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 冬めいて冷たい、けれども、雲一つなく晴れた朝だった。
 わたしは、お気に入りの水色の着物に白い帯を合わせた。

 壬生への道中は、わたしと沖田と切石と巡野、四人でどうでもいいことをしゃべりながら、からかい合ったりして、笑ってばかりだった。
 光縁寺の庭先で住職さんに挨拶をして、裏手の墓地へ回る。沖田がちょっと目を見張った。

「狭くなったもんだ」
「鉄道の線路を敷くために、区画整理があったらしいよ。山南さんの墓は、もとの場所に残ってるけど」

 山南さんの墓のそばには、幕末の死者を弔う墓がいくつか並んでいる。沖田には何も告げるまい。
 墓の下の人物の何割かは、沖田がもとの時代に戻れば、まだ生きている。彼らが京都で非業の死を遂げるなんて、沖田はきっと想像もしていない。

 沖田は山南さんの墓前に跪坐《きざ》をすると、微笑んだ。墓石の面に触れる。指先で、そこに刻まれた文字をたどる。

「ずいぶんボロボロだ。敬の字も助の字も、もう削れちまってるじゃないか。おれが知ってる墓は真新しいのにな。長い長い時間、ここにあるんだね」

 沖田は巾着袋から金平糖を一粒つまんだ。そっと墓前に置く。もう一粒つまむと、自分の口の中に入れた。

「おれと山南さんで、よく菓子を買いに行ったよね。子どもたちと遊ぶとき、配ってやった。饅頭や羊羹も捨てがたいって言いながら、金平糖がいっとう好きだったよね、山南さんは」

 ふわり、と。
 唐突に花の香りがした。甘いというより、すがすがしく爽やかな香りだ。

 切石がつぶやいた。
「サザンカや」

 沖田の手に、一枝の花が握られている。薄紅色の花は、あるかなきかの風に、重なり合った花弁を震わせた。

 巡野がささやいた。
「あのときの花ですね」

 沖田は立ち上がった。金平糖をもう一粒、口に放り込むと、わたしたちを見渡した。
「世話になったね。楽しかったよ」

 わたしはうなずいた。
「来てくれてありがとう。わたしも楽しかった」

「ゆうべ言ったこと、必ず守ってよ。おれも最後までちゃんと生きるから」
「うん」
 わたしはまた、うなずいた。その弾みに涙が落ちた。

 沖田は笑った。
「泣き虫だな」
 そして、わたしたちに背を向けた。

 沖田は歩き出す。一歩、また一歩。遠ざかるたびに、その後ろ姿が薄らいでいく。一歩、また一歩。花の香りは、もうわからない。
 やせた背中。ざっくりまとめた髪。二本の愛刀。沖田は振り返らない。一歩ごとに透き通っていく。

 一瞬、かすかに、声が聞こえた。総司、と呼ぶ男たちの声が。
 沖田が笑い、花を持った手を大きく振った。

 そして、沖田総司の姿は見えなくなった。

「行っちゃった」
 わたしは涙を拭いた。自分で自分をぎゅっと抱き締める。水色の着物。預かりものがなくなって、妙に軽くなった袂《たもと》。
 切石と巡野が、ぽんぽんと、わたしの肩を叩いた。

 わたしは山南さんの墓に向き直り、できる限りの笑顔を作ってみせた。
「ありがとうございました。お世話をおかけしました。また来ますね」

 沖田が供えた金平糖は、無数の小さな欠片《かけら》になっていた。かすかな風が吹いた。欠片は風に乗り、きらきらと、どこかへ消えていった。
 わたしは自分の巾着袋から金平糖の包みを取り出すと、一粒、山南さんの墓前に供えた。


【了】

BGM:BUMP OF CHICKEN「プラネタリウム」