***
さて、更紗さんから沖田の面倒を見るようにとは言われたものの、わたしは困惑している。
今晩もまた、沖田を夕食の席に連行し損ねた。食堂へ続く廊下を歩きながら、わたしはまたうめいた。
「あいつ、ほんと面倒くさい」
ごはんで釣れないなんて。自由気ままな切石も、プライド高めの巡野も、おいしいものをあげたらおとなしくなるのに。
切石と巡野は顔を見合わせ、にまにましている。
「似た者同士と違うか? 大将もたいがい面倒くさいで」
「わたしはあいつほどじゃない」
「沖田さんも、さなと同じことを言いそうですよね」
「……最悪」
夕食のメインディッシュはチキンカツだ。台所からは、カツを揚げるときの香ばしくてハイカロリーな音と匂いがただよってくる。
御蔭寮の揚げ物は絶品だ。
寮内の広大な敷地には菜種畑が作られ、農学部生が中心となって畑仕事に当たっている。菜種油は寮間交易における御蔭寮の代表商品だ。チキンはおそらく吉田寮《よしだりょう》の農園から来たものだろう。
巡野は嬉しそうだ。
「ホワイトシチューソースだそうです。洋食は胸が躍りますね」
「和風メニューが多いもんね、御蔭寮」
「そうですよ。煮物だの酢の物だの漬物だの、ぼくのころと変わり映えのしない品目の多いこと」
「わたしは和食系のほうが好きだけど」
「失礼、大学院生の胃にはそろそろ、若者好みの揚げ物や肉料理がつらくなってきているのでしたっけ?」
意地悪そうに唇の端を吊り上げた巡野は、享年十九のコンディションそのままで顕現している。
対するわたしはもうすぐ二十四。学部を四年で卒業し、大学院修士課程の一年を終えたところで休学中の身だ。
わたしがげんこつを固めてみせると、巡野は華やかに笑いながら、切石の大きな体の後ろに隠れた。
切石は二十代半ばくらいの印象だが、そもそも付喪神だから、人間とは肉体のあり方が違う。筋肉がガッツリついた肩をすくめて、切石はわたしと巡野を見比べた。
「人間の時の流れはえらい細かい。たかだか五年の差でなあ」
「五年の差は大きいよ。特に十代と二十代の差は」
「せやな。出会うてから今まででも、大将がどんどん変わっていくんがわかる。わしや巡野と違って、大将の時間の流れは止まらへんのや」
「止まらなくていい。さっさと流れ去って終わってしまえばいいんだ」
わたしが吐き捨てた、そのときだった。
ザザッ、とノイズが廊下を駆け巡った。天井を仰ぐ。白い漆喰がぐにゃりと歪み、唇の形が浮かび上がった。
寮内放送だ。
あの厚みのあってセクシーな唇は、放送委員の長江くんだ。
〈臨時ニュース、臨時ニュース~。総員、傾聴せよ。聞いてくれなきゃおしおきしちゃうよ〉
長江くんの声が御蔭寮に響き渡る。彼の間延びしたしゃべり方はいつものこと。だが、臨時の放送があるなんて非常事態だ。
部屋や食堂から廊下にこぼれていたにぎわいが、ぴたりと止んだ。
〈熊野寮《くまのりょう》の襲撃だよ。結界を破られちまったってさ。嫌んなるねえ。戦闘要員は正面玄関に集合ね。オペレーションはR。繰り返しま~す。熊野寮の襲撃です。戦闘要員は正面玄関に集合、オペレーションR~〉
おおっ、と雄たけびがあちこちから聞こえた。戦闘要員である足腰自慢の男どもだ。
巡野は、さらさらの髪を掻き上げた。
「何だ、オペレーションRですか。興味がわきませんね。さな、切石さん、食堂へ行きましょう」
せやな、と切石はうなずいた。わたしも同感。
もっと戦略性の高いルールに則った襲撃のとき、例えば放送室争奪なんかだと、巡野も切石も目を輝かせる。駒が多数必要な場合はわたしも戦闘に駆り出されるし、寮生全員が沸き立つものだ。
スポーティなウェアに身を包んだ戦闘要員が正面玄関を目指して走っていく。上回生は、ぬるい温度の声援を送る。
わたしはつい、ぼやいた。
