「元カノなんていう、あっさり説明できる間柄なら、なんぼかよかったんだろうがなぁ」
琴音に問われて、九田は困った顔で笑った。笑うしかなかったという顔だ。
「初一さん、すまんがあの期間限定のメニューとやらを作ってくれないか」
「イチゴのやつですか? 九田さん、イチゴ嫌いですよね?」
「ああ、嫌いだから食べるんだ。……これは罰だからな」
「わかりました」
九田が何か覚悟をもって臨もうとしているのがわかって、琴音はすぐに厨房に向かった。
イチゴのメニューはいろいろやっているが、一番簡単にできるのはパフェだ。縁(ふち)が波打っている可愛らしいデザインのデザートグラスの底にグラノーラとカットしたケーキスポンジを敷き、その上にイチゴソースと生クリーム、イチゴ、バニラアイス、イチゴの順番で乗せていくだけだ。
何かを察したらしい飯田が、出来上がったパフェにチョコシロップをかけ、しましまの巻きチョコを刺して可愛くしてくれた。通常のイチゴパフェには施さない装飾だから、彼なりに特別感を出してくれたようだ。
「できましたよ。どうぞ」
「……いただきます」
九田の前にパフェを運ぶと、見るのも嫌だという顔をした。イチゴが――というより赤いものが、本当に嫌いなのだろう。
九田がイチゴパフェを食べるのを、そのあと何かを話すのを、邪魔されてはいけないと思い、琴音は店のドアの札をOPENからCLOSEに変えてきた。
いつも何かしらはぐらかしてはっきり話さない彼が、罰と称して赤い食べ物を口にしてまで何か話そうとしているのだ。それならきちんと聞きたいと、琴音もある程度の覚悟を持っていた。
「彼女は……清子は、高校時代の友人だ。男友達の、慶太ってやつも含めて三人で仲が良かったんだが……俺のせいで関係がぐちゃぐちゃになって、それきり会ってなかったんだ」
「それは……」
イチゴパフェを食べ終えると、九田はゆっくりと話し始めた。と言ってもだらだら話す質ではないから、いきなり重たい話し出しだ。
「三角関係って、やつですか?」
琴音はわかりやすい修羅場を想像したのだけれど、九田はそれに首を振った。
「いや。そんなことはない。……だからこそ俺は軽く扱ってしまったと未だに後悔しているわけだが、簡単な話、清子は俺のことも慶太のこともちょっとずつ好きだった。対して慶太は清子が大好きで、そのことを俺に相談してきてて、俺は清子のことを友達としか思っていなかったから、清子の縁と慶太の縁を結んだんだよ。高校生のガキが考える、いかにも浅はかなことだろ?」
「……それは、いけないことだったんですか?」
九田が積極的に誰かの縁を結んだというのには驚いたものの、それが悪いことだとは琴音は思えなかった。縁結び屋の血筋として、むしろ正しいことをしたのではないかと思える。それに、友達とその想い人の縁を結ぶことだって、友達思いの行動だ。
しかし、九田の顔を見れば、ものすごく後悔していることはわかる。
「二人が縁結びのことを信じてないか、知らずにいたならよかったのかも知れんがな。知っているだけに、ふとしたときに疑わしく思えてきてしまうものなんだよな、人間は」
「それって、自分たちの気持ちをってことですか?」
「そうだ。赤い糸が全てではないのに、まるで自分たちがそんな不確かなものに支配されてるんじゃないかって思い始めるんだ。そして、お互いの気持ちが信じられなくなって、ぐちゃぐちゃになってしまうんだ」
九田は何かに耐えるように、ギュッと両手を握り合わせた。その右手の小指から伸びる糸は無残にも引きちぎれ、ぐちゃぐちゃに絡まっている。
「高校在学中はうまくいったよ。今まで三人だったのが、二人と俺、みたいにはなったけど。友達カップルを応援する自分の立ち位置は、嫌いじゃなかったからな。でも、大学に進学してから、少しずつおかしくなっていって……赤い糸の件がなければ、ただの遠距離恋愛のこじれで済んだんだんだろうが、慶太は自分が〝不正〟をして清子と付き合ってるって負い目をずっと抱えてた。それがあるとき爆発してしまって、清子にも打ち明けてしまった。そして清子も、自分の気持ちに疑いを持つようになってしまった。自分は慶太とではなく、俺と付き合いたかったんじゃないかって。人為的に慶太のことを好きにならされたんじゃないかって……」
