日差しも和らぎ、涼しい風が吹くようになったある日のこと、僕は悠希と美術館を見ることになっていた。
 今回はそんなに大きな美術館では無いけれど、楽しみだね。
 その美術館は日本の美術品を主に集めているらしいのだけれど、中には古代中国の青銅器なども有るらしく、悠希はそれを楽しみにしていた。
 悠希と行ってみて、良いようだったら今度フランシーヌもつれて行こう。そう思いながら、最寄り駅の改札で悠希を待つ。
 電車一本分くらい待っただろうか。少し待っては居るけれど、そこまででは無い程度に待った頃、着物に袴姿の悠希が姿を現した。
「ジョルジュ、お待たせ。
もしかして待たせちゃったかな?」
「ごきげんよう、悠希。
そんなには待っていないから安心してくれ」
 それにしても、前に美術館に誘ったときもそうだったのだけれど、悠希は随分と和服を着ていることが多いね。
 短大時代は洋服を着ていることが多かった気がするのだけれど、もしかして着物の方が楽なのかな?
 悠希と話をしながら、美術館へ向かう。
 駅を出ると、そこはゆるやかな下り坂だった。
 ふと、悠希に訊ねる。
「悠希は、僕の本業を知っているよね?」
「え? うん。退魔師だったよね。
危険な仕事だって言うのはよく聞くから、少し心配なんだけど」
 悠希にも、実は僕が退魔師をしていることを話してある。
 訝しがられたり、嘘つき呼ばわりされるかと思ったけれど、悠希はやはり、僕の言葉を受け止めてくれた。
「何で悠希は、僕が退魔師をしているというのを、素直に信じてくれたんだい?」
 僕の疑問に、悠希は微笑んで答える。
「胡散臭い職業だって言われるのはよくわかるけど、僕、おばけとか本当に居ると思ってるし、悪いことするおばけも居るの、何となくわかるから」
 これだけを聞くと、無邪気に作り話を信じているだけ。と捉えられるかもしれない。けれども、悠希のこの言葉には、根拠があるような気がした。
 悠希の言葉を聞いて、ハルのことを思い出した。
 きっと彼も、超常的な物が存在すると確信するきっかけが有った筈だ。
 何故だろうね、悠希とハルは、どことなく似ている。似ているというか、何だろう。近い雰囲気が有るような気がするね。
 悠希とハルは無関係な人間だというのに、こう思ってしまうのは何だか不思議だよ。

 美術館で音声ガイドを借りて、聞きながら鑑賞する。
 今回の音声ガイドもなかなか良いけれど、何故だろうね、前に悠希と観に行った書の展示の時に借りた物ほど、惹きつけられるわけでは無かった。
 あの博物館の音声ガイドは、偶に妙に惹きつけられる声の事があって、しかもそれが書の展示の時に多いので、これは下心なのかな? 音声ガイドを聞くために書の展示に言っていると言う事情も、実はあったりする。
 音声ガイドに優劣を付けるのは学芸員さんや美術館、博物館に失礼だと思うのでそう言う事は言わないけれど、どうしても好みという物はでてしまうね。

