わたしは湯飲みを沖田の枕元に置いた。飴湯はまだ半分ほど残っている。わたしは言い訳をするようにつぶやいた。
「背中をさわられるのが嫌なのも、わかるよ。わたし以上に、きみは敏感なんだろうし」

 沖田はうなずいた。浅い息。まだ咳は収まらない。犬でも追い払うように、沖田は手のひらを下に向けてひらひら振った。
 わたしは居座った。

「うつらないから。今の時代、きみがわずらってる労咳《ろうがい》という病には、治療するための薬がある。病にかからないための薬もね。だから、隣できみがどれだけ咳をしても、わたしが労咳で死ぬことはない」

 労咳という病は、現代では肺結核と呼ばれている。肺結核を予防するワクチンは、わたしもご多分に漏れず、赤ちゃんのころにきちんと接種した。

 もしも、と考えてしまうのは、きっとわたしだけではない。
 もしも沖田が現代医学の力によって肺結核を克服したら、どうなる?

 できないことではないと思う。体質上、エレルギーに引っ掛かるタイプの薬もあるだろう。わたしも経口薬の一部は飲めない。それでも、沖田の体質を丁寧に調べていけば、治療の糸口はつかめるはずだ。
 だが、もしもそれを選んだ場合、沖田はきっと、あまりにも強くこの時代と紐付けられてしまう。もとの時代に戻ることができなくなるだろう。
 しかし。

 吐息のような声が、わたしの頬を打った。
「ねえ」
 わたしは沖田のほうを向いた。咳が落ち着いたようだ。
「何?」

 沖田は体をひねって、枕元に手を伸ばした。刀が二振りと、小さな巾着袋が置かれていた。沖田は巾着袋を拾い上げた。それをそのままわたしに差し出す。
「持ってて」
「わたしが? これ何?」

「金平糖」
「きみの時代の?」
 沖田はうなずいた。
「食うか捨てるか、そのうちちゃんと選ぶから。それまで持ってて」
「わかった」

 手のひらに載せた巾着袋の中で、星の形をした甘い粒々が、しゃらしゃらと、かすかな音を立てた。
 幕末から持ってきた金平糖は、沖田の帰路を示す道しるべだ。

 食べることを選べば、沖田の体と魂はもとの時代へ戻るのだろう。この時代に来たとき、わたしが与えた金平糖を食べて、沖田は実体化することができた。帰り道はその逆だ。

 もしも金平糖を捨てるならば、どうなるだろうか。沖田総司という剣客の生涯は、一体どうなる? もとの時代から唐突に消え、言い伝えられたとおりの最期を迎えないというならば。

 わたしは沖田の顔をのぞき込んだ。沖田はわたしと目を合わせようとしなかった。湯飲みをつかんで、ぬるくなった飴湯を飲み干した。
「ごちそうさん」
 沖田は歌うように告げると、横になって布団をかぶった。

 わたしは巾着袋を袂《たもと》にしまい込んだ。
「おやすみ。夕食のころに様子見に来るから」
「粥なんかいらない。甘いものだったら少し食うよ」

 わがままな病人は、そっぽを向いて目を閉じている。まっすぐなまつげは、やっぱりずいぶん長かった。