「本日はお越しいただき、どうもありがとうございます。随分と書物史にお詳しいようですね」

 スタッフさんが、ふわりと微笑む。黒のスーツをかっこよく着こなした、二十代後半と思われる男性だ。
 どうやらこの人、奈津美先輩に興味が湧いて近づいてきたらしい。
 ああ、もちろん異性としてという意味ではない。来て早々、身ぶり手ぶりを交えながら語り尽くす女子高生を見たら、誰だって気になるだろう。実際、他のスタッフさんたちもこちらばかり見ている。

「よろしければ、こちらの展示品のご案内をさせていただきますが、いかがでしょうか?」

「はい! ぜひお願いします!」

 奈津美先輩が、うれしそうに何度も頷いた。
 多分、展示された本について語り合える相手がほしかったのだろう。さすがに僕では、その役目を果たすのは難しいし。
 もちろん、僕も案内をしてもらうことに異存はない。後学のためにも、色々教えてもらうとしよう。

「では、参りましょうか。まずは、こちらの三大美書について解説を。ただ今の『ダンテ著作集』の隣にありますのが、ダヴズ・プレスの『欽定英訳聖書』になります。モダン・タイポグラフィーの先駆けとも言われるように、ダヴズ・プレスはシンプルで美しい活字を作り出したことでも有名です。しかし、この美しい活字はダヴズ・プレスの設立者たちの不和によって、失われてしまいました」

「あ、知ってます。確か、製本家のサンダーソンが活字をテムズ川に投げ込んでしまったんですよね。自分が死んだ後、誰にもこの活字を使われないように神様へ委ねます――とかなんとか」

「さすが、ご存知でしたか。その通りです。ただ、この活字なのですが、二○一五年にテムズ川から一部が発見され、話題になりました」