苦しそうに話す九田に、琴音はかける言葉が見つからなかった。これが遠いどこかで起きた話だったら、単純でどうでもよくてくだらない話だと切り捨てただろう。でも、これは現実で、目の前にいる九田は未だにそのことに苦しめられているのだ。もう十五年くらい経っているだろうに。
「その後、清子と慶太は当然破局したよ。俺は二人から責められた。特に慶太にな。お前が余計なことをしなければうまくいったかもしれないのにって言われたけど、本当にその通りなんだよ。俺が何もしなくたって今もどこかで誰かの縁が切れたり結ばれたりしてるんだ。それなら俺が何かすることなんてない。放っておけばいいんだ。糸が見えるからって、それをどうにかできるとかしてもいいって思うのは傲慢だ。だから俺は……縁結びなんて認めない。いいものだなんて、絶対に思わない」
「……そうだったんですね」
これがきっと、九田が縁結びを嫌う理由のすべてで、これ以上の理由もそうないだろうと思って、琴音はシンプルな相槌を打つことしかできなかった。
身をもって痛感し、今なお後悔している人に、「でも縁結びで幸せになった人もいますよね」なんて言えるわけがない。
そう思える人間もいるかもしれないが、少なくとも九田は後悔し続け、苦しんでいるのだ。安易に励ますこともできないまま、その日は早い店じまいとなった。
帰宅して、悩んでから琴音は、数日前に栄子からもらった名刺を取り出していた。
今日店に来た女性ーー清子は「栄太郎に連絡取ったんだけど、はぐらかされちゃって」と言っていた。それに数日前、「あいつに会いたがっている人間がいたんだけど」と言っていた。
清子の来店で、数日前の話が見事に繋がった。それなら、栄子連絡を取るのが筋だろうと琴音は考えたのだ。……九田はきっと嫌がるだろうけれど、このまま放っておくこともできなかった。
『はーい、栄子よ。お電話ありがと』
「あの、初一琴音です。喫茶丸屋で働いている」
『ああ、縁人のところの。わざわざ電話かけてくれるなんて、何かあったのね?』
「清子さんが、店に来ました」
『……縁人、逃げ出した?』
清子が来たと伝えただけで、栄子は大体のことを察してくれたらしい。というより、清子を直接九田に会わせようとしなかったのも、無理なのがわかっていたからだろう。せっかくブロックしてくれていたのに、清子は店にやってきてしまったわけだけれど。
「逃げてはいません。でも、無理だからって追い返しました。用事があるから、忙しいって」
『苦しい嘘ね。万年暇人のくせに。それで、清子は引き下がってくれたんだ?』
「妊婦さんだったので、無理をするのもって思ったのかもしれません」
『まぁ、向こうも負い目があるだろうしね。強気に出ないでくれてよかったわ。あたしがはぐらかしてんのに、勝手に突撃すんなっつーの』
「……もしかして、栄子さんは清子さんのこと、嫌いですか?」
最初琴音は、栄子は清子のために九田に取りつごうとしようとしているのかと考えていた。それで、わざわざ名刺を渡していたのかと。
でも、今の口ぶりで何となくわかった。栄子は誰かの味方だとすれば、それは九田の味方だろう。
『昔は何とも思ってなかったけど、今は嫌いね。この前電話がかかってきたときも、わざわざあたしのこと「栄太郎くん」って呼んだのも気に入らないの。縁人があたしをそう呼ぶのは、愛情の裏返しだからいいの。でもあの女にとってはあたしは永遠に『栄太郎くん』なのが、腹立つのよー。わかる? ま、嫌いなのは自分たちの痴話喧嘩に縁人を巻き込んで、挙げ句の果てに縁結びを悪く言ったからなんだけど』
「何というか……無神経で自分勝手な人なんですね」
