頭を抱えるわたしとは裏腹に、切石は平然としている。
「ほっとけ、大将。あいつの好きにさせたらええやん」
「ダメだよ。野放しにはできない。栄励気に満ちていた時代から来た人間が現代の人工エレキに触れたら、拒絶反応が起こるくらいはまだマシ。下手したら発狂したり暴走したりするかもしれないんだよ。あいつが暴れたら危なすぎる」

「危なすぎるか。巡野も言うてはったけど、あいつ強いんやて?」
「らしいね。沖田総司は天才的な剣の使い手だった。新撰組でもトップクラスの強さを誇ったというけど」
「ええなあ。いっぺん手合わせしたいわ」
 屈託なく大口を開けて、切石は笑った。

 切石灯太郎と名乗っているこの男、もとは石灯籠だ。鎌倉時代に北白川の山中から切り出され、不動明王の印を刻まれて造られた。
 人に似た姿を取るようになった今は、不動明王と聞いて納得の筋骨隆々たる美丈夫だ。灯火の色をした豊かな髪。目は、年月を経て深みを増した御影石の色をしている。

 一方、元幽霊で今は地に足が着いてしまった巡野学志は、繊細で硬質な美貌の持ち主だ。ルックスに違わず、神経質なところがある。

「手合わせはよしてください。切石さんも沖田さんも、栄励気の量が生半可ではないんです。あなたたちが本気を出してぶつかったら、この御蔭寮《みかげりょう》など、簡単に吹っ飛んでしまいますよ」
「わかっとる、わかっとる。ここではやらんて。ま、何も破壊しいひん場所でやるんなら、ええやろ?」

 巡野は、やれやれと頭を振った。黒髪がさらさらと揺れた。
「そんな場所がどこにあるというのですか。西暦二〇一〇年代に入ってから加速度的に構築された人工エレキのネットワークに抵触することなく、あなたが心置きなく栄励気を解放できる場所なんて、日本にはもう残されていませんよ」

 人工エレキだのネットワークだのと現代的な口ぶりだが、巡野は太平洋戦争中に自殺した文学部生だ。欧米趣味に傾倒し、戦争協力を死ぬほど嫌った挙句に死んだという。カタカナにあふれる現代にこそ馴染むのも道理かもしれない。

 わたしは懐手《ふところで》をして、ため息をついた。古着の和服は少し埃の匂いがする。
 沖田がこっちに来てからというもの、体調がよくない。食物系に比べれば皮膚のエレルギーは軽症なのに、一般店で購入した服に反応して発疹が出てしまった。おかげで御蔭寮製の古めかしい袷《あわせ》を着ざるを得ない。

 この感じだと、沖田も体調が優れないはずだ。結核が悪化しなければいいけれど。
 いや、沖田だけ具合が悪くなるならまだいい。勝手にしろという感じ。でも、沖田がちゃんと食べてカロリーを補給してくれないと、契約相手であるわたしまで、だるくてしょうがない。それが困る。

 いずれにせよ、寮暮らしでよかったとは思う。一人だったら途方に暮れていた。
 寮長の更紗《さらさ》さんは器が大きい。沖田を拾った日、こいつどうしましょうと相談したら、腰より長い黒髪をバサリと払って、にこやかに言ってのけた。

「追い出す理由はないわ。彼、身元がはっきりしているでしょう。新撰組一番隊組長、沖田総司。すでに病を得ているとはいえ、まだちゃんと生きているし」
「御蔭寮に置いて、本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫。許可するわ。面倒はあなたが見てね、浜北さん」
「わかりました」

 更紗さんはわたしより二つ年上だが、貫禄はけた違いだ。
 彼女の実家は出雲にある神社らしい。栄励気がずば抜けて豊富なのも、それを扱う術に長けているのも、物心つくころからトレーニングを積んできたからだという。

 人の形をしたモノをすべて何人という単位で数えるなら、御蔭寮にはおよそ百五十人が居住している。男女比は、ざっくり言って三対一。ちなみに、大学在籍者の男女比も三対一だそうだ。
 寮の名は、正門が御蔭通《みかげどおり》に面していることに由来する。北部キャンパスの北門を出たら、そこが御蔭通だ。寮は北門から数百メートル東へと行ったところにある。

 御蔭寮の門をくぐれるのは、寮長の許可を得た者だけだ。門は結界であり、敷地は百年来の栄励気の吹き溜まりになっている。
 おかげで、この寮では、わたしのようにエレルギーのきつい人間でも普通に生活できる。エレルギーとは、人工エレキに対するアレルギーのことだ。戦後にできた俗語なので、博識な巡野が初めはエレルギーという言葉を知らなかった。