 企画展と常設展を回り終わり、美術館に併設されている庭園に出る。
 庭園の中にはカフェがあって、そこで食事をしようと言う事になっていたのだ。
 少しずつ、ゆっくりとパスタを食べた悠希と、食後のお茶を飲みながら色々と話す。
 ふと、悠希が訊ねてきた。
「ジョルジュはさ、一般的におかしいって言われやすい仕事だけど、それで辛いと思ったことは無い?」
 心配そうな顔をしている悠希を見て、もしかしたら悠希も何かあったのかもしれないと、何となく思う。
「そうだね。胡散臭い仕事だというのは自覚しているから、基本的に依頼人以外には職業を明かさないよ」
「それじゃあ、なんで僕には教えてくれたの?」
 ティーポットからカップに紅茶を注ぎ、スプーンの底でお茶の表面を撫でながら、悠希は僕を見る。
「そうだね、君は僕がクリスチャンだという話をしたときも、からかっらりなじったりすることは無かった。
悠希が信用出来る人物だと思ったから。かな?」
「そっか」
 カップからスプーンを外し、悠希が紅茶に口を付ける。僕も、紅茶を一口、味わいながら飲む。
 僕が思うに、悠希はとても賢いのだと思う。
 世間知らずだと言えばそうかもしれないけれど、彼は相手の立場に立って考えることが出来る、想像力を持っている。
 ともすれば、それは単なる同情になる。しかし悠希は、相手の意見を受け取った上で、自分の考えを持てる、そう言う思考の持ち主だ。
 悠希は僕に、今の仕事が辛くないかと聞いたけれども、悠希の方こそ、今の自分の立場が辛いのでは無いのだろうか。
 仕事をしていない人間が批難されるこの世の中で、病気療養をしながらただ好きな小説を書いている。それが自分の目標に向かう物であったとしても、良く思わない輩は多いだろう。
「悠希は、今の自分の立場が辛いと思ったことはないか?」
 僕の問いに、悠希は落ち着かない様子で、ティーカップの取っ手を触りながら言う。
「うん……仕事しちゃ駄目って言われてるけど、本当にそれでいいのかなって、思う事はあるよ。
でも、だから今は小説に打ち込めてるし、どうなんだろうって。
でも、こんな生活、許してくれる人ばっかりじゃ無いし……」
 悠希の指先が、微かに震えていた。
 世間というのは、時に残酷な物なのだなと、そう思う。
 僕のような裏世界の仕事をする人や、悠希のようにドロップアウトしてしまった人を、容赦なく叩く。
 僕は神様に祈れば心の平安を得られるけれど、悠希はどうしているのだろう。ただただ、耐えているだけなのだろうか。
 働かざる者にも生きる意味が有ると、僕が言って説得力があるだろうか。
 ハルが居れば、悠希が自信を持てるような助言をしてくれるのに。そう思った。

 美術館から出ると、外はもう暗くなってきていた。
 余り帰るのが遅くなってしまっても困るね。僕と悠希は駅で別れ、家へと帰った。
 少し遅めの夕食を食べた後、お風呂を済ませ、夕べのお祈りをする。
 悠希と、フランシーヌと、勤と、イツキ、それにハル。皆それぞれに人に言えないことや、複雑な事情を抱えている。
 彼らのことを神様に祈って救いはあるだろうか。それはわからないけれども、せめて彼らの日々が善くあるように、祈らずには居られなかった。
 机の前に有る椅子に腰掛けたままお祈りをしていたら、部屋の中が眩い光で満たされた。
 これは……天使様がいらっしゃったようだ。
 僕は椅子から降り、やはり姿を顕した天使様の前に跪く。
「天使様、今日はどの様なご用件でしょうか?」
 僕の問いに、天使様はにこりと笑って、僕の頭を撫でた。
「君の祈りは、ちゃんとこっちで受理してるから、安心してね。
正確には、君に限らずうちの子の祈りは全部受理してるけど」
 祈りを受け取ってくださっていると聞いて、安堵して涙が出てきた。
「僕達はね、誰かに偏って奇跡を起こすことは出来ない。
でも、ちゃんと見守ってるから。
よその子だって、常にとは言えないけど、定期的に担当の所に言付けしてるから。だから、安心してね」
「天使様……」
 涙は出るのに、声が詰まって言葉が出ない。
 天使様は、子供をあやすように僕の頭を撫でて、抱きしめてくださって。
 僕は暫く、天使様の腕の中で泣いていた。

 ああ、天に坐す父なる神よ。自分の道を歩くというのは、厳しく、辛い物です。
 けれども、あなたが見守ってくださるというのなら。僕達はあなたの元へ行くその時まで、歩き続けられます。