かつて城下として栄えた町であり、水郷として今も人気観光地である町……からやや外れた、とある町。
 その町の目抜き通りから一本奥まった通りに、喫茶「丸屋」はある。
 以前は小物を扱う店だったというそこは、今の店主になってから喫茶店になったのだという。
 オープン以来店主に商売っ気もやる気もなく、先代からの知り合いや近所の人間が利用するに留まっていた丸屋は今、かつてないほどの賑わいを見せている。


「ええー! そんなのって……そんなのってないよ。わあ……悲しい。切ないー」

 賑わう丸屋の店内で空になったトレンチを胸に抱き、初一(はついち)琴音(ことね)は客の話に相槌を打って滂沱の涙を流していた。

「もー琴音さん、泣きすぎだって!」
「だってぇ……聞いてたら涙が出ちゃって……」
「これで涙拭いて」

 話し手だった女子高生に紙ナプキンを差し出され、琴音はそれで涙を拭った。それでも、涙はあとからあとから出てきてしまう。

「じゃあ、次はあたしの失恋話ね」
「えっ……今日はもう勘弁して……また泣いちゃうからぁ」
「でもー、あたしも琴音さんに話聞いてもらって泣いてもらいたいー」
「今度……また今度ね。……今日はもう、これ以上泣いたら……」

 乱れた呼吸が整って涙が止まりかけたかに見えたのに、先ほど聞かされた話を思い出したのか、琴音はまた涙ぐんだ。それを見て、四人組の女子高生は「泣きすぎだって」と笑う。
 
 客の失恋話や恋バナを聞いて店員である琴音が涙を流すというのは、この丸屋で定番の光景となりつつある。
 ワケあってこの店で働き始めた琴音は、集客率をアップさせ店の雰囲気をよくしたのまではよかったのだけれど、「琴音に失恋話をすると次の恋がうまくいく」だの、「琴音に泣いてもらうと運気アップ」だの、変なジンクスも生み出している。
 変なジンクスありきだとしても、琴音を目当てに女子高生を始めとした若い客層を呼び込むことに成功したのは、普通の店なら喜ばしいことなのだろう。
 でも店主である九田(くだ)は、えぐえぐ泣く琴音と彼女を面白がる女子高生たちを迷惑そうに見ている。
 その顔には、「うるさくてかなわん」と書いてあった。
 九田としては、たとえ閑古鳥が鳴いていても、儲けが出なくても、店内が静かでただ黙って座っていられたほうがよかったのだろう。


「九田さん。今日もお客さん、来ませんでしたね」

 表にクローズの札をかけて戻ってきた琴音が、ドアをパタリと閉めて言う。夕方から長いこと女子高生たちの相手をしたからか、ちょっぴりぐったりとしている。
 でも表情は晴れやかだし、何より明日の営業に向けて掃除をしようと箒を握りしめる手にはやる気がこもっているように見える。ワケあって琴音はここのところ気分の浮き沈みの激しい状態にあるのだけれど、今はふわふわと浮上した気分なのだ。
 置物のようにカウンターの向こうでむっすりと座っていた九田が、そんな琴音を横目に見て不機嫌そうに眉をしかめた。

「来てただろ、うるさいくらいに」
「喫茶店のほうじゃなくて、縁結びのお客さんです」
「そうそう来てたまるかよ。ずっと来なくていい」

 九田にふんと鼻を鳴らされ、琴音は溜息を吐きながらカウンターの端に視線をやった。そこには、不安そうに丸まって琴音を見つめる小さな毛玉が数匹いる。

「大丈夫だからね」

 フェレットを手のひらサイズにしたようなその毛玉たちに、琴音は小さく声をかけた。けれども半分は、自分に向けての言葉だ。

 大丈夫だよ。あなたたちの願いを叶えるから。
 大丈夫だよ。この目はちゃんと治る。

 心の中で呟いて、琴音は決意を新たにした。
 絶対に、九田に縁結びがいいものだと思ってもらうのだ――と。