「第一線の戦闘要員は学部生。いつの間にか、みんな年下だ」
ふと。
風のような気配を感じた。軽やかに素早く近寄ってくる。
わたしは振り向いた。
「沖田」
袴《はかま》を身に着けたところを久々に見た。このところいつも、お気楽な着流し姿だった。
沖田は二本差しの刀に手を触れながら、眉をひそめた。
「さっきの知らせは何? ずいぶんのんびりしたご時世だと思っていたけど、そうでもないのかい。いや、しかし、その割には何の殺気も感じられないな。どういうこと?」
沖田は戸惑っている。警戒してもいる。不思議そうなまばたきの合間に、鋭利な栄励気が見え隠れする。
わたしは説明しようと口を開いた。が、天井の漆喰が歪んで形のよい唇が現れ、わたしと沖田の名を呼ぶほうが早かった。
〈浜北さん、沖田さんを連れて正面玄関にいらっしゃい〉
更紗さんの声だ。
沖田が視線を鋭くする。わたしは額に手を当てた。
「どうしてですかー?」
〈沖田さんは、時を越えただけの生身の人間だわ。Y2条約に引っ掛からない。その身体能力を存分に発揮していただきましょう。さあ、今日の襲撃は完全に防ぐわよ!〉
「更紗さん、何でそう毎回張り切ってんの」
沖田はわたしの肩をつかんだ。
「おれが何だって? 条約?」
「Y2条約。寮間戦争では、戦闘部隊の構成員に制限が設けられてるの」
「わいつう?」
「Y2っていうのは、妖怪《youkai》と幽霊《yurei》のこと。人間の身体能力の常識を超えてるから、妖怪と幽霊は戦闘に使っちゃいけない」
妖怪の一種の付喪神である切石と、幽霊らしく出たり消えたりできる巡野が、沖田にうなずいてみせた。
沖田はむしろ、いぶかしげだ。
「妖怪や幽霊を動員するほうが楽に勝てるんだろう? 戦力をけちったら、かえって死体が増えるよ」
わたしはまた盛大にため息をついた。
「死体はどっちにしろ出ないよ。とにかく一緒に来て。百聞は一見に如かずだよ」
さて、更紗さんから沖田の面倒を見るようにとは言われたものの、わたしは困惑している。
今晩もまた、沖田を夕食の席に連行し損ねた。食堂へ続く廊下を歩きながら、わたしはまたうめいた。
「あいつ、ほんと面倒くさい」
ごはんで釣れないなんて。自由気ままな切石も、プライド高めの巡野も、おいしいものをあげたらおとなしくなるのに。
切石と巡野は顔を見合わせ、にまにましている。
「似た者同士と違うか? 大将もたいがい面倒くさいで」
「わたしはあいつほどじゃない」
「沖田さんも、さなと同じことを言いそうですよね」
「……最悪」
夕食のメインディッシュはチキンカツだ。台所からは、カツを揚げるときの香ばしくてハイカロリーな音と匂いがただよってくる。
御蔭寮の揚げ物は絶品だ。
寮内の広大な敷地には菜種畑が作られ、農学部生が中心となって畑仕事に当たっている。菜種油は寮間交易における御蔭寮の代表商品だ。チキンはおそらく吉田寮《よしだりょう》の農園から来たものだろう。
巡野は嬉しそうだ。
「ホワイトシチューソースだそうです。洋食は胸が躍りますね」
「和風メニューが多いもんね、御蔭寮」
「そうですよ。煮物だの酢の物だの漬物だの、ぼくのころと変わり映えのしない品目の多いこと」
「わたしは和食系のほうが好きだけど」
「失礼、大学院生の胃にはそろそろ、若者好みの揚げ物や肉料理がつらくなってきているのでしたっけ?」
意地悪そうに唇の端を吊り上げた巡野は、享年十九のコンディションそのままで顕現している。
対するわたしはもうすぐ二十四。学部を四年で卒業し、大学院修士課程の一年を終えたところで休学中の身だ。
わたしがげんこつを固めてみせると、巡野は華やかに笑いながら、切石の大きな体の後ろに隠れた。
切石は二十代半ばくらいの印象だが、そもそも付喪神だから、人間とは肉体のあり方が違う。筋肉がガッツリついた肩をすくめて、切石はわたしと巡野を見比べた。