『そう。無神経なの! 縁人も、馬鹿だけどね……あんなのと、関わらなきゃよかったのよ。あたしは、二人に責められて苦しむ縁人を少しでも楽にしてやりたくて、縁を切ってやったのよ。誰とも結ばれたくない、自分は誰のことも愛さないって言って聞かないから、赤い糸も切った。まさかここまで拗れて、女っ気がなくなるとは思ってなかったんだけどね』
「栄子さん、九田さんのことめちゃくちゃ大事にしてるんですね」
『……学生時代からの友達として、縁人のことはもちろんのこと、清子と慶太のことも、責任感じてんのよ』
「同級生なんですね。そっか……それで」
栄子が九田の味方だとはっきりわかって、琴音は安心した。それなら、いろいろ話しやすいというものだ。
琴音は、九田がいつまでも過去にとらわれているのが気の毒だと思ったのだ。九田が楽になれるのなら、今日会ったばかりの清子のことなどどうでもいい。栄子の話を聞いてさらにどうでもよくなった。
彼女はきっと、気持ちが楽になるようにと、過去に仲違いした九田に会いにきたのだろう。そして九田を許し、九田にも許されたいと考えているに違いない。そうすれば、自分が心置きなく幸せになることができるから。でなければ、共通の知人に取り次ぎを断られたにもかかわらず無理に押しかけて来るようなことをするわけがない。
『琴音ちゃんならさ、清子の狙いというか目的はわかるでしょ? 陳腐なオチよ。そこに落ち着くんなら、最初から人を巻き込んで揉めるんじゃないわよっての』
電話の向こうで、栄子は心底嫌そうに言った。それを聞けば、琴音は自分の考えていることが当たっていたのだろうなとわかった。
「大体察しはつきます。でも、向こうの狙いに乗るのもいいかなって思います。それで九田さんが過去の呪縛から解放されるのなら」
優しい九田が、少しでも楽になればと琴音は思う。というより、あまり過去のことに囚われていてほしくない。
やる気がないのが玉に瑕だけれど、九田は親切でなかなかに懐が深くて、いい人間だと思うのだ。そうでなければ、琴音のことを何かと気にかけたり、道端に落ちていた飯田を料理人として雇ったりしない。それに、縁結びに来たお客さんのことだって、彼は彼なりによく考えていた。
だから、そんな九田には幸せになってほしいと思うのだ。
『琴音ちゃんがそう言ってくれるのなら、いろいろやりやすいわ。清子たちのためではなく縁人のために、作戦決行といこうじゃないの』
「はい、やりましょう!」
そこから琴音と栄子は、作戦について話し合った。すべては九田のためで、清子たちの事情はついでだ。
それでも、この作戦がうまくいけばすべて丸く収まるだろうということを、一生懸命考えたのだった。
「やっほー。邪魔するわよ」
次の日、ランチタイムの慌ただしさが落ち着いた頃に栄子はやってきた。
今日も今日とても派手だ。紫色の光沢のある生地のマーメイドラインのワンピースに、真っ白な女優帽を合わせている。郊外の住宅街で見る姿ではない。でも、栄子にはよく似合っている。
「栄太郎、何しに来たんだ? 帰れ帰れ」
「帰れって何よ。あたしは今から客と待ち合わせなの」
「うちの店を待ち合わせ場所に使うなって言ってるだろ」
「寂れた店を利用してやってるあたしに何てこと言うのよ。琴音ちゃん、アイスティーちょうだい。ミルクを添えてね」
栄子の姿に気がつくや否や、九田はすぐに突っかかった。でもその反応を昨日来た清子に対するものと見比べれば、九田が文句を言いつつ栄子のことが好きなのがわかる。完全に気を許している。
そして、全く警戒していないことがわかった。
もしかしたら昨日の今日で身構えているのではないかと思っていたけれど、九田は栄子のことしか気にしていない。これなら大丈夫そうだと思って、琴音は客を待つふりをしている栄子のもとにアイスティーを運んでいった。
それから少しして、ドアベルが鳴った。普通のお客さんが入ってきたと思っている九田は、ドアに視線を向けることもない。だから琴音と栄子は目配せをして、やってきた人物たちを店内に誘導した。
