「先輩、スタッフさん困っていますから、少し落ち着きましょう」

「へ? ……あ、ごめんなさい」

 このままおもしろくない光景を見せつけられるのも精神衛生上よろしくないので、ふたりの間に割って入った。
 少し冷静さを取り戻した奈津美先輩が、顔を赤くしながら二歩下がる。最終的に赤面するくらいなら、もう少し考えて行動すればいいのに。

 なお、スタッフさんからは、アイコンタクトと小さなジェスチャーで「ありがとうございます」と言われた。奈津美先輩に気付かれないようにやる辺り、さすがはプロだ。客商売というものを熟知している。とりあえず「いえいえ、お気になさらず。慣れていますので」と、同じくアイコンタクトとジェスチャーで返しておいた。御苦労をお掛けして、本当にすみません。

「ええと、ではこちらに……」

 気を取り直したスタッフさんは、僕らを別のガラスケースへと案内してくれた。
 今回の展示会は、三大美書を中心とした十九世紀後半から二十世紀初頭の本を展示しているようだ。三大美書以外にも、各プライベート・プレスで刊行された本などが、数多く並べられている。

 僕からしてみれば、どれも甲乙つけがたい第一級の芸術作品だ。ガラスケースの向こうに鎮座した本を見る度に、感嘆の吐息を漏らしてしまった。

 それは奈津美先輩も同じようで、スタッフさんの解説に耳を傾けながら、「はう~」だの「あう~」だの言っている。最近はちょっと様子がおかしかったけど、今日はいつもの奈津美先輩らしく、ただ純粋に本と向き合っているようだ。
 こうして好きなことに夢中になっている奈津美先輩を見ていたら、不思議と心が温かくなってきた。

「ずっとこんな時間が続けばいいのに……」

 柄にもなく、ふとそんなことを呟いてしまう。今まで当たり前だった奈津美先輩といる時間が、今は堪らなく愛おしく感じられる。この人の笑顔を隣で見ていられる今この瞬間が、何にも代えがたい時間に思える。
 僕にとっては、こうして奈津美先輩の隣で笑い合っていられる時間が、何物にも勝る宝物に思えた。
 そして、まるで天啓でも受けたかのように、唐突に気が付いた。