冬の終わりは目前だが、寒気は変わらず彼らをさいなんでいる。

「だめだめ、お前が賭けで負けたんだから、仕方ないだろ」
「なんだよ、お前はいいだろ、独り者なんだから。もし俺に何かあったら、嫁が泣いて悲しむ。誰があいつの世話をしてやるんだ」
「心配いらねえ、って。お前がいなくなったら、俺がちゃんと面倒見てやるから」
 必死な男に対して、他の者たちは笑って受けるばかりだった。
「あ、それなら俺の方が適任だな。俺が由紀さんの面倒見てやるから、安心しろ」
「お前は分不相応な美人を嫁にもらって、人生の運を使っちまったんだよ。いいから、ここくらい貧乏くじを引いておけ。もしもの時は、俺こそが由紀さんを慰めてやるから」

 反論しようとしたところに、次々と名乗り出てきて、男は口をつぐんだ。運が悪い上に、まわりは油断のならない奴らばかりと来ている。

 その時、木々の向こうで鳴き声がした。森が鳴いている。赤ん坊のような声で、ガサガサと草を揺らす小さな音ともに、哀れを誘うようなかすれた泣き声は続いている。獣の声だろうと分かっていても、皆が身を竦めた。

 ここのところ、奇妙と言えば奇妙な事故で死ぬ人が相次いでいる。
 最初の被害者は、大工仕事をしていた男だった。友人ではなかったが、顔見知り程度には知っていた男だ。狭く押し込められたこの町は、そういう人間ばかりだ。
 仕事帰りに何かの拍子にか転んで、運悪く頭を強打し、そのまま死んだようだと聞いている。両手には大工用具を抱えていて受け身をとれず、さらにその道具にひどくぶつけたらしかった。そんなに鈍い男ではなかったような気がするが、親しい相手ではなかったので、固く否定ができるわけでもない。

 そういったことは、誰にでも起こりえるだろう。だが、その後に起きたことは、誰の身にも起こりえるとは言えなかった。
 皆に対する軽い苛立ちを抱いたところで、再び恐怖が全身を覆い被さるように襲ってきた。救いを求めるように前方へ目を向ける。

 前方には、しっかりした門構えの寺があった。さほど大きなところではないが、この町で唯一とも言える寺で、住職は皆に信頼されている。町の自治にも力を持っていた。
 賑やかな一行を見て、門のところに座っていた男が、ホッとしたように言う。

「もう交代の時刻か」
 中年の男は立ち上がると、強張った頬で無理矢理笑っていた。
「ご苦労様です。異変ありませんか」
「異変あったら、こんな暢気にしてらんねえよ」
 足を止めて問いかけた声に対し、男は苦笑した。それはそうだ、と相手も恥ずかしそうに笑った。
「と言うわけで、今のとこは異常なしだ。おう、さっさと全員と交代しちまってくれや。早く帰って一杯やって寝ちまいてえからな」
 彼の気持ちがよく分かるものだから、全員が頷いて、門での見張りを交代する者を残して再び歩き出した。

「ま、そう暗くなるなや。これだけ厳重に見張ってれば、何も起きゃしねえって」
「いいよな、お前は。建物の中の見張りだろ」
 肩を叩いて励ましてくれた者にも、男は愚痴らずにいられなかった。声をかけた方も、無理もない、とさして気にせず、笑ってみせた。
「じゃあな、元気出せよ」
 軽く手を振り、途中で一行から外れていく。続いて男も、無責任な野次やら軽い励ましやらを投げかけてくる人々の輪から外れて、自分の持ち場へと歩き出した。