店に入って来たのは清子と、彼女を支えるように気遣って歩くひとりの男性だ。清子の夫だろう。その姿を見れば、二人が仲睦まじいのがわかる。
「こっちよ。清子、慶太!」
栄子はそうやってわざと、声を張って二人に手を振った。すると居眠りしかけていた九田が、驚いたように顔を上げた。
「嘘だろ……何で二人が……」
「久しぶりだな、縁人。元気にしてたか?」
「いや、うん。この通りだが……」
「私たち、偶然再会して、結婚したの! いわゆる授かり婚で、順序は逆になっちゃったんだけど」
「え、それは……おめでとう」
九田が逃げ出す機会を与えないように、存在に気づかれたらすぐに畳み掛けるように要件を言えと栄子から二人には伝えていた。言われた通りにした結果、九田の頭は情報の処理が追いつかなかったらしく、しばらく目を白黒させていたけれど、言われたことを受け止めることにしたようだ。
「そうか……二人が結婚したのかそれで子供が……よかった」
事実を受け止め理解した九田の口から出たのは、そんなシンプルな言葉だった。でも、その表情は柔らかなものだ。苦悩したり呆然としたりするのではないかと琴音は考えていたのだけれど、九田は単純に嬉しそうだ。
それを見た清子と慶太も、安心した表情になった。店に入って来たときは緊張で強張っていた二人の顔に、今ようやく笑みが浮かんだ。
「あのときは本当に未熟で、自分勝手で、お前のことを傷つけてしまった。ずっと後悔してた。大人になって清子と再会して、また好き合うようになって、お前が言っていたことの意味がわかったんだよ。『赤い糸はきっかけにすぎない。大事なのは自分たちの気持ちだ』って。身をもって理解したから、お前に謝りに来たかったんだ」
「そんな……俺のことなんか気にせず勝手に幸せになればよかったんだ」
「会いに来るのが遅くなって本当にごめんなさい。それに、昨日は突然押しかけて嫌な思いをさせてしまって」
「それは……別にいいんだ、もう」
頭を下げる二人に、九田は戸惑っていた。こんな機会が訪れるなんて思っていなかっただろうし、こんな展開も、きっと予想できなかっただろう。
一度切れたにもかかわらず、こうして結婚したり再会したりすることができたのだ。これがいわゆる〝縁がある〟ということなのだろうと、琴音は理解した。
「新しい命が生まれるのか。二人は親になるのか。ーーおめでとう。幸せにになってくれよ」
しばらく考えて、九田は噛みしめるように言った。無理して笑っているのではない、自然な笑顔だ。本当に、旧友二人の顛末にほっとしたのだろう。いつも眉間に刻まれている気難しそうな皺が、今だけはなくなっている。
「これで、縁人の呪いも解けたわね」
食事を楽しんだ清子と慶太を見送って、栄子も席を立った。
「お前、よくも騙したな」
「騙したなんて、人聞きの悪い。多少強引だったけど、いい作戦だったわ。ちなみに、琴音ちゃんも共犯だから」
「なに⁉︎」
「またね〜」
ひらひらと手を振って、栄子は店を出て行ってしまった。最後に暴露されてしまったため、琴音は気まずくなって視線を泳がせた。
「……あんたは、本当におせっかいだな。勝手なことをするなよ」
「いつまでもこじらせて拗ねたままじゃなくて、そろそろ幸せになってもいいんじゃないかと思いまして」
素直な気持ちを口にしたのに、なぜか九田は気分を害した顔をした。鼻の頭に皺が寄って、ものすごく嫌そうな顔だ。
「俺だって拗ねてたわけじゃなく、幸せになろうと前向きになってたこともあるんだ。……相手がその気じゃなかったらしいがな」
九田はどうやら、かつて成立すらしなかったお見合いの話をしているらしい。でも確かに、見合いの席に顔を出そうと考えていたということは、前を向く意思はあったということだ。
「大丈夫ですよ。お見合いしようって気があるのなら、そのうちまたチャンスがありますって」
琴音はからかうのではなく励ますつもりで言ったのだけれど、九田はより一層嫌そうな顔をして、ついにはぷいっとそっぽを向いてしまったのだった。