◇超常と日常の境界線

「しかし、残念だったな」
「ああ、まさか最後の怪談には、野郎二人きりで挑むことになるとは思わなかったぜ……」
 俺と飛燕の二人は音楽室を目指して、人気のない廊下を歩いていた。
 そこには柊と秋海棠の姿はない。
「仕方ないだろ。怪我したって言うんだから、大事を取るべきだ」
「まあ……そりゃあ、そうなんだけどさ」
 教室の一件で転んだ際、秋海棠は怪我をしたらしく途中だが帰宅することになった。
 柊はその付き添いで、一緒に帰ったのだった。
「そういや、カズラちゃんとは通話しないん?」
 携帯電話をポケットにしまっている俺を見て、飛燕は不思議そうに問いかける。
 さっきまで携帯を常に掲げていたことを踏まえれば、その疑問は当然なのかもしれない。
「なにか電波が悪いみたいでな。今は通話を切ってるんだ」
「ふぅん……校舎も場所によっては電波も悪くなるし、その影響かねぇ……」
「さあな。携帯キャリアの電波と、音声通話ソフトの電波は関係してるのか分からない」
 問いに答えると飛燕は、納得したように頷いた。
 俺たちは歩みを進めながらそこから多少、他愛もない雑談に興じる。
「なあ、飛燕」
「ん……どしたん?」
 雑談が途切れたタイミングで、ふと話を切り出してみる。
 それを聞くと飛燕は、不思議そうに小首を傾げた。
「お前――幽霊、って信じるか?」
 気兼ねない調子で尋ねてみる。
 ただの世間話、雑談の一つ。明日の天気でも尋ねるような調子で飛燕に問いかけてみる。
「幽霊?」
「ああ、幽霊だ。別に亡霊でも、妖怪でも、いいけどさ。とにかくそういう、心霊現象や超常的なものって、お前は信じてんの?」
「んー、そうだなぁ……」
 すると飛燕は、どこか考えるように唸ってみせる。俺はそれを横目でただ眺めていた。
「多分、信じてるンじゃねぇかな?」
 曖昧な調子で飛燕は頼りなく答える。
「つーか自分の理解の範疇を超えてることは、オレにゃあ全部幽霊みたいなもんだよ」
 自分でも発言に要領を得ていないのか、飛燕は唸りながら言葉を続ける。
「それが超常的な存在の仕業でも、人間の悪戯でも、結局はオレ自身が分からなきゃ、それってみんなオカルトに感じると思うんだよな」
「『高度に発達した科学は魔術と見分けがつかない』――ってヤツか」
「なんだそりゃ?」
「アーサー・C・クラークって、SF作家の言葉だよ。自分の理解が及ばない現象は、科学的な裏付けがあっても、それは魔術みたいな超常現象と見分けがつかないって意味だ」
「あー、何となくは意味は分かるような……分からないような……」
 本で引用されていた言葉を思い出すと、それは飛燕の言葉に当てはまるような気がした。
 飛燕はどうもピンとこないのか、うーむと頭を悩ませて必死に次の言葉を紡いでいく。
「簡単に言うとだな……例えばこの間の『路地裏の亡霊』だって、最初はマジでビビったよ。本当にオカルトな存在に出会っちまった、とも思ったし」
 確かにあの時、飛燕は嘘偽りなく亡霊に怯えていた。
 それはきちんと説明がつく物理現象だったが、飛燕は理解の及ばない出来事を〝亡霊のせいだ〟と結論づけてしまった。
「でもタネが割れちまえば、もう怖くなくなった。つまりはさ、そういうことじゃん?」
「自分の理解の範疇に収まらないからこそオカルトであって、仕組みが分かればその瞬間にでも、オカルトはリアルな現象になる……ってことか?」
「そーゆーこった」
 実際には亡霊の声の正体は、排水溝の中を反響していた犬の鳴き声でしかなかった。
 カズラによってその真相が暴かれた瞬間、亡霊が帯びていた神秘性は消えてなくなる。
 理解が及ぶ現象へと成り下がってしまった。だから飛燕はもう、亡霊に怯えなくなった。
「んで、なんでそんなこと聞くんだよ?」
 これで質問には答えた、と満足そうな顔で締めくくる。
 そして俺の質問に対してふと疑問に思ったのか、真意を確かめるように尋ねてきた。
「せっかく肝試しをしてるんだから、お前が幽霊とか信じるのか気になってな」
「ふーん……そっか」
 他意はない、とおどけるように答える。
 それを見た飛燕は特に何の感慨もなさそうに呟きを漏らした。
「あ、もう一つだけ、質問していいか?」
「なんだよ? スリーサイズなら教えねぇよ」
「野郎のスリーサイズなんか聞いてどうする」
 思い出したように尋ねると飛燕は、ニヤリとからかうように笑う。
 その軽口を軽くあしらうと、俺は問いを投げかけた。
「今日の肝試し、お前は怖がってるか?」
 廊下を歩く足を止め、真っ直ぐ飛燕を見据えながら俺は言葉を続ける。
「ああ、怖くて仕方ねぇよ」
 そんな俺を見て飛燕も同じく足を止め、苦笑混じりにそう答えるのだった。