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 四回生に上がって最初の講義の後だった。弦岡正《つるおか・ただし》先生に声を掛けられた。

「浜北さんは、大学院進学希望だそうですね」
 講義といっても、受講者はわたしを含めて三人だけ。三回生のころから引き続いての内容だ。
 わたしはうなずいた。緊張して、一瞬で喉が干上がった。
「進学します」
「今、時間よろしいですか?」

 わたしは懐中時計を見た。ぴったり正午。金曜日の午後は講義を入れていない。その代わりにバイトをすることが多いが、その日は何も予定がなかった。
「はい。大丈夫です」

 弦岡先生は、ほんの少し微笑んだ。不器用そうな笑みだった。
 ふわふわした巻毛、大きな目、かっちり着こなしたスーツ。常に締めているネクタイは、今日は琥珀色。
 弦岡先生は、歴史系の先生には珍しいタイプだ。こぎれいで几帳面。童顔だし肌がきれいだから、実際の年齢より若く見える。

 ほかの受講生たちが講義室を出ていった。あの二人は次週の講義にも出席するだろうか。去年の講義は結局、わたしが一人で受ける回のほうが多かったと思う。
 弦岡先生は教卓のところにいて、わたしは席に着いたままだった。二人で話すという距離ではない。でも、弦岡先生はそのまま話した。

「大学院での所属も、国史研究室の予定ですか?」
「はい」
「それなのに、私の講義を今年度も受けてくれるのですか」
「……ご迷惑でしょうか?」

 弦岡先生は文学部ではなく、集賢閣所属の准教授だ。集賢閣には、東アジアから中央アジアにかけての資料を所蔵されている。わたしが所属する文学部の国史研究室とは、直接の絡みはない。

 わたしの問いに、弦岡先生はかすかに小首をかしげた。
「決して迷惑ではありませんよ。しかし、出席していただいても、システム上、単位は出せませんよ。浜北さんは去年もこの講義を受講しましたからね」
「わかっています。それでも講義を受けたいので。去年の講義の続きになる内容でしょう? 気になるんです」

 中央アジアの沙漠の地下には大都市の遺跡がある。弦岡先生の講義シリーズは、その遺跡から出た文書を読み解いていくものだ。
 出土したのは、紙の文書ばかりではなかったという。石碑があり、竹簡もあり、少数ながら羊皮紙もあった。使用された文字は多種多様。おぼろげに推測されるのは、沙漠の大都市が唐代からモンゴル帝国時代にかけて交易で栄えていた、という事実だ。

 弦岡先生は口を開け、口を閉じた。つばを飲み込んだらしく、喉仏が動くのが見えた。
 たぶん、弦岡先生はしゃべるのが苦手だ。
 講義のときは、よどみない解説をする。文書の漢文を訓読すれば、詠うように気持ちのいい名調子になる。でも、会話はきっと苦手なのだ。

 小さく息をついて、弦岡先生はようやく言った。
「もし、よろしければ、手伝っていただけませんか? 石碑の文字起こしを、しなければならないのです。私ひとりでは、どうにもモチベーションが上がらず……手伝ってほしいのです。週に一度、二時間ほど」

 わたしは面食らった。
「石碑って、あの、漢文とソグド語と突厥《とっけつ》語と、みたいに入り交じっている、あれのことですよね?」
「時代によっては古ウイグル語やモンゴル語、ペルシア語も交じります」

「え、あの、でも、わたし、日本の古文書の崩し字はともかく、古い外国語、全然わかりませんけど」
「中央アジア史の研究者でも、すべての言語が理解できている人はいません。石碑が建てられたバックグラウンドを理解している、向学心のある人材であれば、学生さんでもよいのです。手伝っていただけませんか?」

 一生懸命に話をしてくれているのが伝わってきた。わたしは戸惑ったが、断ることはできなかった。

 弦岡先生のプライベートなことは、ほとんど何も知らない。かなり栄励気の豊富な人だというのは、一回生のころ、リレー講義で教卓に立つ弦岡先生を初めて遠目に見たときから直感していた。

 実際、弦岡先生はかなりの使い手だった。見えてしまうのだという。人の未来の不運が。
 だからあのとき、四回生に上がったばかりの未熟な学生に、研究の手伝いをしてくれなどと声を掛けたのだと思う。わたしの行く末の暗雲を、弦岡先生は、誰よりも早く察知していたのだ。