「人間の時の流れはえらい細かい。たかだか五年の差でなあ」
「五年の差は大きいよ。特に十代と二十代の差は」
「せやな。出会うてから今まででも、大将がどんどん変わっていくんがわかる。わしや巡野と違って、大将の時間の流れは止まらへんのや」
「止まらなくていい。さっさと流れ去って終わってしまえばいいんだ」
わたしが吐き捨てた、そのときだった。
ザザッ、とノイズが廊下を駆け巡った。天井を仰ぐ。白い漆喰がぐにゃりと歪み、唇の形が浮かび上がった。
寮内放送だ。
あの厚みのあってセクシーな唇は、放送委員の長江くんだ。
〈臨時ニュース、臨時ニュース~。総員、傾聴せよ。聞いてくれなきゃおしおきしちゃうよ〉
長江くんの声が御蔭寮に響き渡る。彼の間延びしたしゃべり方はいつものこと。だが、臨時の放送があるなんて非常事態だ。
部屋や食堂から廊下にこぼれていたにぎわいが、ぴたりと止んだ。
〈熊野寮《くまのりょう》の襲撃だよ。結界を破られちまったってさ。嫌んなるねえ。戦闘要員は正面玄関に集合ね。オペレーションはR。繰り返しま~す。熊野寮の襲撃です。戦闘要員は正面玄関に集合、オペレーションR~〉
おおっ、と雄たけびがあちこちから聞こえた。戦闘要員である足腰自慢の男どもだ。
巡野は、さらさらの髪を掻き上げた。
「何だ、オペレーションRですか。興味がわきませんね。さな、切石さん、食堂へ行きましょう」
せやな、と切石はうなずいた。わたしも同感。
もっと戦略性の高いルールに則った襲撃のとき、例えば放送室争奪なんかだと、巡野も切石も目を輝かせる。駒が多数必要な場合はわたしも戦闘に駆り出されるし、寮生全員が沸き立つものだ。
スポーティなウェアに身を包んだ戦闘要員が正面玄関を目指して走っていく。上回生は、ぬるい温度の声援を送る。
わたしはつい、ぼやいた。
「第一線の戦闘要員は学部生。いつの間にか、みんな年下だ」
ふと。
風のような気配を感じた。軽やかに素早く近寄ってくる。
わたしは振り向いた。
「沖田」
袴《はかま》を身に着けたところを久々に見た。このところいつも、お気楽な着流し姿だった。
沖田は二本差しの刀に手を触れながら、眉をひそめた。
「さっきの知らせは何? ずいぶんのんびりしたご時世だと思っていたけど、そうでもないのかい。いや、しかし、その割には何の殺気も感じられないな。どういうこと?」
沖田は戸惑っている。警戒してもいる。不思議そうなまばたきの合間に、鋭利な栄励気が見え隠れする。
わたしは説明しようと口を開いた。が、天井の漆喰が歪んで形のよい唇が現れ、わたしと沖田の名を呼ぶほうが早かった。
〈浜北さん、沖田さんを連れて正面玄関にいらっしゃい〉
更紗さんの声だ。
沖田が視線を鋭くする。わたしは額に手を当てた。
「どうしてですかー?」
〈沖田さんは、時を越えただけの生身の人間だわ。Y2条約に引っ掛からない。その身体能力を存分に発揮していただきましょう。さあ、今日の襲撃は完全に防ぐわよ!〉
「更紗さん、何でそう毎回張り切ってんの」
沖田はわたしの肩をつかんだ。
「おれが何だって? 条約?」
「Y2条約。寮間戦争では、戦闘部隊の構成員に制限が設けられてるの」
「わいつう?」
「Y2っていうのは、妖怪《youkai》と幽霊《yurei》のこと。人間の身体能力の常識を超えてるから、妖怪と幽霊は戦闘に使っちゃいけない」
妖怪の一種の付喪神である切石と、幽霊らしく出たり消えたりできる巡野が、沖田にうなずいてみせた。
沖田はむしろ、いぶかしげだ。
「妖怪や幽霊を動員するほうが楽に勝てるんだろう? 戦力をけちったら、かえって死体が増えるよ」
わたしはまた盛大にため息をついた。
「死体はどっちにしろ出ないよ。とにかく一緒に来て。百聞は一見に如かずだよ」